横浜市保土ヶ谷区と旭区の境界あたり西谷(にしや)から、川崎市高津区と中原区の境界あたり新城(しんじょう)まで、特に境界は意識してなかったですが歩きました。その記録を春っぽく残します。
最初は相鉄線西谷駅で下車、最近都内への直通線分岐駅となりましたが町はさほど変わることもなく地味を貫いているようなところではあります。駅真上を東海道新幹線線路が通ってます。新幹線の駅はないけど。
駅北側へ出て新幹線線路や国道16号(旧道)を渡り丘へあがる道
通称猪子山(いのこやま)という丘から西の方角
正面右は資源循環局とか言うようですが要はごみ焼却施設、左のほう2つの高い建物、手前は相鉄線西谷の次の駅前、奥はその次の駅前の高層住宅。
このあたり、というかこの先川崎市に入るまで起伏だらけ、坂道は避けられません。丘へ上がったと思ったらすぐ下り坂。
道路正面先、埋もれるように古い団地は笹山団地
団地内から
1964年に出来たという県営の団地です。同じころ造られた団地内の昭和レトロな商店街がある意味で有名。
上の写真の背後にあたる場所、揃いのレトロなファサードが並ぶ店舗建物、古くて奥がちょと暗いマーケット、錆さびのトタン壁に色あせて読めなくなった店の看板がかかってたり、通りすがりには『錆』れた感じがちょっと物悲しくもありますがずっと商売を続けられているお店もいくつか残っています。
(この商店街の様子はブログなどによく取り上げられてますので興味のある方はそちらで。)
笹山団地から1㎞弱で竹山団地。〈なんだかパンダが出没しそうですね〉
こちらも古い団地(1971年竣工)。団地のなかに池があるということでどんなところか立ち寄ってみました。
池に橋もかかってます
竹山池という名前です。
こちらの棟、池を独り占めです
棟の下には古くからの商店街
テラス部分から
池はかつて『阿弥陀ヶ谷』と呼ばれた谷間にありますが団地造成時に造られた人工池だそうです。
池付近の建物は昭和モダンてな感じですがそれ以外の建物は普通でした。傾斜地にある団地のため坂道が多くお年寄りは大変そうです。
また坂道を上り下りしてこんなところ
辻山の庚申塔(横浜市緑区鴨居町)
後ろに解説があり名前や由来がわかりました。山中ながら道路の辻があったので辻山といい、庚申塔は左が明和元(1764)年、右が元文2(1737)年のものだそうです。とても大事にされて彫刻もしっかり残ってます。
また坂道を上がってます。
坂の上は園芸用樹木などの農地があり、そちらで見たオリーブの木が立派でした
刈り込まれて小ぶりですが幹の太さがすごいです。〈こんなの日本で見た記憶がない、栽培に何年かかるのかとか買ったらいくらだろうとか...雑念〉
ほかにもこの周辺広く畑、果樹園な丘の上(横浜市神奈川区菅田町)
そんな農地が小さな川の源で、畑の端から湧水があちこち。そんな水が集まって川になりつつ、
古い橋の名前が読めない
〈以けうへは¿→いけうえは¿?〉
川沿いに下ってまた上り、ふたたび下りにかかるこちらは港北区小机町あたり
右端は日産(横浜国際)スタジアム、左を横切る首都高横浜北線。
スタジアムの前へ出ます
この日はイベント無いようでカラス一羽のみ。
脇をまわり込んで亀甲橋を渡り、鶴見川をこえます。
亀甲橋手前から新横浜公園
花盛りなのは新田緑道
周辺は小さな工場が多く、そこで使用されていた機械類が緑道に置かれているのが特徴、ここは台座も歯車ですね。
上とは別の「みんなのせせらぎ緑道」
みんなのせせらぎは小さな川の上流暗渠、そこからまた上がりつつ
食べるには伸びすぎた
奥は竹やぶではあります。
ちょっと盛りは過ぎましたが
上2つは港北区新吉田町あたり、侵食してくる住宅地に残るニッチな里山。
突然川を渡る
早渕川といいます。新吉田町から高田町へ。
そしてまた坂を上がれば丘の上まで家だらけ
見晴らしは良好
丘の上で小さな麦畑
同じ丘の上で横浜市から川崎市へ境界を越えると結構強烈な坂、急激に落ち込む谷間へ。
急傾斜地もすっかり中高層の住宅に覆われて険しい地形が実感できないのですが、かつては断崖というような場所もありましたよね。〈誰に聞いてる?〉
入口が何階にあたるのか分からない建物ばかりです。
とりあえず坂を下ると矢上川という川が流れ、そこからは多摩川まで平らな土地になります。坂道免除
矢上川の先に江川という小さな流れがあって遊歩道になっているところを歩きました。
寄ってくる鴨
こいつに限らずここのせせらぎにいる鴨は全然警戒心がありません。きっと餌をもらってここに定住してるのでしょう。〈白鳥のように気性が荒くないのでまあ良いかなと〉
住宅地の間を流れる水、江川せせらぎ遊歩道
遊歩道沿いに歩くとJR南武線武蔵新城駅前に出ます。思ったより長い距離を歩いたのでここまでとしました。