散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

酒匂堰を歩く その1 小八幡川・森戸川合流点から鬼柳分水堰へさかのぼる

酒匂堰(さかわぜき)をたどって歩いてきました。

予備知識仕入れずに訪れたので後から少し調べたことをここに書きます。ちょっと長めのうだうだですが

酒匂堰は、「堰」とありますが農業用水路です。
「堰」は一般に川からの取水や水深、流量を制御するなどで流れをせき止めるための構造物を指しますが、ここでは水路の名称として使われてます。周辺の水路もいくつか「用水」の代わりに「堰」が使用されているので一種方言のようなものかと想像します。
神奈川県西部を流れる酒匂川から足柄平野酒匂川左岸側の農地へ水をひくために開かれました。
最初の事業は慶長年間(1596~1615)に行われ、当初の取水口は現在の神奈川県大井町金手の酒匂川左岸土手にありました。
その後取水口の変更や水路の拡張など様々な改修が実施されています。
現在純粋に「酒匂堰」とされるのは当初の取水口(大井町金手)にあたる鬼柳分水堰から万石橋(小田原市矢作・中里境界)までの区間、延長6897mとなっており、万石橋より下流は準用河川・小八幡(こやわた)川と名前変わって流れ下っています。
実際は管理主体が神奈川県と酒匂川左岸土地改良区(用水路)から小田原市(河川)に変わるということで流れの見た目には何の変化もありません。

先に記してしまいますが、水路全体歩いてみた感想は『地味な川...』、まあ季節、天候のせいもあります。昔の用水路の遺構なんかが残ってると良かったのですが、どこも現代風に改修された後でした。

 

今回は下流側、河川に変わった小八幡川から流れをさかのぼって歩きました。

小八幡川は最後森戸川に合流し、合流後森戸川もすぐに相模湾へと注ぎます。
小八幡川と森戸川合流点(小田原市国府津)

手前から左向こうへ森戸川、右の橋の下から小八幡川(酒匂堰)が流れ込みます。
左の水色の橋が国道1号親木橋、その下をくぐってあと300m弱で相模湾(その手前に西湘バイパス)。
右側の橋(「たかのはし」漢字未確認)を通る道路は神奈川県道72号(松田国府津線)。交差点名は「親木橋」。

合流点から300mくらいさかのぼり(小田原市小八幡)

川下流部の地名が小八幡。このへんだいぶ川幅広くとられてます。開削当時は不明ですがかなり拡張されてると思います。
川の正面に見えるのは箱根の二子山。

同じく小八幡から川下流方向


東海道線線路をくぐって上流側から(小田原市酒匂)

このあたり流れの向きが変わるところです。
下流の方では西から東へ流れていますが、次第にカーブし、北北西から南南東方向に流れるようになります。足柄平野がそちら方向の勾配になっているためで、他の河川水路も同じ方向に流れてます。

小さな人道橋上から上流方向を見て(小田原市矢作)

あと500mほどで小八幡川から酒匂堰に変わる万石橋。

意識してなかったせいか万石橋あたりは素通りしてて何も記録してません。
あとからストリートビューで見ましたが様子が変わるわけでも、何か目印があるわけでもなく。

なし崩し的にこの先呼称を「酒匂堰」として..

万石橋から300mくらいさかのぼったところの堰

水を堰き止めて水位をあげ、両岸にある水色の取水口から別の水路に水を流し出しています。本来の「堰」ですね。
ただ、手前、堰(ダム)になっているものが特徴的です。ゴムでできていてファブリダム、ラバーダム、ゴム引布製起伏堰なんて呼ばれ、内部にポンプで水をいれて(空気をいれる方式もあり)膨らますことで堰を設けることができます。不要時は川底にしぼんでいるので水はそのまま流れていきます。
〈お手軽かつ耐久性もあるそうで、最近わりとあちこちで見かけます。しぼんでると目立ちませんが〉

堰横の小さい水路

こちらに水が送られ、周辺農地に流されていくのですね。対岸にも取水口があったのでそちらにも水路があるのでしょう。
ちなみに正面の四角い建物は堰のポンプ室です。

このタイプの堰、この周辺に集中していくつか設置されてました。

しぼんだ状態はこんなの(小田原市別の場所)


小田原厚木道路高架をくぐった酒匂堰

 

小田原厚木道路より下流側はおもに住宅地でしたがこれより水田メインの農地に

東の曽我丘陵方向

酒匂堰が農地の発展に大きく貢献したのでしょうね。

 

このような碑がありました

用水路の開削は江戸時代慶長年間ということでしたがその後も様々改修拡張が重ねられ、これは1984(昭和59)年から1993(平成5)年にかけての改修工事完了を記念して神奈川県がたてた碑だそうです。
この時も水路の拡張工事が行われていますが、理由は水田農地の減少により雨水の貯留機能が薄らぎ、酒匂堰に水が集中して排水能力が不足したためとのこと。(隣りに立つ解説文を抜粋)
水がより多く必要になったためではなく全く逆の理由なのですね。

 

碑の近く上府中公園あたりの酒匂堰


その先、ちょっと単調で中だるみ気味

 

小田原市から大井町の流れに移ります。

菊川(自然河川)との合流点

左正面は酒匂堰の二方堰。右から菊川が流れ下ってきます。〈見にくい〉

菊川は東の曽我丘陵にあるいくつかの源流が合わさってこちらへ流れてきます。

酒匂堰合流点近くの菊川

菊川、現在は全量酒匂堰と合流していますが酒匂堰開削時に流れが分断されたようで、西側には現在も「下菊川」の名称でかつての菊川の下流部が独立した流れとして残っています。

二方堰上流側の酒匂堰

下流の堰が閉じ気味のようで水位が高く流れが緩やかに。

もう少し上流

このあたり大井町役場も近い町の中心部。

 

清酒箱根山などを醸す井上酒造の建物をちらりと

こちらの蔵元から50mほどのところを酒匂堰が流れています。

 

その流れは町のなかで方向を変えて国道255号の下を潜ります。

国道をまたぐ歩道橋から

ここで水路が合流してます。左から酒匂堰、右は和田堰(これも水路ですが名称には「堰」)。

どちらも農業用水路ですがこのようにコンクリートで固められると都市河川と何ら変わるところはありません。

酒匂堰はしばらく左の道路と並走します。

 

さらに1㎞ほどさかのぼった先

酒匂堰の上を水路橋が横切ってます。水は流れてませんがどこかの用水路から分けられた支流、ここは用水路同士の立体交差です。
支流水路は道路下をくぐって向こうの水田につながっているようでした。

また左奥にも堰水門(ローラーゲート式)が見えてます。あちらはゲートの開閉で水を堰き止めて取水するタイプ。現在は開きっぱであの水門からは取水されていないようでした。

それとこのへんの酒匂堰水位、とても低いです。農閑期で取水口での水量がかなり絞られてます。そして下流に向かうにつれ、いくつかの水路、河川の合流を繰り返して水量が増えているということもわかります。


さらに500mほどさかのぼり

さかのぼるにつれて流れは酒匂川に近づいていきます。
左端に少し写るのは酒匂川を渡る足柄紫水大橋、正面左右にのびているのが酒匂川の左岸堤防です。

足元水路は

あと300mほどで現在の酒匂堰起点、かつての取水口があった鬼柳分水堰です。

 

ちょっと水量がさびしい鬼柳分水堰に着きました。

現在ここは酒匂堰と別の用水路、鬼柳堰の水が分けられる〈文字通りの〉分水堰です。

別角度から

奥から酒匂堰の「素」となる酒匂川左岸幹線用水が流れてきます。手前に3つのゲートがあり、右2つが酒匂堰へ、左1つが鬼柳堰へ流れていく水の入口(水門)になっています。

保守用通路に「鬼柳分水堰」銘板が掲げられてます。

 

酒匂堰のはじまり(起点)

分水堰で酒匂堰側水路に入った水は写真向こう側へ、白いガードレール沿いに下っていきます。


こちらは分水堰を背後に


一番右側まっすぐ向こうへ流れていくのが鬼柳堰の水路、白いガードレールは酒匂堰。
中央赤白車止めから2方向にも分水堰から水を流すことができるようです。

 

またこの付近は昔、酒匂堰の取水口があった場所でもあります。

酒匂川堤防、取水口のあったあたり(大井町金手)

ここにあった石造りの水門は取水口が川の上流に移される1937(昭和12)年まで使用され、現在その一部が大井町役場に移設復元されているそうです。

こちらに写真がありました。

https://www.town.oi.kanagawa.jp/uploaded/attachment/2454.pdf

 

鬼柳分水堰より上流は正確には「酒匂川左岸幹線用水」の名称になるのですが、1937年に移設された現在の取水口までは酒匂堰で通じるようなので、酒匂堰のままもう少し上流へ歩きます。ただしノートの方が長くなってきたのでいったん休憩とします。