相模川厚木の渡しで厚木宿の入口まで来たのが前回その3でした。
前回も使用した3日目足あと《さがみ野から伊勢原まで》
この地図でその4の範囲は青ラインの黄色〇から赤〇
今回”厚木の渡し”として利用したあゆみ橋
その向こう、橋の下に見えるのは相模大橋です。
江戸時代には江戸防衛の観点から相模川に橋を架けることは幕府によって禁止されていたため、往来は舟だけでした。明治になって常設の橋がはじめて架けられ、地元で”じょう橋”と呼んだことが近くの碑に書かれていました。
厚木宿に入って先を続けます。
厚木は大山道と八王子道が交わり、また相模川水運の要衝として発展したところで、大山詣でが盛んだったころには約30軒の旅籠があったといいます。(参考Wikipedia)
街道沿い、東町あたりの商店のシャッターには昔の店の様子を模した絵が描かれていました。
写真がいまいちですが
厚木神社
厚木市厚木町厚木神社です。かつて厚木村の鎮守社で、神社の周囲には市がたったそうです。
神社の隣りには「烏山藩厚木役所跡」碑がありました。1728(享保13)年に下野国烏山藩主大久保常春が相模国内の所領を治めるため、ここに厚木役所(陣屋)が置かれました。明治以後も役場など行政機関が長い間置かれており、このあたりが昔の厚木の中心地でした。
渡辺崋山滞留の地碑
渡辺崋山の名は下鶴間宿、荏田宿などでも目にしましたが、厚木まで足をのばし、この地に滞在して6枚の絵を描いています。その時に宿泊した旅籠の前にこの碑があります。旅籠の建物もすでにありませんが。
小田急線高架をくぐって南側へ出ると旭町です。かつての厚木宿、北側は渡船場付近からはじまっていたようですが、南側はどこまで続いていたのか、古い建物も残っていないので、歩いていても手がかりがありません。
旭町付近も街道沿いに神社、寺院が残っていて、まだ町中の範囲だったのかと想像します。ちょっとだけ旧道が残る区間にはいると大きな馬頭観音がありました。
馬頭観音碑
いちばん大きな馬頭観音は明治41年9月建立とありました。にんじんがそなえられてます。道祖神など小さな石仏も多く集められています。
前を通る道が旧道ですが、厚木宿からこのあたりは八王子道と大山道が重なっています。大山道はもう少し先で西の方へ折れて行きます。
それより手前ですが、”矢倉沢往還”の標柱がありました
厚木市岡田4丁目付近
標柱を右の方へ行くとかつての岡田村総鎮守三島神社、その向こうには相模川岡田の渡しがあったそうです。
そして背後はすぐ東名高速、厚木IC近くです。
東名高架をくぐって数百メートル行くと、八王子道、大山道(矢倉沢往還)の分岐T字路です。
矢倉沢往還分岐点(厚木市岡田5丁目)
道端に石塔、五輪塔?、いずれもかなり風化がすすんでいます。わりと大きな道の分岐点なので昔はきっと、もっと立派な道標などがあったのではと想像します。
ここで右折して正面へ進みます。ただ、ここはあまり特長がないので、油断していると曲がるのを忘れてしまいそうです。
国道129号と玉川を渡ります。
玉川・新宿橋から大山
明治の地図では橋の先が”新宿”という集落で、酒井宿と呼ばれる宿場があったともいわれています。(詳細は不明)
そこから道なりに進むと愛甲宿はそれほど離れていません。
玉川橋手前に大山道標柱、サイドには旧矢倉沢往還
小さな橋は玉川旧流路跡にかかっています。
そのすぐ先にまた道標を兼ねた庚申塔など
庚申塔側面には「右 あつぎ 江戸 青山道、左 大山道」。
ここで道は左にカーブし、2つ並んだ寺院を右に見るとすぐに”宿愛甲(しゅくあいこう)”の交差点です。
宿愛甲交差点
付近は街道の愛甲宿ですが、交差点名がなぜ逆なのかはわかりません。
写真背後へ緩く坂を上がっていくあたりにかけてが宿場だったようですが、規模も小さかったらしく、昔の面影はありません。
古い小さな道の分岐点に「左大山道、右日向道」と読める道標がひとつ残っているのに気づきました。
日向道は大山の東にある日向薬師(ひなたやくし)へ通じる道です。
愛甲宿内の道
間もなく小田急線愛甲石田駅前を過ぎ、踏切を渡って愛甲石田交差点で国道246号と合流します。駅前からは伊勢原市に入ります。
そのまま国道を歩くと、石田交差点で左へ分岐する道が国道の旧道として存在しており、それを利用する大山道のルートがあるようです。しかし私が最初に参考にした資料ではさらに国道を真っ直ぐ進むよう示されていました。
そちらはすでに消滅してしまった古い道筋をたどっていて、消えた道に近い道路を使って歩くことになります。
国道を真っ直ぐ進んで小金塚交差点で北側へ折れ、日本ロジテムの大きな倉庫を周回してから再度国道246号を横断、南側をU字にまわります。以下は省略しますが、すでに消滅しているらしき道の近くをなぞって歩いたものの、コース的にも不自然になり、違和感がありました。
この区間、石田交差点左折ルートを愛甲石田から改めて歩きました。今回示した足あと地図で緑色ラインの”ルート1”で記した区間になりますが、次回のノートに記すことにします。
消滅した道をなぞって歩いている途中、
公園の高台から
倉庫北側の公園から見えた大山です。
この後、白金山団地内の生活道路を歩いたりしてから、成瀬小学校の北側で石田交差点で分岐した道に合流します。
合流後、成瀬小学校付近にて
この付近は旧道の道すじにあたります。
すぐに歌川を渡り、新東名高速道路工事現場を横切ります。
歌川橋上から
工事中の新東名橋梁下をぬけて緩い坂の途中に
道祖神、五輪塔など
たくさん集められています。
右にちらっと見える道、坂の上に信号機がありますが、そこのT字路は柏尾通り大山道、東海道戸塚宿の手前から分岐する大山道との合流地点です。
柏尾通り大山道合流地点
正面向こうからこちらへ来るのが柏尾通り大山道、左から来てT字路を手前へ折れる青山通り大山道です。
合流してすぐ、糟屋宿という宿場になっていたということです。
宿内板塀の家
端にみえるバス停名は”粕谷下宿”、このあたりは下宿と呼ばれていたようです。この宿場は明治の頃、大火があったそうで、昔の面影はほとんどありません。
ここからの大山道は、石倉というところで田村通り大山道に合流して大山へ続きます。
そちらへはすでに柏尾通り大山道を歩いてきたときに石倉まで行っています。
そしてまだこの先は矢倉沢往還の道すじも重なっています。現在の市米橋交差点(神奈川県道63号)までルートは大山道と重複し、そこで分岐しています。
青山通り大山道としてはこの合流地点まで歩いて終わりにしますが、矢倉沢往還のこの先もすでに歩いているので、近いうちに「矢倉沢往還を歩く」として紹介することができると思います。
少しおまけで伊勢原駅まで。
柏尾通り大山道と合流して少し先の普済禅寺の前から
小さくて見にくいですが、道路に面して赤い「大山街道」のシールが2か所つけられていました。大山街道のあちこち(特に青山通り大山道)でこのシールを見かけました。
少し先、たぶんまだ宿内のT字路を折れ、青山通り大山道からは逸れます。
伊勢原駅北口近くへ来ました。
竜神通りの幟がある道は田村通り大山道です。
現在はこの背後小田急線ホームで道が分断されてますが、その続きがここへでてきて大山へ向かっています。駅の正面に大きな大山阿夫利神社の鳥居があるので、私もそこをくぐって先へ歩いたのですが、厳密にはこちらが大山道です。(まあ、すぐ先で合流しますけど)
今回は謹賀新年伊勢原駅で最後にしたいと思います。