江戸川放水路の河口から左岸をさかのぼって流山へ歩いたのが11月でした。そのときはずっと千葉県側を歩き、流山橋を渡って最後に埼玉県三郷へ出ました。
もっと先を目指すことにして、三郷から上流に向かって埼玉県側、右岸を歩きました。
今回は三郷市側の流山橋付近から春日部市西金野井までの記録です。
向こうへむかって歩くのみです。堤防上か河川敷にずっと自転車道兼歩道が整備されていて、工事さえなければ何の問題もありません。道に迷うこともありません。
流山橋の下をくぐってから堤防の上へ。
対岸が流山の市街地あたり
右の方にみえる鬱蒼とした小山は、流山の名前の由来になった『赤城山』。その昔、大洪水が起きた時に群馬県の赤城山の一角がここに流れついたといういい伝えがあり、そこから「流れ山」なのだそうです。現在は赤城神社があります。
近くに「丹後の渡し跡」
江戸時代から存在した渡船場、(こちら側)丹後村と流山村を結んでいました。昭和10年に初代流山橋が完成するまで利用されていました。
そういえば前回歩いた時、初代の橋脚だけが川の流れのなかに残っているのを見ました。〈今回は…気づかずに通り過ぎたようです。〉
これ県道です。埼玉県道156号三郷幸手自転車道線
自分は歩きますが…
海から29.0km地点
新しい橋が架けられようとしていました。流山橋の2㎞ほど上流側になります。
流山橋の交通量が多いためという事はどこかで聞きました。
5キロ間隔でこのようなポストが立ってます。道路上にはR30(右岸30㎞)の文字も。
三郷市をぬけて吉川市へ入りました。向こうを横切るのは常磐自動車道です。
常磐道に近づき
河川敷はゴルフ場が続きます。
海から32.0㎞
河川敷はゴルフ練習場、前後はコース。
河川敷も外側も堤防上もあまり風景に変化がありません。いつしかキロポスト標識とともに周囲を記録するようになりました。
前方の群集クレーンですが
1キロ先からも同じようにみえます。
海から33.0㎞地点です。
橋の見えるところが利根運河、利根川と江戸川をつなぐ人工河川(運河)です。
舟運のため、明治時代(1890(明治23)年頃)に開削されましたが、道路、鉄道の整備によりまもなく使われなくなってしまったということです。
その先しばらくキロポスト標識がありません。堤防上で長い距離にわたって工事がおこなわれていて、一時的に取り除かれてました。
工事で道路幅が4分の1...
遠くに玉葉橋が見えてきました。
玉葉橋を越えたところが35.5km
通る道路は埼玉・千葉県道326号川藤野田線、埼玉と千葉の間を結ぶので玉葉橋ですか。
とりあえず工事はこの橋までだったようです。
36.0km
堤防外側の様子(吉川市八子新田)
まったいらの関東平野、古くからの住宅は周囲を防風用の樹木で囲んでます。特に北側の木が大きいのはいろいろ理にかなっている気がします。
37.5km地点から河川敷方向
対岸は千葉県野田市市街地あたり。2年半ほど前に対岸を野田の街まで歩きました。
38.0km地点下流方向
39.0㎞地点から上流側に野田橋
ひとつ手前の玉葉橋が35.5㎞地点付近だったのでおよそ4㎞橋なしでした。
野田橋をこえ、吉川市から松伏町(まつぶしまち)に入り
海から40㎞ポスト(松伏町金杉)
続いて41.0㎞(松伏町築比地)
対岸、座生川合流で水門など。
江戸川はこの付近から上流側では人工的に開削された水路を流れています。利根川東遷事業の行われた江戸時代初期、1640年頃に江戸川流路の開削工事も行われました。
この付近江戸川流路の両側は関東平野の低地より5~10mほど高い台地で、低地との標高差分を掘削し、いわば溝をつけて流路としたようです。
この絵でははっきりしませんが、よく観察すると対岸住宅の1階部分まで見通せます。堤防が全部盛り土ならそこまで見えないはずですから、河川敷、水路部分を掘り下げたことがわかります。
〈さらに、高低差の分かる地図で見ると水路を掘った事は一目瞭然です。〉
43.0㎞地点手前から
右の河川敷側に比べて左側の堤防比高は小さく、2mもないでしょう。
ちなみに左側には庄和浄水場があり、もう少し上流側に取水口がありました。埼玉県東部ではここ江戸川の水を上水に使用しています。
そしてここがちょうど松伏町と春日部市(2005年までは庄和町)の境界です。
春日部市にはいって海から43.5㎞地点
三郷をスタートしてからあまり見えなかった江戸川の流れ、ここではわりとよく見えます。
だいたい同じ場所から川下流方向
向こうに先ほどの浄水場のタンクがみえてます。
海から44.0㎞地点
この先で東武野田線の橋梁をくぐるため、河川敷に下ります。
その途中で電車がきました(春日部市新宿新田)
向こうにはまた筑波山も見えてます。
近くから
橋脚はひとつおきに横に架線柱を支える短い腕が出てますね。これに現在は柱が直接載ってないということは、桁はすくなくとも1回交換しているということですか…細かいな。
細かいついでに、この橋脚の高さが川の流路を掘り込んだ深さとだいたい同じということです。幅は橋梁長さで、400年近く前に…
河川敷から土手を見上げる
再び堤防にあがるとまもなく
海から45㎞ポスト(春日部市西金野井)
東武野田線橋梁より上流側に出ました。向こうに見える橋は国道16号(春日部野田バイパス)金野井大橋です。
この周辺の地名、金野井(かなのい)は江戸川を挟んで右岸側が埼玉県春日部市西金野井、左岸側に千葉県野田市東金野井と両側にあります。
おそらく間を江戸川の人工流路が分断する前からの一帯の地名だったのではないかと思います。
大体このあたりで川沿いから引き揚げます。
ふり返って
ここなら直接鉄道駅に出られます(1キロちょっとで南桜井駅)。この先は移動が少し不便になってしまうので今回はここまでです。
流山橋付近が海から27㎞程度だったので18㎞さかのぼったことになります。
足あと地図・次回分まで載せちゃいました
一応、こちらの続きとなります。
対岸を歩いた2年前