散歩の途中

iPhoneもって散歩しながらあれこれ観察したノート

六郷用水を歩く その6郷を流れていた堀

六郷用水を歩く、狙ってこのようにまとめたわけではないが、6回目にして六郷地域へ入っていく。タイトルも若干無理があるが…
今回は南堀から蛸の手で3つに分岐した水路のうち、まだ辿っていなかった子の神堀、中宿堀の跡を歩く。

六郷用水流路地図

上地図で蛸の手から分かれて伸びる、紫色のラインが子の神堀、えんじ色のラインが中宿堀である。

蛸の手の解説ももう1回出しておこう

f:id:miwa3k:20180828104807j:plain

 

子の神堀

蛸の手で南堀から分かれてはじまる子の神堀であるが、蛸の手があったのは現在のJR蒲田電車区京浜東北線車両基地の中、いまや影もかたちもなく、たどって歩くこともできない。
堀跡は車両基地から出てくると自動車学校の敷地とJR東海道線の線路を横切り、この部分も勝手に通れない。

JR線路の東側へ、水路が出てきたところへまわってみる。
ここが子の神堀をたどる最初の地点(大田区蒲田本町1丁目と仲六郷1丁目境界)

f:id:miwa3k:20180911193003j:plain

行き止まりの道の先はJR東海道線、その向こうは自動車学校の敷地。

正面の駐禁標識の右側、フェンスに囲まれたところがあるが、
そこへカメラを突っ込んでみると

f:id:miwa3k:20180911193004j:plain

もう用をなさないコンクリ蓋と鉄板が無造作に放置されていたが、これはかつての子の神堀、水路の痕跡だと思う。
蓋のすきまから覗くと、確かに中は溝になっていた(だいぶ崩れてぼろぼろだった)が、当然水は流れていない。

ここから下流方向へ水路跡をたどり、歩き出す。
歩道が堀跡に違いない

f:id:miwa3k:20180911193005j:plain

まずはこんなかんじで東方向へ流れ下る。

京急線第一京浜を交差すると、南東~南へ流れの方向を変えていく。
このあたりの痕跡の残り方がなかなか良い。

ここは植え込みがあって

f:id:miwa3k:20180911193006j:plain

道路半分歩道

f:id:miwa3k:20180911193007j:plain

普通の道路として見ると、あり得ないところに電柱

f:id:miwa3k:20180911193008j:plain

左は一般道、右は水路跡だ

f:id:miwa3k:20180911193009j:plain

普通の道路側は道に面して家などの出入口が設けられ、水路などで人が通れなかった方は塀など家の裏面を向けている、の法則がここでも見られる。

子の神堀はこの近くで「七辻」という、七差路の近くを通る。(七辻まで行ったものの、辻の真ん中で一回転してパノラマ写真を撮る勇気はなかった。)

「七辻の由来」が道端にあったので文字起こしした。「子之神」の文字があった。

七辻の由来は、七本の道路が交差した地点という意味で名付けられたものである。大正六年から十年の歳月をかけて行われた耕地整理によって完成したもので、そのころは、荏原郡六郷村子之神と呼ばれ、人家もまばらで水田と桃・梨・ぶどうなどの果樹を植えた畑が広がり、春には花見客でにぎわったという。昭和の初期までは、農家の大八車が時折通るだけで七辻の道路も当時としては道幅が広すぎ、その両側には名もない草花が生い茂っていた。時代が移り変わり、多くの人々が住むようになっても自然を愛しやさしさと思いやりのある心は受け継がれ、この地に事故はない。
日本一ゆずり合いモデル交差点

そういえば七辻に信号機はない。

子の神堀跡の道路・七辻付近

f:id:miwa3k:20180911193010j:plain

しばらく行くと少し広い道路と合流して脇の歩道となり、その先を追っていくと

三重歩道?

f:id:miwa3k:20180911193011j:plain

右側は一段高い歩道、真ん中とその左側も車止めがあるから歩道、緑のガードレールの間だけが車道だ、変なの。(多分中央の歩道が水路跡)

この先、信号機付き交差点に差し掛かると、そこからは痕跡が消えてしまう。

子の神堀が多摩川へ出る直前(大田区南六郷1丁目、本羽田1丁目境界)

f:id:miwa3k:20180911193012j:plain

この手前で堀は二手に分かれ、一方がこの下を通って多摩川へ排出されていたらしい。前方小さく多摩川の堤防が見えているが、道路上、堤防にも堀の痕跡は残ってなかった。

もう一方は中宿堀の末端方へ流れて合流していたらしい。

そちらの水路跡も追って行ったつもりだったが、あとでチェックしてみると通りを1本間違えていた。(なんてこった。)ということでそちらの記録はない。

 

中宿堀

この堀も子の神堀と同じく南堀の末端、蛸の手で分岐してはじまる。分岐点は電車基地のなか、自動車学校敷地とJR東海道線を横切ってくるのも同じ。
ということで同じように東海道線線路の東側から水路をたどっていくことにする。

こちらも線路に向かって行き止まり道路から

f:id:miwa3k:20180911193013j:plain

位置的には子の神堀より少し南側になる。
ここには水路の痕跡はなさそうだと背後へ歩き出してしまったが、資材倉庫の向こう側線路内に、鉄道用ケーブルを水路上に渡すための小さなトラス橋があるということを後で知った。
(鉄道設備付近には水路痕跡残されやすいの法則がありそう。のちのち参考にしておこう。)

背後で痕跡は植え込み

f:id:miwa3k:20180911193014j:plain

右側と前方道路左側。

少し行くと私有地らしきところへ入っていく

f:id:miwa3k:20180911193015j:plain

前方で遮られているが、その向こうにまわってみるとこちらと同じように続いていた。

そのまた向こうでも細い路地をしばらく通り、仲六郷2丁目付近から雑色(ぞうしき)商店街のバス通りへ出てくる。
雑色商店街の通り

f:id:miwa3k:20180911193016j:plain

この通りは水路の痕跡はなさそう。何も見つからなかった。

しばらく真っ直ぐな商店街通りを南へ進み、ほかの道とぶつかって折れる直前で堀は細い路地へ折れ曲がる。
折れ曲がった先の堀跡

f:id:miwa3k:20180911193017j:plain

ここも左右の家が共に裏を向けているので、昔は人が通れなかった場所だということがわかる。

京急線線路、第一京浜と交差して、第一京浜の東側へ出てくる。
東側から第一京浜方向

f:id:miwa3k:20180911193018j:plain

横断歩道標識の向こう側に水路跡となる「すき間」が奥へ続いていた。あちらからこっちに流れがつながっていたのだろう。

一方手前側の水路跡はこの背後、短い間隔であちらこちらへ折れ曲がっている。
端的に表現できる写真がないのだが、六郷神社東側にて

f:id:miwa3k:20180911193019j:plain

本当にあちこち折れて流れていたのかわからないのだが、足元に「六郷用水物語」と書かれたタイルと案内矢印が密におかれているので、流路跡だと信用して歩いて行く。

六郷図書館横で大通りに出てしばらく何も痕跡がなくなるが、途中で直角に折れると再び中に植栽のある歩道が現れる。

f:id:miwa3k:20180911193020j:plain

すぐ前方で途切れて見えるが、このタイプの歩道が右へ折れ曲がって続いている。

南六郷2丁目団地横にて

f:id:miwa3k:20180911193021j:plain

この団地まで来ると、堀を模したせせらぎのあるプロムナードとなる。

このせせらぎはまっすぐ南六郷緑地まで続いて右に折れ、その先には水路の終点になる六郷水門がある。
南六郷緑地にはいる

f:id:miwa3k:20180911193022j:plain

ここでは反対側から子の神堀を流れてきた水も合流してくる。(自分は水路跡の道路を間違えたので合流地点の記録がない。)
2つの堀が合流し、水門を通って多摩川へ流れ出る。

水門手前でわずかに残る堀

f:id:miwa3k:20180911193023j:plain

六郷水門に近づく

f:id:miwa3k:20180911193024j:plain

口があいているところから水が向こう側の多摩川へ。右の建物は排水機場か?

多摩川堤防上から六郷用水側の堀を見る

f:id:miwa3k:20180911193025j:plain

欄干についている意匠、カタカナの”ロ”の字が9つと中央に「郷」で”ロク郷”,さまでした。

多摩川堤防側からみた六郷水門

f:id:miwa3k:20180911193026j:plain

1931(昭和6)年に完成した水門。それ以前がどうなっていたかは不明(というか調査していない)だが、水門自体は現役で、多摩川が増水した際には閉じられるそうだ。

六郷水門から多摩川本流へ「還って」いく水

f:id:miwa3k:20180911193027j:plain

狛江付近の多摩川で取水された六郷用水の水、かつてその一部はここから再び多摩川へもどっていった。
そういえば多摩川もこのあたりでの呼び名は六郷川だ。

 

六郷用水から分岐する小さな堀はまだまだたくさんあって、辿って行けるものもあるようだけれど、とりあえず今回の六郷用水歩きはここまでとする。