八王子と横浜を結んだ、またの名はたくさんあるけど”浜街道”。前回、横浜港を出発して横浜市西区と保土ヶ谷区境界に位置する、芝生(しぼう)追分までやってきた。
続きを歩く。
浜街道足あと・横浜港ー町田は青色のライン
芝生の追分が八王子街道のはじまる地点。
(”八王子街道”は”浜街道”の別名。古い街道は結んだ先の地名で呼ばれることがあり、たとえばA町とB町を結ぶ街道は、A町側から見るとB街道、B町側から見るとA街道となることがある。)
横浜市内この先では現在の国道16号線(保土ヶ谷バイパスではないほう)にほぼ沿っており、国道16号が八王子街道と呼ばれることもある。名称がややこしいので浜街道(=八王子街道)の古い道は「旧道」で通すことにする。
芝生の追分を過ぎて少しの間は現国道の旧道を行く。
保土ヶ谷区宮田町付近の旧道
このあたりは小さな町工場などが多いようだ。
宮田2丁目交差点で国道16号(こちらも「新道」と呼ぶことにしよう)に合流する、そのすぐ手前に
延命地蔵尊と子育地蔵尊
この場所は鎌倉街道下道でも歩いた。現在の宮田2丁目交差点が2つの古い道の辻でもある地点。
新道に出てもう次の宮田3丁目交差点でまた旧道に折れる。
保土ヶ谷区峰岡町1丁目付近の旧道
旧道を2~300mほど行くと今度は新道を交差して旧道が反対側へ。交差地点にうまい具合に信号機がないと迂回しなくてはならない。
峰岡町の交差点まで行ってから戻り、旧道の先へ入る。まあ、どこまで厳密にたどる必要があるかわからないが。
川辺町2丁目付近(区が変わるまで区名省略)
そして峰岡町の次の信号(保土ヶ谷公園入口)をまた渡って反対側へ。
和田2丁目付近
ここは坂を上らず、左の道へ。
あまり律義にやってるときりがないので少し急ぐ。
新道に合流し、上星川2丁目付近
上部を横切っているのはJR貨物線。高架だけど壁と屋根で完全に覆われている。
旧道沿いに旧八王子道の道標(東川島町)
最近になって建てたものか、やや唐突に現れた感じ。左「至八王子」右「至保土ヶ谷 鎌倉道」。
この道標の手前には風化した青面金剛庚申塔もあった。その庚申塔も道標を兼ねているとのことだったが、文字は読みとれなかった。
その近くに正観寺があり、そこを過ぎると
古い地神塔
この塔の右側面にも「右八王子道」とある。左側は「寛政三年(1791年)..左神奈川」と刻まれている。右側の細い道が旧道、この付近坂を上がって少し高台になっている。
少し行くとまた坂を下りて妙福寺前へ出る。新道を交差し、さらに坂を下ると
相鉄線線路と交差
ガードの高さ制限1.8M、低いくせにその下「66kV特別高圧線」がさらに威圧する。
くぐった先には小さな川が流れ、それを越えると西谷(にしや)商店街に入る。
西谷商店街を通る旧道
少し静かなかんじの西谷商店街の先で東海道新幹線の高架下をくぐり、再び相鉄線の線路を越える。この付近、相鉄線のJR線、東急線乗り入れ工事が進行中。
線路を越えると八王子街道新道に合流するが、またすぐに旧道が分岐する。
旧道分岐点は保土ヶ谷区、旭区の境界
右へ旧道、左の新道はこの近くまで片側2車線だったが、1車線に減っている。
旧道をしばらく先へ行くと
帷子川(かたびらがわ)分水路が現れた
増水時の帷子川の水を導く分水路で、この足元にトンネルの入口がある。そして帷子川支流菅田川が正面を掛樋で横切っていた。この辺はそのうち「帷子川を歩く」ときに別途まとめることにしよう。
下白根交差点先でまた新道に合流し、すぐ次の白根不動交差点手前で旧道が分岐。
この分岐先の旧道、草むらの中に庚申塔(左)、地神塔(右)(白根1丁目、しばらく「旭区」は省略)
庚申塔は1842(天保13)年、地神塔は1882(明治15)年とのこと。
白根交差点で旧道は新道反対側へ交差し、その先で坂をあがっていく。途中には現在、階段もあって結構急坂だ。
階段の途中から
下の道路が新道、遠くにはランドマークタワーなども見える。
階段を上り切ったところからすぐに今度はゆるい下り坂が続く。
ゆるい下り坂を直進(鶴ヶ峰本町2丁目)
この付近は鎌倉時代の武将畠山重忠終焉の地。北条軍との合戦で敗れ討死したところで、ゆかりの史跡が多く残っている。
近くにあった祠と「史跡 六ッ塚・重忠公霊堂」の案内標
鶴ヶ峰本町交差点で旧道は再び新道と合流するが、その先も分岐と合流を繰り返し、先へ進む。
中原街道(県道45号)との交差点付近には
都筑郡役所創設之跡碑(都岡町)
右側横断歩道先、レンガ塀の手前。小さくてごめんなさい。
1878(明治11)年にはじめて設置された都筑郡の郡役所がここにあった。わずか1年後には移転してしまったそうだ。
旧道沿いにはこのあたり馬頭観音、地蔵尊などが短い間隔で見られる。ただし風化が進んだものが多く、文字が書いてあったとしても判読できない。
その先、川井宿町という場所を通過する。街道の宿があったのか? そういえば、手前には今宿という地名もあった。
川井本町付近の祠
祠の中にお地蔵様と説明があり、岩船地蔵尊と呼ばれているようだ。外には風化した庚申塔(?)。
そこからしばらく旧道を行くと上川井町に入り、神明社神社の横を通過。
旭区も北西の端近くまで来て、ずっと近くを流れていた帷子川もだいぶ上流へ来て細くなった。
旧道と帷子川(上川井町)
先の信号は若葉台入口交差点。このあたりは若葉台団地へのバスも多く通り、道幅も広い。
さらに行くと、
亀甲山交差点付近
前方の高架は国道16号保土ヶ谷バイパス。ここまで新道と呼んできた国道16号から、今度は保土ヶ谷バイパスに沿って、東名高速のインターチェンジあたりまで進む。
川井浄水場入口交差点の歩道橋から
川井浄水場正門前を通過する
このあたりで旭区から出て緑区に入る。
その先でまたバイパス沿いに出て、次は東名高速道路がバイパスの下を横切る。
ここを歩いて通りぬけるのはちょっとややこしい。
保土ヶ谷バイパスを結ぶ連絡路などを越えるために地下道なども通る
もっともこんな場所を歩いて通る人などほとんどいない。
何とか一般道へ出ると、しばらく消滅していた街道の道すじが復活。その道路の真ん中が東京都町田市と横浜市緑区の境界、その境界に沿って進む。
わりと車の交通量も多い道をしばらく行くと、町田市辻交差点で国道246号と交差する。
町田市辻交差点から
横切っている高架は国道246号。ここ”辻”の名称は昔から大山道との交差点になっていたからだろう。(現在の国道246号が昔は大山道と呼ばれる街道だった。)
交差点を渡ると現在の道路名は”町田街道”に変わる。
町田市辻交差点を通過したところ
この先は道路両側とも町田市になる。
現在の横浜市内で街道の旧道は蛇行が多く、新道はそれを補正、直線化したため、旧道の道すじがあちこち残っていた。
町田市内に入ると旧道の道すじもほぼ直線に近く、そこを拡張して現在の町田街道が形成されている。旧道が別の場所に残っている場所も少ない。
辻交差点の次、小鶴橋交差点近くで東急田園都市線の線路上をまたぎ、しばらく北上すると小川交差点。この先に旧道が残る。
小川交差点から分かれる旧道
左側が残っている旧道区間。旧道もほぼ直線である。
旧道区間に入って(町田市南町田2丁目)
1キロほど先へすすむと金森4丁目で再び新道(町田街道)と合流し、そこから先はしばらく、現在の町田街道を市街地まで行く。
JR横浜線線路を越えて三塚交差点で道路がいくつかに分かれる。
三塚交差点
旧道はいちばん細い道、左側の赤い車の後ろへ伸びて、町田繁華街のなかへ入っていく。
現在は単純に”町田”だが、かつては駅や繁華街のある地域は”原町田”と呼ばれた。明治以前には本町田村が隣にあり、こちらは原町田村だった。のちに合併し、現在の町田市につながる。
原町田中央通り、旧道上に広がる商店街
人通りも多く、今となっては道幅もせまいので少し窮屈だけど、ここがかつての原町田のメインストリート。
道路自体は浜街道よりも古く、鎌倉街道上道もここを通っていたとのこと。
その2つの街道の分岐点が少し先にある。
原町田大通りをはさんで街道の分岐点
交差点左が浜街道(=絹の道、八王子街道)で、右は鎌倉街道にあたる道路。
ここを左折するとJR町田駅、この日は横浜港からここまで歩いて離脱した。
その1