散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

隅田川テラスを歩く 右岸側その6 中央大橋から勝鬨橋

現在位置は中央大橋の下流側。隅田川テラス終点の勝鬨橋まではもうそれほど距離を残してません。

中央大橋主塔


少し引くとここには奇妙な物体があります。


反対側から

ここは霊岸島検潮所・量水標跡、これは現在使用されている水位(潮位)観測所の施設です。

この場所では明治時代初期に潮位観測が行われました。ここ霊岸島量水標における平均潮位を基にいわゆる標高0mが定義され、日本水準原点(標高決定の基準点)の標高が決まりました。

少し付け足すと
霊岸島量水標(厳密には現位置より36m上流にあった)における基本水準面は1.1344m、これをA.P.(Arakawa Peil)といい、ここから東京湾平均海面T.P.(Tokyo Peil)が定められ、T.P.0mを基に日本水準原点(国会議事堂前の庭園にある)の標高が決定されました。
現在ここでの潮位観測は続けられていますが、水準原点の検証をするための観測所は神奈川県三浦市油壷に移っています。

 

水位観測施設のところで隅田川テラスはカーブしています。その先に亀島川河口があるためです。

河口の亀島川水門

テラスは前方で壁になってます。右の階段を上がって亀島川をまわり込みます。

 

階段付近に錨のモニュメントがあります。
「江戸湊発祥の地」碑後ろ側から

前面にある碑文
「慶長年間江戸幕府がこの地に江戸湊を築港してより、水運の中心地として江戸の経済を支えていた。昭和十一年まで、伊豆七島など諸国への航路の出発点として、にぎわった。」
右側に写る亀島川対岸の地名は現在も『中央区湊』です。

 

亀島川を渡ります。

南高橋


橋上から八丁堀方面

南高橋は関東大震災後の復興事業で1932(昭和7)年ここに架けられましたが、その部材は1904(明治37)年に架橋され大震災で被災した両国橋の中央部で、移設、再利用したものです。再利用されたことで都内に残る現役の鋼鉄トラス橋(の道路橋)としては最古のものとなりました。

 

『湊』に入り、日本不動産株式会社の銅板貼り建物


横に入って鳥居の前から

以前は建物後ろ(写真右方)に倉庫?が棟続きで建っていたようですがなくなっていました。そのため建物後ろ側は最近になって改修されています。

この建物の奥に隅田川テラスへの連絡階段があります。
その上から亀島川水門

水門の向こうに南高橋も写ってます。


隅田川中央大橋方面


テラスに下りて佃島方向


佃大橋をくぐって川下流側。
対岸は月島


右岸側テラス


明石町河岸公園付近から


明石町ポンプ場排水門付近

堤防の壁は煉瓦。


勝鬨橋が近づいてきました

 

橋付近、クレーンも使って何か作業中


勝鬨橋西詰へ

表示は「勝どき橋」です。

これより右岸側下流は築地市場跡地、ここで隅田川テラスは終点です。左側工事中の影響で壁になってますがテラス広場があります。

亀島川の先からは一気に終点まで来てしまいました。
以上で隅田川テラス歩き、完歩となりました。

隅田川テラスの延長は31㎞とのことですが実際は川の両岸をすべてたどって歩いたことになり、それ以上の距離(45~50㎞程度)を移動しました。

 

おまけ
勝鬨橋中央付近

かつて橋が跳ね上がった部分です。

 

前回右岸側その5

miwa3k.hatenablog.jp