散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

見沼代用水を歩く その5 秩父鉄道見沼代用水橋梁(行田)から利根大堰へ

見沼代用水歩き〈その5〉、上尾市の瓦葺分水工からさかのぼって歩いています。今回は目的としている見沼代用水路起点、利根大堰までの記録です。

現在地は行田市荒木、秩父鉄道見沼代用水橋梁近く。電車の通過を待っていたらほどなく

真っ赤な橋ににぎやかな電車が通りかかりました。

電車は3両編成。赤だけが目立っていた風景がいっとき楽しい色の洪水になりました。

いろんな色のラッピング車両と赤い橋で全然目立ちませんが左端に架線柱が1つ立ってます。秩父鉄道でよく見かけるちょっと頼りないかんじの柱は古レールを繋ぎ合わせたものですが、この付近、1900年製造の刻印が残るレールもあるそうです。ぎりぎりですが19世紀、それを知ると細い架線柱も見え方が変わってしまいます。

赤い橋梁同様に明治の遺産が並んで現役使用中、貴重な風景ですね。

 

線路を横切れないので近くの踏切へまわり

ここにも同じタイプの架線柱が立ってます。

 

踏切を渡って再び見沼代用水に戻り、秩父鉄道の赤い橋梁を反対側から

こちら側からは陰になってちっとも目立ちません。

フェンス前には『見沼代用水』標識、すぐ横、道路には棒川橋が架かります。


棒川橋から上流方向を見て

橋は最近架け替えられたようで新しいです。ここには見沼代用水ではなく『星川』と掲示されてます。

この橋を通る道は現在県道7号(佐野行田線)ですが古くは『日光裏街道』、明治以前からここには橋があったそうです。

右に写る管理道を先へ

 

400mほどさかのぼると流れの合流点に出合います。
見沼代用水・星川合流地点

右から流れ込むのが見沼代用水、左が自然河川の星川です(これより上流は『上星川』とも呼ばれます)。
利根川で取水された見沼代用水はここまで人工的に開削された水路を下って星川の河道へと導かれます。
星川につなぐ事は江戸時代の見沼代用水路開削時に計画されたもので、工事距離、期間の短縮が見込め、星川からの補水により安定した水量を確保できるためなどといわれています。

ここで合流した水路は約17㎞下流の八間堰、十六間堰〈このノート、見沼代用水・その2に記載〉で再び2つに分流、八間堰を通過する水が見沼代用水として下流側へ流れていきます。(残りは十六間堰から星川へ放流)

見沼代用水のこれより上流、利根川取水地点の利根大堰までは再び人工的に開削された水路です。
2つの流れの間『見沼公園』へ右奥にある橋を渡って入ります。

 

見沼公園へ入る橋上から見沼代用水下流方向

先で右カーブし星川に合流です。

護岸の形状がこれより先は斜めに傾斜していますが手前用水路になると垂直に変化、この形状が利根大堰近く、用水路起点まで続きます。
八間堰下流の水路護岸も垂直でしたので水路と河川、何か決まりでもあるのでしょうか。

 

見沼公園先端、合流地点を望む場所から

舳先に生えた木が成長して合流点が良く見えませんが
左が見沼代用水、右から星川、合流して前方へ流れていきます。

 

[上]星川の上流方向、上星川橋たもとから

 

上星川橋と合流点間の上星川最後の区間

右岸に星川水門があります。よく見えてないので

別位置から

星川水門は武蔵水路と星川を結び、星川洪水時に武蔵水路へ水を取り込みます。

ここで『武蔵水路』新登場しました。
利根川と荒川を結ぶ武蔵水路、見沼代用水同様利根大堰で取水され、ここまで並流している大きな水路です。
完成は1967(昭和42)年、最近大規模改修されてます。
荒川へ都市用水、浄化用水を補う事と水路周辺河川の洪水、出水を取り込む役割があります。(公園内解説板より)

 

武蔵水路は上星川橋付近で星川の下を伏越で横切っています。
[上]星川(左)と武蔵水路上星川伏越吞口付近(右)

上星川橋を通る道路手前を武蔵水路が並行し、星川の下を伏越して左へ流れていきます。星川を越えるとすぐまた地上に現れ、星川水門からの水路と合わさります。(洪水時以外星川水門は閉じてます)

 

こちらは武蔵水路、上星川伏越手前(上流側)
前方の水門は荒木制水ゲートといいます

 

武蔵水路と見沼代用水路は見沼公園より上流側で並流していますが荒木制水ゲートのすぐ上流で互いの流れがクロス(X)しており、そこにも伏越(荒木伏越)があります。

武蔵水路、荒木制水ゲート付近から荒木伏越吐口方向を見て

出口の見えてる水路トンネル部分が荒木伏越。武蔵水路は地下を潜り、その先〈見にくいけど〉白いフェンス部分、地上を見沼代用水が横切っています。

 

荒木伏越通過地点地上から

その上の写真の先、見沼代用水路上からふり返って見てます。

右手前から左へ地上を見沼代用水、正面前方は荒木制水ゲートで足元からそちらへ地下、武蔵水路が伏越しています。
地上は県道20号が通り荒木橋、その上からの風景です。

 

荒木伏越にかかる直前の武蔵水路

左側草むらの向こうに見沼代用水路がありますが見通せません。

 

こちらが見沼代用水路

弥五郎橋上から。

右側に別の水路を従えてますが行田浄水場へ向かう水ではないかと推測(見沼代用水同様利根大堰で取水)

星川より上流側の見沼代用水、水量はかなりしぼられてます。すでに農繁期ではないからですが別の理由もありました〈そちらは先で〉。

左側の道路をさかのぼります。

 

利根大堰まで1kmポスト現る

武蔵水路や上星川合流、伏越とかいろいろ見ていて存在をすっかり忘れてました
先ほどの弥五郎橋からはちょうど1㎞ほど離れているのでその付近に2kmポストがあったはずですが見逃してました。〈3㎞ポストもですけど〉

 

それからさらに約300m
見沼元圦公園、その南端にある展望施設

元圦(もといり)というのは用水取入れ口のこと、昔の言い方です。いよいよ利根川が近づいてきました。

ここから利根川堤防付近までは見沼代用水旧流路跡を整備した公園が南北長細く続き、その南端に展望施設があります。

手前で川幅が広がっていますが、左側に旧流路(現在は別の農業用水路の余水が流れてくる)の水が合流しているためです。

正面に見えるのが利根大堰からの見沼代用水路(現在の本流)。
右側、水門のあるところは〈たぶん〉行田浄水場へ向かう水路。

 

展望施設の上から各水路の下流方向を見て

左に武蔵水路、手前から見沼代用水路、右端から見沼代用水旧流路。

 

展望施設の少し上流側でそれぞれの流れを見てみます。
こちら見沼代用水旧流路

量は少ないものの水が流れてます。

 

利根大堰からくる現見沼代用水路

この時は水路すぐ先で工事が行われていました。
見てのとおり水はまったく流れていません。
星川合流までの区間は見沼代用水旧流路経由で下ってくる水しか流れてなかったというわけです。(この水路、冬場、農閑期は水量は減るものの常時水は流されているということですが、水流なし。珍しいのかな?)

 

その隣り、武蔵水路

勢いよし
こちらは順調なようです。

見沼代用水路も農繁期はこれくらい豪快に水が落ちています。

そのまた隣りには埼玉用水路が通ってますがそちらは未確認。

 

見沼元圦公園に戻って先へ。
風車〈もどき?〉

利根大堰で取られた水が利根導水路を通って見沼代用水、武蔵水路、埼玉用水路などに分けられ大きな水路が何本か通っています。その風景をオランダの水路に見立てたのでしょうか?? 

水路はこの風車からやや離れたところにあります。

公園の北端近くで県道を横切ると見沼代用水元圦史跡。様々な碑や神社祠があってそのすぐ先は利根川堤防、かつての見沼代用水取入れ口があった場所です。
現在元圦の痕跡などは何も残っていません。

また、緑のヘルシーロード起点標柱もあります。〈それも結局見逃してた....〉

 

そこから200mほど東側(利根川下流方向)に利根大堰はじめ取水口、利根導水路、分水工など現在使用されている施設があります。

 

利根川堤防沿いを通る県道59号須加大橋から見た分水工

利根大堰で取水、利根導水路を通った水を各水路に分ける施設です。
手前利根導水路の先でプールのように広がり中に隔壁が3つ見え、こちらは沈砂池にもなってます。

その先で5つの水路(左から邑楽用水路、埼玉用水路、武蔵水路、見沼代用水路、行田浄水場の表示あり)に分かれてます。流量が多いのは武蔵水路、見沼代用水、埼玉用水。


須加大橋反対側から利根導水路、須加樋管

利根導水路真上からです。前方は利根川右岸堤防、その下に樋管が通って水が堤防の外へ出てきます。見えているのは出口側のゲートということになります。

左側の建物は利根導水路総合事務所

 

出口側ゲート背後から利根導水路と分水工

利根川堤防から導水路下流方向を見てます。かなり大量の水が力強く流れてました。

 

振り向くと利根大堰が見えますがその手前に長く
須加樋管入口側ゲート

 

そしてこちらが利根大堰

手前が取水口、管理道路の橋の下を通って須加樋管へ導かれます。


位置を少し変えて
利根大堰、取水口

利根大堰は利根川河口から154㎞地点にあります。現在の大堰が完成したのは1968(昭和43)年、日本最大の取水量を持つ堰です。

江戸時代の見沼代用水開削時は川幅全体を使った堰はなく〈そんな土木技術はまだなかった〉、単に導流路と木造の樋管(堤防をくぐりぬけるトンネル)を設けて水を堤防の外へ導きました。
利根川の増水時は樋管入口部分ゲート(木製の蓋)を閉じ、用水への流入を防いだそうです。

 

利根大堰に併設されている管理橋(武蔵大橋)から

取水口と利根川
大堰の上流側は水が滞留するので利根川は湖のようになってます。

 

「利根大堰」銘板、定礎

銘板「利根大堰 着工 昭和40年11月 竣工 昭和43年7月 水資源開発公団」

〈幅の狭い管理橋、歩いていると大型車のミラーに頭叩かれそう 恐怖だった〉

 

2号堰柱先から取水口側をふり返り


無事渡り終えて対岸から

 

利根大堰まで来た見沼代用水、東縁西縁含めて踏破しました。

そして日本三大用水といわれる用水路の2つ、見沼代用水、葛西用水を歩ききりました。残るは愛知県の明治用水か...

 

見沼代用水 瓦葺分水工から利根大堰まで

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見沼代用水流路地図