散歩の途中

散歩しながら観察して記録してちょっと調べて書くノート

鷹取山から神武寺、二子山、長柄桜山古墳群、そして逗子へ歩く

海に近い平地から標高およそ200mまで、上って下りてを繰り返し、ちょっとした里山を歩いてきました。

今回のコースは、タイトルのとおりではありますが、まず横須賀市北部の鷹取山へ、そこから尾根伝いに神武寺、いったん平地に下りてから逗子と葉山の境界にある二子山を頂上まで登り、また下りて上がって長柄桜山古墳群を訪ね、最後に逗子の町を少々ぶらりとしておしまい、というものです。
コースの元ネタがあって、逗子市の「逗子ウォーキング・ハイキングガイド」を使わせてもらいました。そこに出ていたコースを3つほどまとめ、出発地点をちょっとアレンジしてみただけです。

今回の足あと地図

逗子市の作ったガイドは、律義に市内をはみ出さないようコース設定されていますが、スタート地点はお隣りの横須賀市追浜(おっぱま)に設定し、そこから鷹取山へ向かいました。
京急追浜駅

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こちらは表口ですが、駅裏側出口はすぐ隣りの病院へ直通していて通院のお年寄り専用通路になってました。そちらへ出ました。

住宅密集地域の入り組んだ路地を、曲がる角を間違えたりしながら山の方へ進むと、崖の下に長い階段が現れます。まずこれを上ります。
登りきる少し手前で来た方を振り返って

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階段を上がったところの地名は湘南鷹取、1970年頃に大規模造成された住宅地です。その中、バス通りに出て鷹取小学校の東側まで来ると、通りからも「鷹取山公園・磨崖仏」の標識が見えてきます。横に階段があるのでそこを上ります。

階段の上には水道配水施設があり、そこをまわり込むように鷹取山への道がつけられています。
そこを進むとこんな風景です。(2枚)

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鷹取山については、あちこちの説明を合わせてみるとこんなかんじです。

鷹取山
横須賀市と逗子市の境界にあり、標高は139m。新第三紀前半の緑色凝灰岩の堆積、その後の隆起でできた山である。軟らかく加工しやすい岩のため、明治から昭和初期にかけて石材として多く切り出され、垂直に切り立った現在の姿となった。また、岩肌にはロッククライミングの練習のために開けられた無数の穴がある。

周囲が住宅地などへ造成されるに伴って山頂付近は鷹取山公園として整備されました。その一環として(?)、公園内に磨崖仏、弥勒菩薩像が地元彫刻家によって昭和40年頃に製作されました。

鷹取山磨崖仏

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鷹取山公園から頂上展望台

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もちろんあの上へ。

展望台は360度いい眺めです。
南東、横須賀市街方面

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手前は岩を切り出した跡が垂直の壁になっています。

同じく南西方向、二子山など

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この後訪れる二子山は正面とその左側、丸い2つの山です。左側に登ります。

展望台から北方向は横浜、東京が東京湾沿いに、西はうっすらと富士山も見えました。

いったん公園広場まで下りて、逗子市のハイキングコースを神武寺(じんむじ)へ進みます。意外にワイルドなところもあるコースでした。

関取クラスは通行不能です?

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尾根ですが、崩落して真新しい鎖がかけられていました。

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とかなんとか言って、鷹取山公園から15分ほどで神武寺に着きました。

神武寺、正式名は醫王山来迎院神武寺神亀元年(724)、行基菩薩が聖武天皇の命により十一面観音、釈迦如来薬師如来の3つの像を彫り祀ったことに始まるといわれる古刹です。

薬師堂(本堂)の横から出てきました

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正面から

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現在の屋根は銅葺きですが、以前は茅葺きで、葺き替え工事の「棟札」には慶長3年(1598)の年号が残されていたと堂の案内にありました。
本尊である薬師三尊像は秘仏で御開帳は33年に1回、それも前回は2017年だったそうです(次は2050年!)が、毎年12月13日のすす払いの時に拝観のチャンスがあるようです。

楼門を正面から

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1761(宝暦11)年の建立です。渋い朱色です。奥は薬師堂です。

楼門前の階段を下りたところに鐘楼があります。
鐘楼

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神武寺の晩鐘」として逗子八景のひとつになっています。

客殿宝珠殿を望む

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階段があるのですが、立ち入りできません。

客殿への通路と鐘楼の屋根

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神武寺への参道のひとつ、法勝寺口を下り、法勝寺を覗いてみました。

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静寂の中に、とも見えますが、実はこの左側が幼稚園でとても賑やかでした。

このほかにも付近にはいくつかの寺院があり、門などを眺めながら歩いているとJR横須賀線東逗子駅前へ出てきます。
駅前の踏切を渡って南側へ出ると、すぐに沼間小学校前へ。その裏側へまわると二子山へのハイキングコース入口です。

二子山ハイキングコース入口

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右側が小学校の校庭です。

二子山は標高207mの山で、ここ東逗子からのハイキングコースは3.2㎞あるようです。途中の標識などは充実していて、道も荒れているところは少なく、傾斜も緩やかでした。

登り始めは杉林

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しばらく行くと雑木林になり、あまり眺望はききませんが楽に歩けます。イノシシやマムシ注意の看板はときおりありますが。

少々距離は長く感じましたが、45分ほどで頂上に到着。
二子山(上の山)山頂展望台からの眺め、横浜、東京方面

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この日の東京方面は空気が濁っていて、横浜くらいまでしか見えませんでした。先ほど上った鷹取山も肉眼では分かったのですが、写真から判別はできません。

こちら上の山山頂近くにはKDDI葉山中継所の設備がありました。
KDDI中継所設備と左下は二子山三角点

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二子山もうひとつの下の山には寄らず、葉山南郷上ノ山公園へと下りました。

南郷上ノ山公園グラウンドから二子山(KDDIの鉄塔)

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さらに下って逗葉新道南郷交差点を渡り道路北側へ、そこからまた細い道をたどって崖下から長い階段を上がります。

上がったところは葉山桜山団地という、1970年代頃に造成された住宅地です。その住宅地内の坂道をさらに上がったところ、いちばん西のはずれに長柄桜山古墳群へ通じる細い山道があります。少々分かりにくくて1回道を間違えました。

第1号墳へとまた道を上がっていきますが、こちらは現在整備工事を行っている最中でした。何でも第2号墳を含め、周囲を公園化する計画になっているようです。

古墳群の解説板などがたくさん立っていたのですが、その中からひとつ

国指定史跡 長柄桜山古墳群(ながえさくらやまこふんぐん)
長柄桜山古墳群は、平成11年(1999)3月に、逗子市と葉山町の境にある丘陵の上で新たに発見されました。2基とも4世紀後葉(古墳時代前期後葉)の前方後円墳で、現存している神奈川県内の古墳では最大級の規模を誇ります。
第1号墳(全長91.3m)
現在地から高さにして25mほど丘陵を登ったところにあります。後円部で埋葬施設が1基確認されたほか、埴輪や土器が見つかっています。
第2号墳(全長88m)
第1号墳から尾根筋の遊歩道を西に500mほど向かったところにあります。西側には、相模湾に浮かぶ江ノ島をはじめ、天気が良ければ大山や富士山を一望することができます。
逗子市と葉山町では、発掘調査を実施した第1号墳について、現在植生管理や遺構保護等の整備事業を進めています。(平成33年度しゅん工予定)。

第1号墳墳丘の手前

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向こう側の後円部を横から見ている位置になります。全面にシートが被されていました。横切っているのは工事の物資を運ぶためのモノレール(単軌条運搬機)です。

入ってくれるな感が醸し出されているのですが、この日工事をしている様子はなく誰もいなかったのでちょっとだけ上がってみました。ちょうど前方部の段上へ階段状のスロープがつけられていました。

前方部の端から長軸方向に後円部

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山を削って成形した上に約1.5mの盛り土をして築いています。後円部は3段、前方部は2段の段築(斜面に段を設ける構造)になっています。後円部の中央やや東よりに幅1.6m、長さ7mの陥没坑(埋められた木棺が腐って地面が沈んだ窪み)があり、その約1.5m下に粘土槨(棺を粘土でおおった埋葬施設)が1基あることがわかっています。

と別の解説に書かれていましたが、シートに覆われた状態でその様子はわかりません。(赤茶色ぽく見えるのが全部シートです。)

この先へ上がるのは遠慮しました。

雑木林の尾根筋を西側へ500mほど行くと第2号墳があります。

こちらは着手前なのか、大規模な整備工事はいまのところ行われていません。
後円部、下から

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後円部に上がってみると墳頂部にはもう一段の高まりがあるように見えました。

近くの2号墳解説を抜粋

これまでごく小規模な発掘調査しか行っていませんが、第1号墳と同様に、自然の山を削って成形した上に、盛り土をして築いたものと思われます。段築の有無についても明らかではありませんが、南関東の前期古墳では珍しい葺石(装飾・補強するために斜面に貼りつける石)が設けられているのが特徴です(第1号墳にはありません)。
周辺からは円筒埴輪や壺形埴輪が出土していますので、埴輪列があったと思われます。埋葬施設の位置や構造、規模などは明らかになっていません。

くびれ部から前方部

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ちなみに先の方に見えるのは、おしゃべりをしているおばさんです。

その前へお邪魔して1枚

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眺めも陽当たりも抜群です。埴輪並みに動かないはずです。

きっと古墳が築造された当時は遠くからも目立っていたことでしょう。

長柄桜山”古墳群”とありますが、いまのところ古墳は2つしか見つかっていません。2号墳を見たら丘陵を下ります。

坂の途中に逗子市郷土資料館があり、長柄桜山古墳群の出土品も展示されているそうですが、2018年度中は休館です。大正期に建てられた資料館建物はすべて雨戸が閉まっていました。

そこからさらに下って行き、蘆花記念公園になります。作家の徳富蘆花が1897年と1905年からの2回、逗子に住んでおり、代表作「不如帰」の執筆もしていたということで、ゆかりの地ですね。

この公園内に蘆花の家は残されていないようですが、旧脇村邸という大正期に建てられた建物があります。
訪ねたときに邸内は公開されていませんでしたが、敷地内には出入りできるようになっていました。

玄関前の外観

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上へ伸びているのは暖炉の煙突です。

西側から

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間取りを確認すると、丸い2つの窓があるのはサンルーム(ベランダ)、その向こう側が居間兼食堂、2階雨戸が閉まっているところは客間のようです。

蘆花記念公園から、少し周辺をまわってみました。

公園からさほど離れていない場所に、「六代御前の墓」というものがありました。
六代御前の墓

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墓碑は階段を上がった右側にあります。
六代御前とは平維盛の嫡男です。平家滅亡時に処刑を免れたものの、のちにこの地で斬殺されたということで墓がありますが、階段途中にある解説板では「墓伝説地」となっています。

田越川と田越橋

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逗子大師とも呼ばれる延命寺

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逗子の町中は平地ですが、ずっと坂道をたどってきたからか少し疲れました。駅も近い場所へ出てきたのでこの日はここまでとしました。

この日歩いた経路の累積標高を読みだしたら、上り857m、下り860mでした。一番高いところで200m程度までしか行ってないのですが、案外上り下りしてました。