神奈川県大磯町から二宮町、小田原市を経由して開成町まで歩きました。
いつものようにお写んぽ📷の記録。
大磯駅前ロータリーのモニュメントから
西方向へしばらく細道を歩き
住宅地をぬけると
露地の園芸用花店
時期的にパンジー、ビオラがたくさん
電車のなかからも目立ちそうです。
大磯城山(おおいそじょうやま)公園へ入りました。
三井財閥本家の別荘跡と旧吉田茂邸の跡地が県立公園になっています。今回は三井別邸地区のみ通過しました。
当時の建物などはあまり残ってなく、展望台へあがって景色を眺めてきました。
正面は箱根の山々
相模湾から伊豆半島方面
展望台になっている場所には城山荘本館の建物があったそうで、解説によれば
《中門から北に向かって坂を登ってゆくと本館が姿を現し、道は大きく曲がって車寄せとして三井家の方々が車の乗り降りをしていました》
こちらは「不動池」
池に注がれる「小淘綾ノ滝(こゆるぎのたき)」も散策路沿いにあります。
茶室もあるお休み処城山庵横の散策路
公園から外へ出てすぐ
旧東海道と本郷橋
親柱や欄干などのデザインがユニークな橋、かながわの橋100選のひとつでもあります。
現橋の竣工は1927(昭和2)年、材質はごく普通の鉄筋コンクリート橋ですが数年前に橋全体をまっ白に塗って道路上からも映えるようになりました。
本郷橋、川下側から
以前は欄干より下の部分だけが白塗りだったと思います。
橋の向こう林の中が城山公園。
いったん国道1号を渡り、海岸側へ出ます。
周辺は農地のなかに住宅が点在するのどかなところです。
大磯ロングビーチ、プリンスホテルの先からふり返る形で
正面がホテル建物。〈あの付近で以前カラスに襲撃されたの思い出した..〉
しばらく行くと二宮町
西湘バイパス二宮IC付近で海発見
海まで遠くないところを歩いているのですが案外見えないんです。
東海道(国道1号)と西湘バイパスの間、住宅地のなかを西に。
吾妻神社の鳥居前で国道を渡り旧東海道へ
奥が吾妻山、鳥居前を横切るのが旧東海道
その道すじで吾妻山と一体化している醤油蔵
正面にまわると「醤油蔵元」の文字があるヤマニ醤油の醸造所、でしたが現在は稼働していないのだとか
今度は国道1号梅沢橋の下をくぐって海岸へ寄り道
西湘バイパスの下もくぐるとこのあたりは
梅沢海岸でよかったのかな
右の方見切れてますが突堤ひとつだけの小さな二宮漁港があります。
再び東海道に戻り
二宮の一里塚跡
江戸より十八里目の一里塚跡、現在は消防隊の物置に変わりました..〈撮影位置が悪いのです〉
碑の手前の道が旧東海道、この付近は大磯宿と小田原宿の間ですが距離があるため休息場所として「立場」がありました。
ここの立場には本陣と呼ばれた施設もあったようで宿場に近い発展があったのかもしれません。
旧東海道、その先少し国道1号を通ってからまた別の道へ。
塔台川にかかる古い橋
国道1号と東海道線の間、ちょっと小高いところを通る道は国府津の東で東海道から分岐する羽根尾通り大山道
伊勢原にある大山へつながる道を少しだけ逆にたどってから
西湘バイパス、また海岸沿いに
その先国府津駅裏から巡礼街道へ出ました。
巡礼街道とは国府津付近の東海道から分かれて西に進み、現在の小田原市飯泉にある通称飯泉観音、勝福寺に向かう道です。勝福寺は坂東三十三観音巡礼の札所のため、巡礼街道の名前があります。
東海道から分かれて西に一直線の道、現在もそのままですが道路も拡張、周辺は郊外型ショッピングセンターだらけのお買い物街道に変わりました。
一直線の道
直線コース2キロちょっと先で斜めにまじわる道へ移ります。巡礼は諦めました。
右へ
折れた道も地図を見るとひたすらまっすぐです。
でも、広い道なのに橋の部分だけ急に狭くなってたり
大きな道路とぶつかると反対側に渡れなかったりで、使い勝手のよい道ではありません。
県道を〈車のすきまをぬって〉渡ったところでふり返り
向こうからこちらへやってきました。
右側畑の中には大きな木のはえた塚がぽつんとありました。
真っすぐな道だけどあちこちジグザグに歩いて最後までたどると酒匂川に出ました。
そこにかかっていた富士道橋をわたります
箱根の山がだいぶ近くなってきました。西日が眩しい
酒匂川(さかわがわ)上流方向
橋を渡ってから川の上流へ歩きます
左は黒松の並木。二宮尊徳(金次郎)が治水のために植えたものがこの松並木のはじまりと言われています。
クロマツは地下に根を広くはるので堤防が頑丈になるということです。
右岸堤防から対岸、横に長くのびる曽我丘陵
堤防の上を歩いていくといつの間にか川の外側へ逸れていってしまうところがあります。
霞堤です。先に解説から
右側の文
霞堤は、武田信玄が考案したといわれていることから、信玄堤とも呼ばれ、優れた治水技術として多くの急流河川に造られたもので、堤防のところどころを切って二重にし、その間を水田にするなど遊水機能を持たせています。
江戸時代には、酒匂川にもたくさんの霞堤が築かれましたが、治水技術の発達とともに姿を消しました。現在では、この場所の他、足柄大橋付近の右岸や小田原アリーナ付近で見ることができます。
神奈川県県西土木事務所
中央の図の下
霞堤の解説
①酒匂川に大水が出たとき、堤防の切れ間から水が逆流してきます。
②二重になった堤防の間の水田などで水が蓄えられます。
③酒匂川の水位が下がると蓄えられた水は酒匂川に戻っていきます。
実際の様子
左がさかのぼって歩いてきた堤防。右側に川が流れているのですがその手前、中央少し右で堤防の草が茶色く写っているところから別の堤防が出現して左向こう方向へのびています。
川の水が増えると奥からこちらへ水が入ってきて2つの堤防の間、左向こう方向、畑や水田内に水が蓄えられます。
霞堤、もう少しさかのぼったところから
こちら側が外側堤防、向こうに長くのびているのが内側の堤防でそのまた向こうに川が流れています。
結構大きな面積の遊水地になっていることがわかります。
いい加減先まで行くと外側堤防が途切れますがそこから見た内側堤防の続き
また松並木が続いてます。
こちらは田んぼの間を歩いていきます。
ほどなく小田原市から開成町へ
小田急線開成駅を目指してもう少し歩きますが記録はここまで。