散歩の途中

散歩しながら観察して記録してちょっと調べて書くノート

六本松通り大山道を歩く 東海道小田原宿から羽根尾通り合流まで

最近恒例の大山道歩き、今回は小田原を起点とする六本松通り大山道を歩きました。

Wikipedia:大山道による経路は以下のようになっています。

東海道小田原宿(以降、神奈川県小田原市) - 多古村 - 飯泉の渡し(酒匂川) - 勝福寺門前町 - 千代村 - 高田村 - 曽我別所村 - 山彦山 - 六本松 - 田中村(以降、足柄上郡中井町) - 五所宮 - 久所 - 井ノ口村 - 大竹村(以降、秦野市) - 十日市場(曽屋) - 寺山村 - 小蓑毛村横畑 - 坂本村伊勢原市) - 大山

途中、久所の先、一本松で羽根尾通り大山道と合流しますが、そこから十日市場(曽屋)までは羽根尾通り経由ですでに歩いているので今回は省略しました。
小田原宿から羽根尾通り大山道合流までの区間を歩きます。

六本松通り大山道 足あと 《小田原~久所(一本松)》

 

スタートは東海道小田原宿です。

小田原駅で電車を降り、小田原城堀端を満開の桜を見ながら東海道へ向かいました。
桜や花の様子は前回別途まとめました。 華やかになるので、桜の写真を1枚くらいこちらにも出しておきましょう。
小田原城お堀端通りの桜並木

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この通りを行くと、御幸の浜交差点で東海道(現、国道1号)とぶつかります。
そこはかつての小田原宿内、交差点を江戸方へ左折します。

 

東海道小田原宿、本町付近

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本町交差点前に古い建物を復元した「小田原宿なりわい交流館」があります。

国道1号はこの交差点で左折しますが、そのまままっすぐ旧東海道の道すじに入り、次の青物町交差点まで行きます。

 

青物町交差点から旧東海道江戸方向を向いて

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いわゆる六本松通り大山道はここを左折し、現在”国際通り”と呼ばれる道に入ります。

 

国際通りから 手前台宿町、向こうは大工町、大工町通り交差点

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まだ宿場、城下の町の名残りがあるところで、時々商店の古い建物なども残っています。

 

通りをずっと北へまっすぐ進むと東海道線、新幹線のガードをくぐり、山王川を渡ります。

山王川・扇橋から

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橋を渡るとかつての井細田(いさいだ)村です。

歩いている道路は国道255号になっています。この先多古交差点を右に折れて酒匂川、飯泉(いいずみ)橋へ出ます。
今回この付近、国道255号を歩きましたが、帰ってから再度調べてみると、扇橋の手前寺町交差点を右に分岐する道が旧道だったようで、そちらに入って飯泉の渡しまで行くべきだったようです。
ちょっとミスりました。

 

飯泉橋へのアプローチ

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酒匂川を渡ります。昔の街道は飯泉橋の数百メートル上流に飯泉の渡しがあり、舟で川を渡りました。

飯泉橋から渡し舟のあった方を見て

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上流側は酒匂川(右)と狩川(左)の合流点です。
合流点と橋の間に渡し場があったはずです。

 

飯泉橋を渡るとすぐに左折し、左岸側の渡し場からくる道に出ます。
その道に出ると梅干し製造工場の前を通り、すぐに飯泉観音、飯泉山勝福寺前です。昔は飯泉の渡しが小田原方面からこのお寺への連絡船でもあったのですね。

飯泉山勝福寺(いいずみざんしょうふくじ)、通称飯泉観音、仁王門前

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坂東三十三観音霊場第5番札所として有名な寺院です。

仁王門前の解説

飯泉山勝福寺(通称 飯泉観音)
飯泉山勝福寺は、真言宗東寺派に属し、十一面観音を本尊とする。創立は、奈良時代の頃で、弓削道鏡が流されて下野に赴くとき、千代の里に寺を建立し、孝謙天皇より賜った唐国伝来の観音像を安置したのに始まると伝えられる(千葉山弓削寺)。
後に寺が焼けて当地に移され、飯泉山勝福寺と称した。阪東33観音の5番札所としても有名で、国府津の親木橋から当寺までの道路は巡礼街道と呼ばれている。
棟札によれば、現在の本堂は宝永3年(1706)に再建されたもので、江戸初期頃の古式をとどめた地方色豊かな建物である。
本寺にまつわる伝承として、曽我兄弟が仇討祈願のために日参し、五郎が百人力、十郎が千人力を授かり、富士の裾野で仇討に成功したことや、講談で有名な雷電為右衛門が、田舎相撲の大岩大五郎を倒したことがある。また、二宮尊徳が少年時代の頃、旅僧から観音経を聞き、一念発起した地であるといわれている。
飯泉観音の縁日は、1月18日が初観音、8月9日・10日が四万八千日、12月17・18日がだるま市で、いずれも市が立ち、多くの人で賑わう。

三十三観音参詣(巡礼)は江戸時代頃にはとても盛んだったようで、神奈川県内に残る古い道標にはここ飯泉観音を指す「いいすみ」、平塚金目観音の「かない」、座間星谷寺の「ほしのや」、横浜弘明寺の「ぐめうじ」などと刻まれているものをたくさん見かけます。

 

仁王門から本堂

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本堂横から

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境内の大イチョウ(仁王門の柱の陰になってる)、本堂後ろの樹叢は県指定天然記念物、本堂と十一面観音像は県指定文化財に登録されています。

江戸時代には相当エキサイトだったに違いない巡礼観光地ですが、訪れたときは誰もいませんでした。(こんな言い方しちゃってよいものか?)

 

門前の巡礼街道

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これを先に進みます。

しばらく行くと飯泉交差点でまた国道255号に出ますが、その先でまた分かれて鴨宮方面へ歩きます。

 

春光院の横から

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寺院正面の門は別の場所にありますが、横から入るための石橋と灯籠などがあります。小川と満開の桜がいいかんじです。
歩いている道路は県道718号(鴨ノ宮停車場矢作線)です。

 

この先は道をあちこち折れ曲がり、曽我へと出ていきます。

その途中に見つけた「小田原の道祖神」(小田原市高田)

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中央の双体道祖神小田原市内で最古(340年以上前の建立)、市指定重要文化財だそうです。

左側の”おことば”が突き刺さります。

 

森戸川を満開の桜を眺めながら渡り、JR国府津車両センターで昼寝中の電車を見ると

JR御殿場線の踏切

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これを渡ると梅で有名な曽我です。

 

いったん県道(72号松田国府津線)に出て、そこからまた分岐するところに矢倉沢往還でも見かけた唯念上人の名号塔がありました。/このほか飯泉観音仁王門左側にも写ってます。
独特の書体、南無阿弥陀仏

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隣りには庚申塔、これから入って行く道をはさんで向こう側にも道祖神などが丁寧に祀られていました。

 

ここから曽我丘陵、六本松峠へ、山道を登っていきます。
六本松峠への道入口

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入るとすぐに「大山道」、「二宮尊徳遺髪塚」の標柱が立っていました。

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ちと長いのですが要約がうまくできなかったので全文

二宮尊徳遺髪塚
尊徳二宮金次郎の母よしの実家は、旧曽我別所村の川久保太兵衛であった。当時、川久保家は父太兵衛の才覚で繁栄していたが、兄太兵衛の代になると、分をこえた生活と病災にみまわれて家運も傾きはじめた。
天保一一(一八四〇)年、尊徳は川久保家の再興をはかることになり、市太郎、民次郎、常次郎の三人の子息に無利息の報徳金を貸与し、復興の指導を行った。その結果もっともすぐれた成果を上げた民次郎が川久保家をつぐことになった。この民次郎は下野国の桜町(栃木県二宮町)仕法時代から、永らく尊徳に従者として仕えており、尊徳の死去にあたり、その遺髪を得て曽我へ帰った。この遺髪塚は民次郎の遺言によるもので、孫の興三郎が昭和十三年にその遺志を継いで建てたものである。
小田原市教育委員会

大山道(おおやまみち)
大山は神奈川県の最高峰のひとつで、雨降山(あふりやま)とも呼ばれた。江戸時代にはその中腹の不動寺の鉄不動が広く尊崇され、明治以降は阿夫利神社が信仰されている。
相模平野の農村では雨乞いなど農業の守護が祈られ、漁村では船の上からも遥拝される山なので海上安全の目的で信仰された。江戸から講を作って参拝団がくるのは、春秋のレクリェーションの目的を兼ねていた。
その大山への参詣道が「大山みち」で、相模平野の各地から多くのルートがあった。曽我の大山みちは、千代ー曽我原ー殿沢川ー曽我別所ー六本松峠ー田中のルートである。
小田原市教育委員会

 遺髪塚前から

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この周囲はほとんど梅林です。花の季節はかなりにぎわいますが桜が咲くと誰もここにはいません。

 

梅林の間を、向こうに箱根を見て

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道の傾斜がきつくなると周囲は森になります。

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そして六本松峠まで急な上りが続きますが、峠の標高は200mほどなのできついのは一時です。

六本松址の碑

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ここにはかつて大きな六本の松があったので六本松と呼ばれるようになったそうです。現在は一本も残っていませんが。

大山道として利用されるずっと以前からここを通る道が存在し、弓削道鏡源頼朝などが通過、京都聖護院門跡の道興、松尾芭蕉与謝蕪村などが歌、句を詠んだとされています。
そして六本松通りの名称はここを通過することからつけられています、なんてことはいまさら説明するまでもありませんが。

峠のため、現在もあちこちの方向からここに道が集まっています。

 

尾根をこえるので反対側(東方向)が開けます
六本松から東側の風景

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大山道はここからいっそう細くなり、舗装のない山道をしばらく歩きます。

 

六本松から300mほどで「忍石」の祠があります。
その手前の道

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向こうに祠の屋根が少し。

曽我兄弟で有名な曽我十郎が仇討に旅立つ前、恋人の虎御前とこの忍石の辺りで別れを惜しんだとされています。
祠の中には大きな石が祀られていましたが、まあ、それだけ…ではあります。

 

しばらく草むらに埋もれそうな道を歩いて行きます。

森が途切れて展望ひらける

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このあたり大山道の旧道は少し離れたところを通っていました。現在そちらは採石場になって、街道は周囲の山もろとも崩されて跡形もなくなってしまいました。

丘陵から道を下りてくる途中、採石場からくる、砂ぼこりをあげたダンプカーが何台も行き交う道路を横切ります。

 

そしてまた人里へと出てきます。
下は中井町田中

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あちらへ下りて行きます。
正面の山は大山です。

 

里へ下りてきて川を渡ります。
旭橋と中村川

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この橋を渡って右方へ行くと朱の鮮やかな鳥居。

五所八幡宮

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周辺の桜がきれいに咲いていたのを別ノートの写真で紹介したところです。

中の階段にひるんで、鳥居に向かってサムアップしてから通過しました。

 

八幡宮先の分岐を左にとり、藤沢川を渡った先に大山道道標などの石仏を集めた場所がありました。

久しぶりに見た不動明王像ののった大山道道標、など(中井町久所)

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道標には「大山 三里 金目 二里」とあります。金目は坂東三十三観音札所のひとつ金目観音をさしています。

 

この後、道は再び丘陵に上がるため、急坂にさしかかります。
坂の途中には現在日立システムズの事業所などがあって道路もかなり拡張されています。

その坂を上がり切ると一本松と呼ばれる場所、ここで羽根尾通り大山道と合流します。

羽根尾通り大山道合流地点

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右上からくるのが羽根尾通りです。

 

六本松通り側を振り返って

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この日はこの道を上がってきました。

右側解説(羽根尾通りのノート内にも一部引用しましたが)

一本松と道標
ここは、昭和初期まで形のよい松の古木が聳えていて、里の人に親しまれてきたが、今は枯れてなくなっている。
かつてはこの付近に、大山街道往還の休息所として茶店があり、大変賑わったと伝えられる。ここは、現在石の道標が二基残っており、その文面は左記のとおりである。
「をたわら道これより三里
元禄三庚午歳六月吉日
山王為供養
此よりいゝつみまで二里
かなめまで二里
大山道これより三里
相州西郡中村之内久所村」

「従是 右 いゝすみ
    左 小田原」

平成二年三月 中井町教育委員会

 「いゝつみ」、「いゝすみ」はここへ来るのに通ってきた飯泉観音のことです。

 

道の北側、石垣の上にのった道標は羽根尾通りの方で紹介したので、南側のもう一方を

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「左小田原」は向こうにのびる羽根尾通りを経由して国府津付近で東海道に出て小田原ということでしょう。右いゝすみは六本松通り、ここに至る道を逆に行って飯泉観音です。

 

この合流地点から北へ、井ノ口、曽屋(秦野)へ至る道は引き続き六本松通り大山道となっているようですが、羽根尾通りを来たときに先へ歩いているのでそちらへ譲りたいと思います。

miwa3k.hatenablog.jp