その1では河口から3㎞地点、江戸川区小松川まで荒川右岸をさかのぼりました。続きを歩きます。
私が見ている風景はしばらく(ずっと?)、川に架かる橋と距離標ばかりだったようです。
河口から3㎞地点で前に見えていた都営新宿線橋梁です
荒川だけでなく、首都高が載っている中堤(背割堤)の向こうの中川まで一気に越えて行く長大な橋。その向こうは船堀の駅になります。
(もっとも荒川下流に架かる橋はみんな2つの川を一気に跨いでますが)
橋桁には”船堀橋”と書かれています。現在正式名「船堀橋」が存在しないので通称船堀橋となってるのだとか。ややこしい。
この橋は西側を流れる旧中川から荒川、中川の3河川を跨いでいて、総延長は1487m。
新船堀橋、荒川上流側から
ちなみに荒川を跨いでいる部分のみの延長は524mと定義されてます。
堤防上には桜並木、木蔭ができていたのでそこを歩きます。
上にイラストが描かれた、堤防上にある標識は「海まで何km」、河川敷にある青色で地名もいっしょに書かれた標識は「河口から何k」と記されています。
4kmポストからほどなく荒川大橋に差し掛かります。
間近から
通過するのは首都高速小松川線。
橋の形状は荒川の水上のみ斜めにシンプルなケーブルを張った斜張橋、その前後は桁橋です。
荒川大橋の上流側はすぐ京葉道路(国道14号)が通る小松川橋。(小松川大橋の名称もあり)
小松川橋直下
片側(3車線+歩道)✕2本の車線を載せてます。
上流側から
初代の橋は荒川放水路掘削完成に先駆けて1922(大正11)年に開通、荒川放水路部分に架かるいちばん古い橋のひとつです。
そういえば現在歩いている荒川部分、以前は「荒川放水路」とも言われていましたが、1913(大正2)年から1930(昭和5)年にかけ、17年かけて掘削してつくった人工河川でしたってことにふれてなかったです。
小松川橋付近から荒川上流方向
河川敷の歩行者自転車道と水面の間、下流側は草地が大部分でしたが、グラウンドなどが現れてきました。
海まで5.0㎞、河口から5kのポスト
こちら、堤防上の標識はイラストが描かれたものではないですね。河川敷のはこれまでと同じ。対岸の中堤にも”5k”と書かれた看板状の標識がたっていますが写真では確認できないか。
”江戸川区小松川”であることは3k地点から変化なし。
上流側に長大な橋梁が見えてきます。
JR総武線荒川橋梁
駅で言うと平井~新小岩間に架かる橋です。
橋の上流側へまわって
橋の下から観察すると、3つのトラス橋が5本の線路を抱えていました。
同位置から上流側に
河口から6kポスト
江戸川区平井。左が平井大橋です。右には総武線橋梁が少し見えています。
平井大橋、上流側から
平井大橋の上流側で次に直接荒川を渡る橋までは少し距離があります。
水辺へ出て、対岸を眺めます。
相変わらず首都高速中央環状線が荒川、中川の間、中堤の上を通っていますが、そこに斜張橋が架かっています。
突然ですが、対岸の首都高速橋の直下へ
首都高の橋の真下になります。
中堤(背割堤)の向こうを流れる中川が右から流れ込み、左側をこちらに下る綾瀬川との合流地点です。ここで中川は右に荒川から離れていきます。
ちょうど綾瀬川合流地点上に架かるのが綾瀬川道路橋(通称は葛飾ハープ橋)です。
また場所を変えて、中川の左岸側から
正面が中川上平井水門、左側は荒川との中堤になります。
ここには荒川との間にも水門があります。
元へ戻って荒川右岸側から葛飾ハープ橋を望む
2つの水門も写ってました。
中堤の向こう、これより上流は中川に代って、合流前の綾瀬川がしばらく寄り添って流れます。
そして、手前の掘割は旧中川の連絡水路です。というか荒川(放水路)がなかった頃の中川なのです。川向こう、この付近で荒川に寄ってきた中川はかつて荒川の流路部分を横切ってここへつながっていました。さらに後方へ、現在旧中川となった流路を通って、荒川ロックゲート付近から現在の荒川流路へ出ていました。
現在はこの背後に木下川排水機場があって、旧中川と荒川の水位調整を行っています。
そんな場所のすぐ近くに河口から7kポスト(墨田区東墨田)
その先特に変化なく、草むらの中に
河口から8kポスト(墨田区東墨田)
首都高の下にある黄色い橋は綾瀬川に架かる東四つ木避難橋。中堤と綾瀬川の向こう葛飾区東四つ木を結んでいます。
8k地点のすぐ上流側は
木根川橋
鉄道橋によくあるトラス橋ですが、道路橋。付近にあった木製の初代四ツ木橋が解体され、1969年代わりに架けられた橋です。
現在は都道449号新荒川堤防線という荒川右岸堤防に沿って走る道路が通っています。
木根川橋のすぐ上流側は
京成押上線荒川橋梁
またすぐに
新四ツ木橋
四ツ木橋、新四ツ木橋とも国道6号(水戸街道)が通っていることになってますが、新四ツ木橋は曳舟川通りの延長上にあります。
新四ツ木橋は荒川に対して80度の斜角があり(川を斜めに横切っている)、左岸側で四ツ木橋を通る国道6号と合流します。
四ツ木橋、上流側から
四ツ木橋の上流側へ少し行くと
河口から9kポスト(墨田区墨田)
そのまま変化なく1キロ進み
河口から10kポスト(墨田区墨田)
新荒川橋、上流側から
この背後は
隅田水門
この近くを流れる隅田川とつながる水路(前方に見える)があります。
ここは荒川放水路がつくられるまでは(現在荒川の左岸側を流れている)綾瀬川が隅田川に合流するための流路でした。現在は荒川の増水時に水が隅田川へ流れ込むのを防ぐための水門が設けられ、また荒川と隅田川の舟運の連絡路となっています。
その上流側には
堀切橋と京成本線荒川橋梁
手前の桁橋が道路橋の堀切橋、その向こうトラス橋が京成線橋梁です。
堀切橋直下から
堀切橋上流側から対岸を望む
直接見えてませんが、荒川の向こうを流れる綾瀬川がこの付近で離れていきます。ちょうど首都高高架の下が綾瀬川流路、左の白い建物の向こうへ隠れます。
これより荒川上流側は中堤もなくなります。
そのすぐ近くに
河口から11kポスト(足立区柳原)
このあたりは3年B組の河原だったようです。
堤防上から下流方向
同位置から上流方向
たくさんの鉄道橋梁がみえてきました。一番手前は東武スカイツリーラインの橋です。
東武の橋梁をくぐり、次のつくばエクスプレス橋梁との間に
河口から12k、足立区日ノ出町
毎度記録しているポスト、12㎞まで来ました。なんでこだわってるのかよく分からなくなってきましたが、そのうち見失うと思います。
つくばエクスプレスの向こうにJR常磐線、東京メトロ千代田線の橋梁が連続します。
上流側から振り返り
電車が走ってる一番手前が千代田線、挟まってJR、ちょっと背の高い橋がつくばエクスプレス。
すぐ近くが”虹の広場”
1日目はここまでと決めてました。
虹の広場の花壇から上流側の千住新橋
この先は2日目に。
荒川(2020)足あと地図
その2は青ラインの黄色マークから赤色マークまで。
その1
2017年真冬に歩いた荒川
その3を追加してます。