散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

武蔵野の水辺を巡って歩く その2 大泉堀

武蔵野の水辺めぐり、東久留米の黒目川流域から離れて次のスポットへ
途中新座市を通過して西東京市へ入りました。

今回はこんな場所から

手前は都道保谷志木線、左に西武池袋線踏切があり、前方にはひばりヶ丘駅付近の高い建物が見えてます。

一方この背後は

緑にペイントされたコンクリートの暗渠蓋、ここから川がはじまっています。(西東京市栄町1丁目)

階段を下り次の通りと交差するところからふり返って

こちら白子川の支流で名前は大泉堀(だいせんぼり・だいぜんぼり)といいます。長さは3.2kmほどです。
かつてはふつうの自然河川でしたが1970年代に暗渠化がはじまり、現在流れを直接見ることはできなくなりました。

今回の「水辺」がこちらになります。

暗渠は2枚目の写真、都道の脇からはじまっていますが源流はひばりヶ丘駅方向へもう少しのびて線路のあたり、雨の後地下ごく浅い場所に水がたまる場所(沼?)が存在したようです。

 

緑の暗渠蓋みち、しばらく続き


一般道路に出てきます

緑のふたはここまで。

そしてまた家と家の間へ


下保谷2丁目あたり

白子川合流までこのような風景の繰り返しではあります。

流域は現在も宅地化進行中なところですが、かつては畑や林、その間を細々とした流れが時にあったりなかったりというのどかな川だったように想像します。

 

現実にもどり
最近建設された都道(234号前沢保谷線)を越えて

この道路前後はっきりしない区間がありましたが蓋みち復活。右のブロック壁手前に植えられた球根?の芽がでていることに気づきました。

 

その先下保谷3丁目で

陸上ハードル競技みたいになってるのが大泉堀(上流方向)、左日陰のガードレール後ろに支流「宮ノ脇川」、合流しています。

宮ノ脇川も暗渠です

上流方向、家の間へ入っていきますが暗渠上を通行できないのでここで見送り

 

大泉堀下流方向へ進みます


西東京市と練馬区の境界近くで

コンクリート蓋の間にグレーチングの蓋も結構混じってます。

このあたり流れに沿ってやや谷間、雨が降ったときに道路などから流れてくる水を直接大泉堀に落としているのだと思います。

 

練馬区にはいって西大泉1丁目

暗渠道の様子は、それほど変化ないですね。

そこから200mほど行くと
大泉堀は練馬区立大泉第四小学校のなかへ入っていきます

学校の裏へぬけるまで暗渠の痕跡は消えてます。

構内も勝手に通り抜けられないので別の道を迂回しますが
途中でまた小さな支流の痕跡を見つけました。

上流方向を見て

支流上は歩道になってますが少し先で車道と歩道の間に家が建ってます。普通こんな道路設計はしませんね。
家の裏へ入っていく道が水路暗渠なのです。

こちらの支流は名前がはっきりしません。ただ「支流」としておきます。
反対側下流方向をみると
整備された歩道が続いてました


たどって下ると

左が支流の歩道出口、右前方車止めのある道は小学校の裏手から現れた大泉堀の続き。手前交差点内で合流となってます。
隣りの通り交差点名が「丸山東橋」でしたが実際の橋はここにあったのだと思います。

右奥、大泉堀本流の暗渠も小学校の裏手まで入ってみました。

フェンス先が大泉第四小学校

学校の裏手で暗渠蓋みちが早速復活してます。

公園と住宅の間を通り(上流方向をみて)

学校裏から250mほどで先ほどの支流との合流地点にもどります。

その先はまた上流側と同じような道が続きます。

 

時々横切る道路には橋が架かっていたことが想像できますが
この手前、建物と左草むらの間も橋跡に見えます

何だか妙に気になりほじくってみると

左側20mほど離れたところを通る道路から引き込んだ私道がかつてあったようで、そこに架けた私設の橋跡らしく。

前方の車止めの部分も道路が横切り、別の橋跡であります。


さらに数百メートル下ると(練馬区西大泉1丁目)

ここは横切る道路に小泉橋がありました。

 

その先は暗渠道が公園緑道風に変わり道幅もひろがります


そのまま200mくらい進むと

前方に見えるフェンス下は白子川、合流点です。

白子川フェンス前から大泉堀上流方向をふり返り


白子川対岸に渡って大泉堀合流口

合流口から流れ落ちる水量はごくわずかでした。
大泉堀は現在雨水幹線(下水道)の扱いになっており、暗渠を流れてきた水は途中で下水処理場へまわされるので降雨時以外はここから排水されることはないのです。

以上、白子川支流の大泉堀でした。
水辺感、あまりなかったですね。

代わりに本流の白子川を
大泉堀合流から川上に500m弱さかのぼったところ(練馬区南大泉5丁目)

 

今回白子川なども含めて記す予定でしたが、大泉堀に予定より力がこもってしまいました。
以下は次回「その3」ということで