散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

多摩川左岸を歩く その3 多摩川原橋から多摩大橋まで

多摩川左岸歩き3回目は、調布市稲城市の間に架かる、多摩川原橋がスタート。そこから上流に向かって、最初の予定では立日橋までだったが、少し先の多摩大橋まで。多摩川の左右にある段丘が、しだいに存在感を増してゆく流域を歩いた。
その3の行程

前回の離脱点から出発することにして、JR南武線矢野口駅で下車

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ここは稲城市、多摩川右岸側なので、多摩川原橋を渡って調布市の左岸側へ。
左岸を上流側に行くとすぐに「多摩川左岸海から28K」のポスト

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28キロポストの少し先で、調布市から府中市に入る。
稲城大橋

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右側に見える水門は、橋の向こう側にある下水処理施設(北多摩一号水再生センター)で処理した水を放流するところ。
稲城大橋府中市側にある中央自動車道稲城IC、および一般道へ出入りする道路から、多摩川を越えて稲城市内へ向かう橋。以前は有料で普通車は200円取られた記憶があるが、現在は無料。
北多摩一号水再生センターの先で、河原の様子

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このあたりの多摩川流域の河原はどこも広々としていて開放感があり、緑地や公園として利用されている。堤防上の自転車道兼歩道も、府中市内では「多摩川かぜのみち」と名付けられていて、充実していてとても良い。しかしそれが逆にあだとなってしまったか、過去には自転車、歩行者との事故が多かったよう。地面に凹凸をつけたり、杭を設けたりして、自転車の速度が出ないようにされてしまっている。注意書き看板もたくさんあって、歩いていても窮屈ではあるけれど、仕方ない。このあたり、傾斜もほとんどないし、川も直線的に流れているところなので、堤防も平らでまっすぐ。自転車も飛ばしたくなるところだと思う。
なんてこと考えていると、海から30キロポスト(府中市小柳町6丁目付近)

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その先には是政橋(これまさばし)

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是政橋、近くから

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現在の是政橋は2011年(平成23年)3月に竣工、完成した。長さ401mの同じ形状の斜張橋2本が上下2車線ずつの車道を支えている。多摩川左岸その1で、大師橋のところにも書いたが、斜張橋は主塔が真ん中にある必要がないそうで、是政橋もたしかに主塔は左岸側に寄った位置に立てられている。通っている道路は府中街道(神奈川県道・東京都道9号川崎府中線)
是政橋を過ぎるとJRの橋梁が2つ。

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手前、電車が通っているのが南武線、向こう側は武蔵野貨物線の多摩川橋梁。
JRの先には大丸(おおまる)堰がある。

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左手のコンクリートの建物は南多摩水再生センター(下水処理施設)。先ほど府中市に入ってすぐのところにあった北多摩一号水再生センター同様の施設。距離的にも近いため、両施設間には地下送水管が通っていて、お互いに処理のバックアップが可能になっているとのこと。ちなみにこちらで処理された水は多摩川に放流されている。
大丸堰(大丸用水堰)は、稲城市から川崎市多摩区にかけての農業用水、大丸用水の取入口があるところ。大丸用水は江戸時代に開削された用水で、現在の堰は1959年(昭和34年)に築造されたもの。現在も稲城市川崎市多摩区にかけての水田や畑に水を供給している。
そしてこのあたり、左岸、写真の後ろ側あたりは府中郷土の森という、広い敷地をもった大きな公園になっている。元々何かがあった場所なのか、古い地図を見たが、特に何の形跡もなかった。
左岸側は大きな公園や博物館やスポーツ施設など、人工的に高度に整備されたエリアだが、この付近の多摩川右岸側は、逆に手付かずのエリアであって、道路もないどころか、立入禁止区域が続いている。多摩川右岸側を通る場合、迂回が必要になる。
左岸、郷土の森を過ぎると堤防の外側には企業の大きな建物や、マンションなどが続き、その先に関戸橋がかかる。橋は架け替え工事がずっと続くようで、堤防上、河原のみちとも工事の影響で通れない。
いったん一般道に出て、交差点の信号を渡る。関戸橋

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信号の下、2本の橋があり、左側の古い橋を架け替えるようだが、工事が完了するのは、なんと2030年頃ということだそうで。

関戸橋については、鎌倉街道(東京都道18号府中町田線)が通る、長さ375mの(古い橋のほうは)単純鈑桁橋。元々はここに「関戸の渡し」があったが、1937年(昭和12年)に橋が完成。現在も残る古い橋のほうがそれ。「関戸橋」の名前は現在の多摩市側の地名からとられた。

 関戸橋上流側から

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 濃い青の桁が見えるところは、仮橋を建設しているところ。その向こうの薄水色の橋が新関戸橋(上り車線)。
関戸橋の先で

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府中多摩川かぜのみち、河原、京王線の橋梁、向こうの街並みは聖蹟桜ヶ丘あたり。
同じ場所から振り返って関戸橋方面

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どちらの写真も、向こう側に段丘が続くのがわかる。多摩川の流れが長い時間をかけてつくってきた風景。
京王線多摩川橋梁

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調布のほうにも京王線の多摩川橋梁があるが、あちらは京王相模原線多摩川橋梁だそうで。
この近くに、海から35Kのポストがあった。橋の下に堰があるが、何者なのかは不明。
京王線橋梁から上流側に出ると、一帯の地名は四谷。そこにほどなく新しい大きな橋がある。
府中四谷橋

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野猿街道(東京都道20号・神奈川県道525号府中相模原線)が通る、長さ446mの斜張橋。支柱の高さは61mあるそう。1998年に完成した新しい橋で、関戸橋などの渋滞緩和のために建設されたとのこと。このあたり、川幅が広いので意外に長さのある橋になっている。
この上流で支流の浅川などが合流する地点を越え、府中市から国立市に入る。自転車道歩道をほぼ一直線にしばらくすすむと今度は甲州街道国道20号日野バイパス)に架かる石田大橋

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四谷橋同様、2004年開通の新しい橋。長さは385m、構造は箱桁の、機能一辺倒なかんじの橋梁である。昔の甲州街道国道20号)は今の日野橋を渡っていた。
その向こうは中央自動車道の多摩川橋

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こちらも機能一辺倒な、高速道路でごく普通にみられる橋。長さは428m、竣工は1966年(昭和41年)。
中央自動車道を越えると、左岸側の歩道が一時的に一般道と合流して途切れる。突然住宅地が現れて、その脇の一般道を進むことになる。多摩川に根川とほか1本の川が合流し、それとは別に、多摩川から分水された府中用水の水路が堤防の外へ出ていくという、水の流れとして複雑な回路が組まれているこのあたりの構造上、一旦歩道を一般道に合流させざるを得なかったのかなとも思う。ちょっと迷いやすいポイントではある。
住宅脇の一般道を少しすすむと、突き当たって左手に木造の斜張橋、根川貝殻坂橋が見えてくる。

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ここが国立市立川市の市境で、この橋を渡ると、多摩川ではなく根川のせせらぎに沿った歩道に出る。そしてここは立川公園になっている。貝殻坂は、多摩川の侵食によってつくられた青柳段丘の崖にあり、大昔は海だったため、貝殻がたくさん出てくることから名づけられたとのこと。
それほど長い距離ではないが、根川の緑道に沿ってすすむ。

根川緑道から

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ほどなく甲州街道のガードにぶつかり、根川はその先にも流れがあるのだが、多摩川のほうへ戻る。
一旦甲州街道上に出ると、すぐ向こうは日野橋。この道路、以前は国道20号だった。石田大橋を通る日野バイパスができてからは都道256号となっているが、甲州街道の名前は相変わらずこちらの道路が名乗っているようだ。
横断歩道を渡ってから日野橋を望む

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江戸時代の五街道のひとつであった、甲州街道の橋だが、最初の橋の開通は大正15年。それまではこの橋の少し上流に、日野の渡しがあり、渡し舟で川を越えていたとのこと。
日野橋を過ぎると、また多摩川の土手の上に歩道がある。すぐに、上を多摩モノレールが通る、立日橋にさしかかる。
立日橋(たっぴばし)のたもとから

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立日橋は1989年(平成元年)にまず道路部分が開通、その後2000年(平成11年)にモノレールが開通した。道路橋の橋脚の上に軌道桁を支える柱を立てているため、道路橋は上下線で桁を分離し、それぞれ2箱桁の連続桁となっているとのこと。名前は立川の立と日野の日から1文字ずつ、でしょうね。両市の境界にあるし。
立日橋と多摩モノレール

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ちょうど立日橋の下で残堀川が多摩川左岸に合流している。歩道はいったん残堀川のほうへ行くが、すぐに橋があって多摩川の土手のほうへ戻る。
歩道が残堀川を渡る地点でS字形になっているところ

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この左後ろに残堀川を渡る歩道の橋がある。
多摩川の中下流域は地形などの関係から、左岸よりも右岸から合流してくる支流河川がずっと多い。残堀川は左岸から合流する河川のひとつ。(あと、左岸から合流する主な河川は、野川。)
多摩川の土手に再び戻って、先へすすむと今度はJR中央線多摩川橋梁。
中央線橋梁と河原の歩道(自転車道

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鉄道橋が通るところは、橋桁が土手に接していることが多く、土手の上を歩けない場合が多い(ような気が個人的にする)。ここも、いったん土手の上の歩道が河原に下りているところ。
しばらく河原、というよりも草むらのなかをすすむ。舗装されているので問題ないが、そうでなかったらあっという間に草に覆われて通れなくなってしまいそうな草の勢い。
歩道が土手の上にあがるとほどなく、立川市から昭島市にはいる。
立川市昭島市の境界付近から、多摩川と河原

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ここからもう少し上流に遡ると、海から43Kポスト

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この写真の川の流れの向こう側には、砂岩の層が露出している。その砂岩層を浸食しながら水が流れている風景がこのあたりたくさん見られる。
この場所も含め、「牛群地形」と呼ばれる地形がある。

牛群地形 (Wikipediaから抜粋)
多摩川中流域の、川の流れに沿うように河底が削られた地形を指す。削り残った細長い高まりが牛の群れ、またはクジラの群れのように見えることから、東京学芸大学小泉武栄が命名した。
1950年代に多摩川で砂礫の大量採取が行われ、牛群地形を構成する平山砂層が露出した。当初は起伏が小さくほぼ平らな地表面であった平山砂層だが、1960年頃には多摩川の侵食を受け牛群地形ができ始めた。1970年代半ばには侵食が進み、もっとも牛群地形らしい形状に発達した。1980年代に入ってからは更に侵食がすすみ、徐々に規模が小さくなっていった。2001年秋、台風の影響により牛群地形はその規模を一気に縮小した。

写真左側、流れの手前、消波ブロックとの間あたりに、その地形(牛の背中みたいな)が見えている。
43Kポストから少し行くと、多摩大橋に近づく

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多摩大橋のうえから

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見映えのする橋だ。

現在の多摩大橋は2007年(平成19年)完成、長さ461m、PC床版鋼箱桁主径間補剛アーチ構造。東京都道59号八王子武蔵村山線が通る。北詰は昭島市、南詰は八王子市。

この日は、最初の予定では立日橋までだったが、ここまで。
とりあえず多摩大橋を渡り、八高線小宮駅まで歩いた。多摩川の左岸側を歩いているのに、この日はスタートもゴールも右岸側だった。
小宮駅

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この日の歩行距離は18.6km。

 その1、その2へのリンク

miwa3k.hatenablog.jp

miwa3k.hatenablog.jp