散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

中川から大落古利根川へ歩く 吉川(武蔵野線中川橋梁)から古利根堰

前回中川をさかのぼって歩いたとき、越谷市吉川市の間に架かる新中川水管橋を渡り、吉川まで来ました。
今回はまず中川の続きを歩き、大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)合流点からはそちらに入って上流に向かいます。
この日は春日部市街地近くの春日部大橋まで歩きましたが、ノートは古利根堰までの記録になります。

 

■中川 吉川・武蔵野線橋梁から大落古利根川合流まで

今回は吉川駅から、まず中川のほとりに出ます。駅から歩いて5分くらいです。

土手に上がりました

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下流方向を見ています。前方は前回渡った新中川水管橋。

 

この付近北から南に流れる中川の左岸を北へ向かって歩きます。

すぐにJR武蔵野線中川橋梁。
橋を越えたところ

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そのまたすぐ先

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池のようにも見えます。向こうにある水色の橋は吉越橋。このあたり中川が川市と谷市の境界になるのでついた橋名でしょう。

 

吉越橋を越えるとすぐ先に吉川橋が見えてきます。
吉川橋遠景

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吉越橋、吉川橋はいずれも県道52号越谷流山線の橋梁ということになってます。最初の架橋は吉川橋、吉越橋の順ですが、吉川橋は現在リニューアル工事中です。

 

工事中で仮橋(手前)と

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新しい橋も完成間近、橋げたの塗装と取り付け道路の整備中でした。
橋の先へまわるには工事の影響でだいぶ迂回することになりました。

 

吉川橋の上流側、元荒川が右岸に合流します。元荒川は江戸時代以前の荒川本流。昔は利根川と荒川がここで合流していました。

現在は中川と元荒川の合流

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青い橋(中島橋)の下から元荒川、右から左手前に中川です。

 

吉川橋との位置関係

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合流点は吉川橋のすぐ上流ですね。

 

吉川橋から500mほどさかのぼって
中川、上流方向

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この付近で左岸側は堤防(土手)がなくなってしまいました。道路目の前が川の流れです。

向こうに小さく水管橋が見えますが、その付近、右岸に新方川(にいがたがわ)が合流します。

 

元荒川合流から約800m上流で新方川合流

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右向こうから中川、左から新方川。
右の中川は(たぶん)昭和初期に開削された人工流路。それ以前は河道が蛇行していて、現在の新方川河道の方に食い込んでいました。現在の地理院地図などでもその河道跡は鮮明に分かります。また現在も旧流路跡に沿って吉川市越谷市の境界線になっています。
新方川は千間堀(せんげんぼり)とも呼ばれ、春日部市豊春地区の農業排水を基に流れができ、源流は越谷市との境界付近に定められている河川です。

 

昭和初期(?)新たに開削された中川流路部分、まっすぐです

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新川橋上から。〈あ、だから《新川》橋だ。〉

同じく上流方向

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新川橋を渡って右岸側へ移ります。

 

右岸側は越谷市、左岸側は吉川市ですがもう少し先で松伏町に入ります。
右岸側堤防上に使われなくなった道路

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右の中川新流路が開かれたときの堤防上にあった道路、最近別の新堤防と道路ができてここは河川敷となり、不要になったようです。
とはいえ歩くに支障はなく、ここを先へ。

 

ずっと行くと前方、林になって見えませんが中川、大落古利根川合流点に達します。

新川橋から1㎞弱、新方川合流点からは1.5㎞ほど。河川管理境界標があって大落古利根川・中川と分かれてます。

合流地点近くにて

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向こうには合流直前の中川に架かる弥生橋が一部見えます。

 

■大落古利根川 中川合流から古利根堰へ

中川と大落古利根川の合流点、河川敷に出て、いける所まで行き

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手前、左から右へ大落古利根川、その向こう中川。〈ちょうど合流点先端に人がひとり〉

中川の上流側に県道67号吉川松伏線、弥生橋が架かります。橋の向こう側は松伏町下赤岩。
中川の右岸側を並行して八間堀(農業排水)が流れ、ここで合流しています。
ここへ合流する中川の流れは昭和初期の河川改修により、それまで江戸川へ合流していた中川(当時の呼称は庄内古川)の瀬替えを行い、こちらへ新流路を開削して合流させたものです。

弥生橋が架かるまでここには渡船、下赤岩の渡しがありました。江戸期の前身は「孫七渡」と呼ばれました。当時の川幅は60間(108m)と記され、現在とほぼ同じだそうです。

 

八間堀の水門と大落古利根川

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離れて河川敷を俯瞰

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見えている流れは大落古利根川、右向こうへ中川と合流。
新しい道路ができるようで、橋脚だけが流路内にたってます。国道4号線バイパス?がこちらへ延長されるようです。〈詳細不明〉

 

越谷市松伏町境界をなす大落古利根川を、古利根堰まで右岸側をさかのぼって歩きます。

中川合流地点から約1㎞(越谷市増林)

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大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)
現在の流路延長は26.7㎞。
江戸時代以前、利根川東遷事業開始直前の利根川本流にあたります。
利根川東遷事業により上流側が閉め切られたため大幅に流量を減らし、名称も『古利根川』となりました。
現在、久喜市吉羽と杉戸町下野の境界、葛西橋を起点とし、越谷市増森と松伏町下赤岩境界で中川に合流します。
起点にはその上流側から葛西用水路が接続されていて、用水が流れ込む形になっています。そのため源流は存在しません。
下流側は中川に合流する形ですが、合流地点から上流の中川は昭和初期の河川改修により開削、接続されたもので、それ以前は現在の合流点以降も古利根川と呼ばれました。
昭和40年代まで流域の三郷市八潮市などで呼称は古利根川、それより下流で中川が使用されているようです。一方、中川合流点より上流側も同様に古利根川が使用されていました。
『大落古利根川』と”大落”が付け足された理由は、調べてもいまいちはっきりした説明が出てこないのですが〈わかったら書き直します〉、昭和50年代に河川法改正があり、それに関連して名称が変更(古利根川→大落古利根川)、中川合流以降は中川に名称統一になったのかと思います。(現在も通称として古利根川は使用されます。Googleマップの表記も古利根川
『大落』とは古く、農業用排水のことを〈落とし〉と呼び、この川には周囲の池、沼なども含め多くの落とし堀(排水路)が流れ込んでいたことからこの名をつけたようです。

 

手前、手動の取水門かな?、対岸は排水用、水門もなくそのまま水が落とされてるようです

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周囲は農業用水路が多く、その水門などを多く見かけます。

 

合流地点から1.5㎞ほどさかのぼるとふれあい橋、渡る道路名は『市役所前中央通り』なので越谷市道?
下流側から

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上流側に水管橋

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下は川が合流しているように見えます。この後ろ側に横井堀排水機場があり、用水路排水が排出されてました。

 

その先、右岸側は増林公園に入ります。

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左側道路の向こう一帯は現在公園ですが、明治期迅速測図には「桃」と記されていました。桃畑とは珍しい。

 

増林公園北側から河川敷

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さすがの元大河、利根川本流、広いです。以前は水量ももっと多かったのではと思います。

 

下流方向も

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この付近(に限ったことではないのですが)、水面は両岸よりも低くなっていますが、いわゆる堤防を嵩上げして造ってません。河川敷の外側はそのままの高さで道路、建物、畑などが連なっています。
川が運んできた土砂が周囲に積もり、微高地、自然堤防を形成しているのかと思われます。

 

増林公園の端から1㎞ほど先が古利根堰です。
右が古利根堰

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左にも水門が見えますが、近くを流れる新方川の古い調節池、大吉調節池からの排水門です。

その水路、新開堀

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新開堀の小さな排水ゲート横から大落古利根川本流(下流方向)

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古利根堰正面、下流側から

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ゲートはフルオープン状態。下流側から見て左側に葛西用水逆川)分水口があり、水が流れ出ています。

古利根堰

旧名は増林堰枠(ますばやしせきわく)、江戸時代初期に建設された石洗堰(固定堰)が起源です。現在は鋼製ローラーゲート3門の堰です。
大落古利根川の流れを堰き止め、堰の右岸から逆川へ分水、元荒川の現越谷市役所近くにある瓦曽根溜井(かわらぞねためい)へ送水されています。逆川は瀬替えで残った利根川、荒川の旧河道を利用した形態の用水路です。
瓦曽根溜井の下流は八条用水、(南部)葛西用水などの用水路がいくつか分岐しています。かつての葛西用水は現在の墨田区まで流れ、そちらでは曳舟川と呼ばれていました。
先にも書きましたが、大落古利根川の起点にも葛西用水が接続され、上流から用水が流れ込んでいます。起点から古利根堰までは葛西用水と大落古利根川の河道共用区間です。〈どちらの水かなんて区別つきませんが、川と用水、用水同士が一定区間同じ河道を共用するのはよくあります。〉

 

逆川葛西用水)分流点近くから

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右向こうが古利根堰ゲート。

 

その流れの先、逆川は《つり堀》状態です

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一方、古利根堰の上流側は堰が水流を遮るため、河道部分は大きなため池(貯水池)のようになります。ここでは『松伏溜井(まつぶしためい)』と呼ばれています。
その先は次のノートにまわします。

 

中川を吉川まで (前回分の記録)

miwa3k.hatenablog.jp

続きです 

miwa3k.hatenablog.jp

地図:今回分は《中川(4)》《大落古利根川(1)》