見沼代用水、東縁に続いて西縁を歩いた記録です。
東縁のとき同様、末端側からさかのぼって歩いています。
東縁は末端が東京足立区内に達していましたが、西縁は埼玉県川口市小谷場、元西福寺前分水口までです。ただし西縁末端が『分水口』とあるように、その先へ用水路(辻用水、新曾用水)が分流しています。
今回は西縁末端で分かれて先へのびる新曾(にいぞ)用水の途中(暗渠となる手前)からスタートしました。
新曾用水は旧中山道との交差地点で暗渠にはいります。その直前から。
旧中山道との交差部(蕨市錦町5丁目)
横切っているのが旧中山道、右側に錦町5丁目交差点。標柱に「蕨宿」とありますがこのへんは北のはずれでした。
ガードレール部分が「一六橋」跡でしょうか、向こう側、奥からこちらに新曾用水が流れて足元から暗渠となっています。
まずこの水路をさかのぼって見沼代用水西縁の末端へ向かいます。
歩きはじめると国道17号(中山道)を渡り、蕨高校横を通ってすぐにさいたま市南区に入ります。
笹目用水分流点(さいたま市南区文蔵5丁目)
新曾用水からさらに分岐する笹目用水が左へ入っていきます。どちらの水路もかつては周辺の農業用水でした。
笹目用水との分岐点から上流へ700m弱、
国道298号+外環道跨線橋上から
下はJR線線路、京浜東北線車両基地です。その一番手前を通る線路(写真下の部分、2台自転車の間)小さな橋が見えます。ここを新曾用水が通っています。
さらに300mほどさかのぼると見沼代用水西縁末端、元西福寺前分水口です。
元西福寺前分水口(川口市小谷場)
ここが左手前から来る見沼代用水西縁の末端です。水門ゲートから新曾用水、右正面そのまま橋の下をくぐるのが辻用水と名称が変わります。
正面の橋から見沼代用水西縁のほう
ここは数か月前に旧入間川跡をたどった時に通過した場所です。現在の西縁とは流れる方向が異なりますが、古い時代には現在の入間川に相当する川の流れがここにあったのですね。
見沼代用水西縁をここから改めてスタート。
最初はやや公園風に整備された水路、歩道があります。水路はところどころ暗渠になってます。
戸井の橋(とゐのはし)跡付近
このへんは現在暗渠、道路中央部が水路で横断歩道部分に橋があったのでしょう。手前に「とゐのはし」と銘版のみ残されてます。
分水口から400mで西縁は外環道にぶつかり、そのまま道路に沿って暗渠で600m、次に北へ方向を変えて流れが顔を出しますがすぐに藤右衛門(とうえもん)川と交差します。
ここの交差部は見沼代用水西縁が藤右衛門川の下を伏越しています。
あまりよい絵がありませんが伏越部分
前を横切るのが藤右衛門川、途中浦和競馬場のまん中を流れてたりします。川の向こう正面に水門ゲートの頭だけ見えてるところが伏越の吞み口、見沼代用水西縁の水が地下に落とされます。
川の下で交差した水は背後の吐き口で再び上がってきて何事もなかったように下流へ流れていきます。
この川を越えると見沼代用水西縁は大宮台地の縁に達します。
これより上流は台地と低地の境界、その縁に沿って水路が設定されており、複雑に蛇行を繰り返しながら流れています。
さいたま市南区円正寺付近、西縁上流方向を見て
左(西)側が台地部、この付近では傾斜も緩やかで右側低地との高低差もそれほどありません。〈意識せず見逃して後で気づいた次第〉
右側はずっと歩道が続きます。基本西側に台地、その縁を進みます。
県道1号(旧道)橋戸橋上から上流方向
ここも左が台地側、右は低地で縁に水路があります。またこのへんは右が川口市、左がさいたま市南区、境界線が水路に沿ってしばらく続きます。
水門で西縁の水を分流させているところに出ました。
六ヶ村用水分岐地点。(川口市柳崎4丁目)
上流側宮下橋から望む
東縁ではところどころ水量調節ゲートが設けられ、余分な水を別水路へ導流してました。ここは水量調節ゲートではなく、見沼代用水西縁から分岐する用水路です。途中に左向きの水門があり、六ヶ村用水へ下る水が道路を渡り左へ流れていきます。
六ヶ村用水の堀を起点から望む
背後に分流口。
〈もっぱら自分用備忘メモですが、旧入間川跡をたどった時に出会った『緑川』がこの末流。〉
西縁、上流へ進むと少しの間緑濃いところを通過
左が台地側、斜面が森、右側は住宅地です。このあたりは水路の蛇行が特に激しいです。
流れに沿ってくねくね歩くと東浦和駅近くへ出てきます。
柳崎橋付近
前に表示のある『見沼遊歩道』を歩いてます〈この遊歩道、どこからはじまってどこで終わってるのかわからない。謎の道〉。東縁に沿っては「緑のヘルシーロード」という自転車歩行者専用道がありましたが、西縁はだいぶ上流の方にしか整備されていません。
さらに400mほどで見沼通船堀に達します。
見沼通船堀公園の竹林、左は見沼代用水西縁
見沼通船堀は見沼代用水東縁、西縁と中央を流れる芝川を結んで船が通えるようにした運河です。建設は1731(享保16)年。
通船堀は東縁を歩いたときに見沼代用水西縁分岐点まで見てまわりました。今回は何も記録を残してなかった〈手抜き〉ので以前のリンクをおいておきます。
でもちょっと寂しいので
工事中の通船堀西縁水路、通船堀公園橋手前から
前方へ見沼代用水西縁につながります。この橋から先が現在は通行止め。〈天気よい〉
見沼代用水西縁との分岐点付近、通船堀側【再掲】
見沼通船堀の先へ進むと広大な見沼たんぼ(それ以前は見沼溜井)の領域に入ります。
すぐにJR武蔵野線が横切ります
背後が西縁、線路の先に建物が頭を出してますがあの下を見沼代用水東縁が流れています。その間中ほどに芝川。
見沼溜井という一種のダムが存在していた頃はずっと水面が広がっていたのでしょうか。
相変わらず、というか見沼たんぼ範囲では一層はっきりする台地と低地の段差です。
またこの範囲では台地側が一貫して住宅地、水路をはさんで反対側は農地(一部空地も)という区分け、境界がはっきりしてます。
桜並木が長い距離続きます(さいたま市緑区大牧、芝原と見沼境界あたり)
通ったときはあじさいがきれいでしたのでそちらの花見を兼ねて。
住宅側は台地なのです
新見沼大橋際までやってきました
料金はETCが使えず、Suica,PASMOなんかで払う有料道路でしたね。〈またいらんこと書いてしまった。もちろん現金も可〉
新見沼大橋有料道路
前方に料金所、その下に東縁水路。
新見沼大橋から600mちょっとで見沼氷川公園
見沼たんぼの開発抑制区域に設けられた公園のひとつ、面積はそれほど大きくなさそうです。西縁水路に沿ってずっと桜並木が続いているので花の時期は絶景でしょう。
公園を少し先へ行くと赤い橋
上に氷川女體神社があります
大宮の氷川神社とともに武蔵国一宮と称されています。境内などはだいぶ小ぶりではあります。
昔は神社境内から下りてくると見沼溜井の水面が広がっていたのかもしれません。(そこで祭祀が行われていたそうで、遺跡が氷川公園内に残されていました。)
今回は見沼氷川公園までできざみます。
次回は東縁、西縁の分岐する瓦葺伏越まで進む予定です。
見沼地図と東西流路地図をおいておきます。
見沼地図
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見沼代用水東縁西縁地図
続き その2