散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

田村通り大山道を歩く その2 伊勢原から大山阿夫利神社

東海道から藤沢宿の西、四ツ谷で分岐し、田村の渡しで相模川を越え、伊勢原に入り、大山に向かう道が田村通り大山道です。
ちょうど現在の小田急伊勢原駅とこの大山道が交差しているので、前回は藤沢から伊勢原駅まで歩いて留め置きとしていましたが、約2ヶ月ぶりに先を歩くことにしました。

田村通り大山道(その2)足あと

田村通り大山道・その1

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駅構内を大山道が通過していたので、駅についてすぐにスタートできます。

伊勢原駅北口の大きな鳥居

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大山阿夫利神社の名が入っており、ここを一の鳥居とすることが多いようですが、田村通り大山道の一の鳥居は藤沢市四ツ谷分岐点にあり、二の鳥居、三の鳥居はこの先別にあるので、1.5の鳥居?
鉄道ができるとここからスタートする人が多いので、昭和になってから小田急電鉄によって新たに設けられたのだそうです。

実際にはここからもバスで大山ケーブルカーの駅まで行く人が大多数ですが。(バスはこの鳥居の下は通らない。)

まず、伊勢原市街を大山の方角、大体北西方向へ歩きはじめます。参考までに駅付近の標高は約35mです。

国道246号、伊勢原交差点手前に伊勢原大神宮があります。
伊勢原大神宮境内

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社殿が2つあり、左が内宮、右が外宮です。神社は江戸時代初期の創建、伊勢神宮を倣ったもので、伊勢原という地名の由来がここからきているそうです。

伊勢原市板戸付近から大山

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山へ向かってこの道路を真っすぐ行くと東名高速道路が現れ、それを越えると県道(611号)と合流しますが、その地点に大山阿夫利神社参道二の鳥居があります。

二の鳥居、北側から

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実際には参道をまたいでおらず、鳥居の南側は貸駐車場になっています。道路拡張などで移動したのかもしれませんが、鳥居の下に立つと真正面が大山なので、方位にぬかりはないと思われます。

二の鳥居から先の現代の道路は県道611号(大山板戸線)になります。厚木秦野道路第二東名の建設工事やこの県道も道路改修中だったりで、あちこちで工事がなされています。

鳥居から700mほど先に行くと石倉橋交差点があり、その近くで柏尾通り大山道や青山通り大山道が合流した道路と合流します。

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いくつもの大山道がこのあたりで束ねられて1本の道となり、大山へと伸びて行きますので、すでに「何とか通り大山道」という呼称も意味がなくなります。その代り、帰路は道しるべが必要となるので、石倉橋交差点付近に不動明王像をのせた道標がありましたが、道路工事中のため少し離れたところに疎開中です。

疎開中の不動明王像道標

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この像は柏尾通り大山道経由で石倉まで来たときにも撮影しました。
今回は帰路に撮影、大山の山頂は雲に隠れてしまいました。
手前の標柱には、「大山帰りの道案内」とあり、「矢倉沢往還の厚木・青山、柏尾通りの戸田、田村通方面の伊勢原・田村・江ノ島、西へは秦野がある。」と記載されています。

1本にまとまった大山道へ戻って山へ向かいます。

第二東名高速建設工事現場付近(伊勢原市上粕屋)

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現在(2018/12)は橋脚工事中ですが、上に桁がのっかると景色もだいぶ変わりそうです。記録として出しました。

子易という場所へ来て、易往寺手前の十字路を左に入ります。
旧道で、這子坂の碑がたっています。

這子坂と碑

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おそらく昔は這って上がったとかいう話が残っているのだと思いますが、棒読み…。

それでもこのあたりまでくると県道の方もだんだん傾斜はきつくなってきます。

這子坂から1㎞弱で三の鳥居に達します。
三の鳥居

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鳥居のちょっと右側が大山山頂、だいぶ近づいてきましたが、この付近の標高はまだ170m程度です。

この付近、現在新道を建設中で、そちらには藤沢四ツ谷の辻にあったという道標が置かれ「是より右大山みち」とありました。台座までいれると高さ2m以上の大きな道標です。

三の鳥居を過ぎると周囲は宿坊が目立つようになり、雰囲気が変わります。

新玉橋(あらたまばし)を渡って振り返る

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宿坊が続く参道

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大山の宿坊は大山参詣の宿泊施設ですが、かつては大山講と呼ばれる、地域や職業の仲間同士が集団で参詣を行うスタイルが一般的でした。

神奈川県のホームページにあった「大山講」から一部引用

江戸時代、大山登拝は一般的に大山講によるものが中心であった。この大山講による大山参りは、江戸時代中期から後期にかけて最盛期を迎えるが、これは家康による慶長の改革で坂本や蓑毛に降りた修験者などが、その後、御師として広く布教活動を行い、各地に大山講を形成し、結果として自らの力で檀家集団を組織化したことによる。
明治時代の各先導師(旧御師)の布教圏を「大山開導記」(各先導師に所属する講の一覧で、明治初期に書き改められたもの。全8冊 神社所蔵)で見ると、その範囲は相模、武蔵といった地域はもとより、安房、下総、上総、常陸、下野、上野、磐城、甲斐、信濃、越後、遠江駿河、伊豆など広範囲(16ヶ国)に及ぶ。

宿坊の外壁には、そこに宿泊する常連の講なのでしょう、たくさんの個人名、団体名が刻まれています。しかもさほど古くないもののように見えました。
かつての宿坊は現在も先導師を含めた宿泊所として残っているところ、旅館や食事処として営業をしているところも多くあります。

愛宕

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大山詣での参拝者が禊をした滝のひとつと言われます。

鈴川(大山川)と名残りの紅葉

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路線バスがバスターミナルへ入る直前にひっそりと旧道が残っています。”とうふ坂”と呼ばれているそうです。とりあえず大山の名物は豆腐とこま(独楽)です。

とうふ坂の細道から2枚

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坂をのぼると橋を渡って”こま参道”へ。この参道入口付近で標高は320mほどです。

バスターミナルより上に一般車は入って来れないので、ケーブルカーの駅まではみんな歩いて参道を上ります。
なので土産物店などが多いです。

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12月の平日という事であまり活気はありませんね。

大山ケーブル駅

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ここがケーブルカーのふもと側の駅です。標高は400mになります。お店を見ながら参道の階段を80m上ったことになります。

ほとんどの人がケーブルカーを使うと思いますが、今回は登山道を歩いて登ります。

ケーブルカー駅を横に見ながら、すぐに男坂と女坂の分岐点になります。
目前の階段を半分上がったところが分岐点

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大山寺に立ち寄ることができる女坂を上がります。帰りは男坂を下りました。

女坂といっても傾斜はきつく、石段が続きます。

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坂の途中には「女坂の七不思議」というものがあります。例えば次の写真は

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女坂の七不思議
その三 爪切り地蔵(つめきりじぞう)
弘法大師様が道具を使わず、一夜のうちに手の爪で彫刻されたと伝えられている。何事も一心に集中努力すれば実現できるとの教えである。

こんな類いのものが7つ、登山者のなぐさみとしてあるわけです。

来迎院本堂と左は龍神堂(八大堂)

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大山寺(おおやまでら)の直下にあり前不動とも。大山寺住僧や八大坊の菩提寺であったといわれます。

そしてこの階段をのぼると大山寺です。

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ケーブルカー大山寺で下車した場合は上る必要ありませんね。参考までに

大山寺

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雨降山大山寺(あぶりさんおおやまでら)は大山不動とも呼ばれます。明治以前の不動堂は現在の阿夫利神社下社がある場所にありました。
鎌倉時代に製作され、重要文化財にもなっている”鉄造不動明王童子像”を本尊としています。ちょうど御開帳日でした。なお、ご本尊は「本堂奥の奉安殿に安置されている」ため、本堂をまわり込んでいかないと見ることができません。

大山寺宝篋印塔と鐘楼

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同じく大師堂

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大山寺付近で標高は約530m、ケーブルカー麓の駅からは130mほど上がってきました。

急な石段をさらに上がります。
石段の途中から見下ろす

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ほとんど真下を写している感覚です。

女坂七不思議の七つ目、眼形石(めかたいし)

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人の眼の形をしたこの石に手を触れてお祈りすれば不思議に眼の病が治ると言い伝えられている。

とあり、自分もドライアイがあるので、お祈りしてきました。石のどこが眼の形なのかわからなかったせいか、その後また目薬を買いに行かないといけないみたいですが。

男坂と女坂の合流点まできました

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もう少しで阿夫利神社です。

階段をもう少し上がると周囲が開けました。

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ケーブルカーに乗れば特に苦も無くここへ出てくることができます。
この階段の上には阿夫利神社の鳥居が見えています。

やっとここまで来ました

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大山阿夫利神社下社拝殿

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境内から

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下の景色も入れて

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午前中は良い天気だったのに、急に雲が湧きあがってくるところでした。さすがまたの名を雨降山というだけのことはあります。

というよりも、もう少し早い時間に来るべきでした。
頂上への登山道入口

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今回はここまでとしました。

往復とも徒歩でと考えていたこともあり、日中の時間が短い時期に、午後になってここから頂上を目指すのは帰りが余裕がないことと、帰りは帰りで別ネタを仕込む予定でいたためです。

阿夫利神社下社付近の標高は約700m、この日はここが到達最高地点になりました。

 

神社境内から下り、…瀧御社道(上にまだ数文字あったのかも)と書かれた石碑のある道に入ります。

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