引き続き埼玉県内の荒川を歩いております。その9ではいったん下流に戻り、右岸側に移って上江橋(かみごうはし)から再びさかのぼります。
上江橋は荒川、入間川(といくつかの小河川)を一気に跨ぐ全長1609.9mの長い橋梁です。今回は橋の西詰に出てスタートしましたが、橋の東側に荒川、西側に入間川が並行して流れているので西詰から遡上すると入間川右岸に沿って歩くことになります。
荒川と入間川の間にも流れを分ける瀬割り堤防がありますが、工事で通行止めです。
スタート地点へのアプローチ、今回は荒川・入間川の西側からはいりました。川の東側は大宮台地が近く多少の起伏がありますが、西側は平坦な低地が広がって周囲は広大に水田が広がっています。
荒川・入間川西側は水田地帯(川越市古谷上)
田植え直後ですね。
上江橋西詰からスタート直後、堤防上から河川敷方向
横切る長い橋梁が上江橋。昨年下流側からここまで来た時は歩いて橋を渡りました。
1㎞弱さかのぼったところ
わずかに流れが見えるのは入間川、対岸はゴルフコースです。
もう少しさかのぼり入間川河川敷
対岸、土がベルト状にむき出しになっている、その上が荒川と入間川を隔てる瀬割提です。そちらの堤防上には荒川自転車道が通りますが現在通行止め、左の入間川堤防上が迂回路に指定されています。(通行止は上江橋~入間大橋の区間)
上江橋から3㎞ちょっと、入間大橋に近づきます。
入間大橋と右奥に開平橋
名前のとおり入間川にかかる入間大橋、中の堤を通って右奥かすかに荒川にかかる開平橋(かいへいはし)です。
入間大橋間近から
埼玉県道51号(川越上尾線)が入間大橋(314.0m)、開平橋(816.8m)と貫いて通っています。
入間川は荒川とこの付近からしだいに離れていきます。荒川を歩きに来たのでここで入間大橋を渡ります。
入間大橋上から入間川上流方向
入間大橋東詰(入間大橋交差点)
横切る道路は瀬割堤上を通り、その向こう側は荒川河川敷です。
県道道路はこの先荒川に架かる開平橋に伸び標識も「荒川」、ですがその裏側は「入間川」と表示されてます。
左折して上流方向、瀬割提上の道路は実質車専用、自転車道、歩道は荒川河川敷に下りる形でつけられてます。
入間大橋交差点から荒川河川敷に下がる自転車・歩道
左が堤防、右側一帯は荒川河川敷になります。
少し先から下流側を振り返る
見えているのは開平橋の一部、林の向こうにはゴルフコース、その先に荒川が流れています。
堤防土手下を1200mほど進んで振り返ったところ
分れ道、左へ行くと三ツ又沼へ。古い時代の入間川と荒川の合流地点が今も沼となって残っています。
昔は現在よりもだいぶ上流のこのあたり(現在の合流点より4㎞以上上流、川越市、上尾市、川島町(かわじままち)、3市町の境界点)で合流していました。
ここから背後(上流方向)へ100mくらい行くと堤防が二手に分かれます。ここまではいわゆる瀬割提でしたが、入間川と荒川の流れる方向が大きく変わっていくためそれぞれの河川に沿って堤防が築かれます。
瀬割提の天堤を通っていた道路も下におりて逸れていくので、代って荒川自転車道が荒川右岸堤防上を通るようになります。
天堤を通れるようになった自転車道(川島町出丸中郷)
この自転車道、本名が「さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道」といいますが長いのでここでは「荒川自転車道」で通します。
ちょっと先へ行くとまた沼があります。
白山沼(白山池とも)
あまりいい位置から撮れませんでした。左の大きな木のあたりから長く右端まで沼(池)になっています。
こちらも古い流路跡かと思いましたが違うようです。〈じゃ、なぜ沼になったか??〉
白山沼付近「海まで50.0㎞」標識
前方左右に伸びるのは横堤という堤防です。自転車道が通っているのが本来の堤防で、それとほぼ直角に河川敷内へ伸びています。
荒川では多くのこうした横堤が造られています。広い河川敷は本流の水が溢れたときに水をためる役割がありますが、さらに横堤により溢れた水の流れを妨げ、下流に流れ落ちる速度を遅らせる目的で造られました。(調節、遊水機能)
真横から
荒川の横堤、現在管理上すべて名前がついています。ここは「出丸第一横堤」(出丸は付近の地名)
その先の右岸堤防上(川島町上大屋敷)
その次の横堤・出丸第二横堤
ここは横堤上に道路が通っています。堤防が切れたところで河川敷におり、荒川を樋詰橋冠水橋で渡って対岸へ渡ることができます。
さらに1200~1300m先へ
左へカーブしていく堤防の先に建物がいくつかあります。建物の前あたりから河川敷に向かって道路がのびており、道路の先はホンダエアポート、軽飛行機の滑走路なんかがあります。
建物前から
埼玉県防災航空センターとHonda Airwaysの看板が下がってます。右側にはヘリポート、その格納庫でしょうか。
ヘリコプターも1機
そして河川敷側は、セスナまでちょっと遠いな
ちょっと前に歩いた左岸側からも見えた風景です。
滑走路へのアプローチ道路は現在右岸(川島町)側にありますが、飛行場が出来た頃は反対(桶川市)側にありました。荒川の本流が当初は右岸寄りにあり、その後左岸寄りに移されたためです。現在も右岸側に蛇行していた頃の流路跡が残っています。
ちなみに防災航空センター建物や格納庫があるあたりも古い古い河川流路であることが特定されています。
少し行き過ぎてから振り返り
そのまた少し先
河川敷内に残る古い流路跡(川島町山ヶ谷戸)
右竹藪の手前に長く伸びる低い部分(草が生えてますが)、流路の跡です。現在も桶川市と川島町の境界は旧流路跡に沿っています。
流路跡が見え隠れしながら河川敷中央部へ移って見えなくなると
手前は麦畑、遠くは太郎右衛門橋
左岸を歩いたときにもあった太郎右衛門橋に右岸でもまた出会いました。〈当たり前だな〉
橋近くから(川島町山ヶ谷戸)
この橋は右岸側から突き出した横堤(八保第一横提)を取付道路としてその先に橋梁をのばしていることがわかります。
左岸を歩いたときも太郎右衛門橋でいったん刻みました。今回もここで刻みます。
えっ、今回『荒川を歩く』にもかかわらず、荒川の流れがまったく出てこなかったようです。(笑)
荒川左岸のこのへんを歩いた時のノート
足あと地図、今回分は緑色のラインになります。