六郷用水、狛江からの本流と南北引分で大きく2つに分かれた南堀、北堀をこれまでたどってきた。
今回は用水路下流で大きな堀からさらに分岐した、支堀とでもいう流れをいくつかたどる。
なぜか2つずつ名前を持つ水路を3ヶ所。
地域的には現在の大田区内、蒲田、糀谷あたりを歩きまわる。
六郷用水流路地図
本流の後半と南堀蛸の手まで
北堀
上の「六郷用水流路地図」でオレンジ色の南堀から途中で分岐する茶色のラインで示してある流れになる。
堀の跡はすべて埋め立てられていて、現在は堀のあった上に整備された道路を歩くのみではある。途中、大田区役所の建物が流路上にあったりもする。
南堀との分岐点は大田区新蒲田2丁目6という場所、東急多摩川線線路を南堀が交差する手前に物置があったところ。
行き止まり写真再掲
左の止まれ標識から分かれる道がある。
近づくとこうなる
向こうへ伸びる道路が能登川堀の跡。
そちらへ進むと一直線の道路
水路を埋め立てた跡は細かく蛇行した道路となっている場合が多いが、この堀はまっすぐ直線の道路になった。
この道は先で突き当たる。右へ折れて東急多摩川線の踏切を渡り、すぐに左折し、線路を左に見ながらさらに直進する。
この付近、昭和40年頃までは自転車置き場のあたりが開渠の水路だった。そのあたり以下の資料に記述がある。
能登川堀、逆川についてはこちらの資料(2ページ目)が詳しい。PDF
さらにまっすぐ進んで、蒲田駅西口に出てきてJRの線路に突き当たる。
左が東急蒲田駅、正面はJR線路が横切り、向こうに少し見えているのは大田区役所建物
能登川堀はJR線と区役所下を直進して蒲田東口側へ出て行く。
東口側から区役所方向
正面の道路が堀の跡、向こうは大田区役所正面入口のようだ。入口下が水路だったのか。
そしてこの背後が松竹キネマ蒲田撮影所のあった場所、現在はアロマスクエアの建物に変わっている。
現在は突き当たる堀跡の道路とアロマスクエア
アロマスクエア前庭から下流方向を向いて
能登川堀、このあたりは海水が逆流してくることもあったようで、逆川(さかさがわ)と呼ばれた領域である。
正面先の商店街は”逆川通り”を名乗っている。
逆川通りの小さな広場
広場の先は車道が蛇行して川を模している
呑川合流点、向こうは菖蒲橋(あやめばし)欄干と手前旧「蒲田橋」親柱
逆川のここから50mほど手前にある道路に架かっていた蒲田橋親柱が2つ保存されていた。
菖蒲橋から見た逆川流路跡
ここで合流していたはずだが、その痕跡は何も残ってなかった。
■松葉用水・北前堀
逆川が合流していた地点から呑川を下流方向へ数百メートル歩き、現在の京急蒲田駅高架下付近からは松葉用水・北前堀が分岐していた。
呑川から分岐している形なのだが、六郷用水の堀とされている。
北堀も池上の”堤方の八寸”付近で、水をいったん呑川へ落とし、少し下流側で川との分岐をつくって再度水を用水路に導いていたが、こちらも逆川が呑川へ落とされ、下流で分岐しているので同じやり方。
ただしこちらは呑川河口から海水が入り込むことがあったので、東海道(現第一京浜)に架かる夫婦橋上流側に堰を設けて海水が松葉用水側へ入り込まないようにしていた、と資料にあった。(実際はそれでも入り込むことがあるので「逆川」の名があるのでしょう。)
上に掲げた「六郷用水流路地図」では京急蒲田駅付近から東へ行く紺色のラインが松葉用水・北前堀である。
第一京浜夫婦橋交差点から
信号機左に夫婦橋欄干、右の柵の下が呑川、松葉用水はさらに右側へ入っていく道路がその跡。
こちらの松葉用水・北前堀も水路は埋め立てられてその上が道路となっているが、下流側は北前堀緑地となり、最下流には水路と水門がある。
信号機下あたりへ進んで
呑川の柵のところから
右の道路が用水跡。公園入口手前で右に折れてそのまま写真右端のほうへ水路があった。
こちらの堀は蛇行が多かったようで、堀跡の道路も蛇行が残っている
細かく小さく蛇行する道路
大田区西糀谷2丁目。↑
産業道路(国道131号)交差点付近
前方へ流路跡。この付近はほぼ直線。
北前堀緑地が近づく
道路が二又に分かれ、中央が緑地の公園となる。水路跡に沿って緑地が長くのびる。
北前堀緑地へ入る
部分的に水路を模したせせらぎがある。ここが公園として整備されてからはだいぶ年月は経っていそうだ。
(後から調べたら、緑地化工事は1980年実施)
緑地なかほどの北前橋
緑地ができてから橋は架け替えられているそうだ。
橋の下をくぐってしばらく先へ行くと
北前堀緑地の終点
この先は水路となっている。
水路に架かる橋の上から上流側
水路の先端は船溜まりになっていて、引揚げ用のレールもあった。
同じ橋から下流側
向こうは北前堀水門。
北前堀の河口
現在前方は海老取川でその対岸は羽田空港島ということになるが、実質的にここが海への出口である。
■新宿糀谷村用水・南前堀
北前堀の出口(海老取川へ出る地点)からさほど離れていない場所に南前堀の海老取川への出口もある。マップ上で測ってみると230mほど。
歩いているそんな都合上、南前堀は下流側からさかのぼっていくことにする。
「六郷用水流路地図」ではライトブルーのラインである。
南前堀で最初に行くべき海老取川への出口だが、大田区立羽田中学校の敷地と首都高速羽田線にはさまれて進入できない。
海老取川とそこへ出てきた首都高速羽田線の橋梁
首都高の右の方に南前堀の出口、水門があるが近づけない。
南前堀は首都高の真下に最近まで水路が通っていて、船が係留されたりしていたが、現在埋立て工事中だった。
埋立て工事中の南前堀
ここにはまだ水が残っているが、水門まではつながっていない。
首都高が南前堀上から逸れると南前堀緑地
南前堀緑地入口
北前堀緑地と同様、水路跡を公園にしている。整備されてからは年月が経っている。
緑地内
こちらも大きな石を配し、水が流せるようになっているが枯れ川だった。
緑地上流側の端に「南前堀排水場」の建物
コメダじゃないよ。
簡単な解説があったので
南前堀排水場跡
この排水場は糀谷地域の地盤が低いので、満潮の時海水が逆流しないように水門を設け、雨水や生活排水を堀へポンプで排水するために造られたものです。特に台風など大雨の降った時には街を水害から守るため、おおいに活躍しました。
排水場は東京都で建設し、昭和十八年より大田区が引継ぎましたが、下水道の普及により、昭和五十六年に廃止し、同年に堀も埋立て、緑地として区民に利用されることになりました。
昭和五十八年三月 大田区
南前堀緑地はさほど長くなく、すぐに一般道に変わる。
北前堀同様、堀跡の道路はあれこれ蛇行している(大田区西糀谷3丁目)
微妙にくねりながら産業道路と交差、京急空港線糀谷駅前などを通過し、
このあたりは「新宿糀谷村用水」の名称のほうがよさそうだ。
環八通り、第一京浜を南蒲田交差点近くで斜めに交差し、京急本線の高架下をくぐって、
大田区蒲田本町2丁目付近
この付近がかつては「蒲田新宿」と呼ばれた地域で用水の「新宿」にもとられている。第一京浜が旧東海道にあたるので、それと関係しているのかは未調査。
もう少し行くと大田区立新宿小学校と都立蒲田高校の間のわずかなスペースに
「新宿糀谷村用水跡」がある
これでは目をひく存在とは言い難いが、水路が通っていた場所には間違いないようだ。
高校のフェンスにかかっていた解説
新宿糀谷村用水跡(六郷用水分流)
六郷用水は徳川家康が慶長二年(一五九七年)江戸近郊開発のため小泉次太夫に命じて開削した農業用水路のことです
この用水の分流水路である新宿糀谷村用水は、道塚村・蒲田新宿村から糀谷村の南、萩中村の北を通って浜竹用水へと続き、南前堀へ流れて東京湾に落ちていました
用水は、農業用水としてはもちろんのこと生活用水として欠くことの出来ないものでしたそのため「生命の水」とも呼ばれていました
新宿小学校の前身の蒲田新宿小学校の頃には、この地に用水が流れていました
土地の人々に愛された用水には、鮒やめだかが泳ぎ、ホタルが飛びかっていたそうですが、今は暗渠になりましたが一部がここに残されています
平成二年七月吉日 大田区教育委員会 新宿小学校
蒲田高校の西側はすぐにJR東海道線の線路となって、ちょうど用水路があったところを歩道橋が渡っている。
歩道橋上から用水路跡の道路、上流方向をのぞむ
前方の道路は車道の右側が用水路跡で植え込みになった歩道がある。
その写真は南堀を歩いたあと、蛸の手で水路が3つに分かれた先のものにつながる。
蛸の手先で撮った写真、再掲
歩道のさらに左側はJR蒲田電車区で、京浜東北線の電車基地になっているところ。このなかにかつては「蛸の手」と呼ばれた南堀水路からの分流点があった。
そのうちのひとつ新宿糀谷村用水を歩いてさかのぼってきたことになる。
今回はここまで。
蛸の手から分かれたあと2つの堀、子の神堀、中宿堀は次に回して、あと1回で完結としたい。