散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

荒川を歩く その10 〈右岸〉太郎右衛門橋(川島町)から高尾橋(北本)

荒川・入間川右岸、川越市の上江橋から上流へ歩き始めた日の後半です。
川島町(かわじままち)・太郎右衛門橋から先へ、続けて荒川右岸をさかのぼります。

太郎右衛門橋上流側

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右端が橋梁手前、横堤の取り付け道路部分、通る道路は埼玉県道12号(川越栗橋線)。
中央は麦畑が広がって、遠く木立ちの見えるあたりが対岸、それほど高くはありませんが段丘(大宮台地)です。左岸側は段丘に接しているので堤防は所々にしかありません。こちら右岸側は低地が続き、堤防が連続しています。

 

橋梁近く「荒川右岸54.0k」標識(川島町山ヶ谷戸

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こちらは橋全体が写ってました。〈と言っても遠いな…〉
太郎右衛門橋の橋長は700.5m。

 

上流へ直線距離800mちょっとで次の橋梁
圏央道荒川橋

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最近できたこの橋梁は横堤を利用していないので橋長970.5m、前後の高架橋とも直接つながっていてより長く見えます。

 

圏央道荒川橋の上流側(川島町三保谷宿)

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河川敷は麦畑ですが、半分程度刈取りが終わってます。
この前週対岸を歩いたときはまだどこも静かでしたが、今回はあちこち収穫中でコンバイン大活躍です。

 

右岸堤防上から上流方向

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天端は名目上管理用道路、左側に別途自転車道が整備されています。河川敷は右側。

 

1㎞ほど先で堤防から河川敷に下ります。

堤防を下りる直前、これから歩く道の先を

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この付近で市野川が荒川に合流しますが、堤防(と自転車道)は市野川沿いに延びていて、ここで歩く方向、軌道修正です。

ちょっと話それますが、上で「堤防は市野川沿いに延びて」と書きました。正確にはここの堤防、いくつかの集落をひとつの輪のように囲む形でつくられていて、荒川水系では『大囲堤』と呼ばれます。ここで市野川沿いにのびる堤防は江戸時代に築かれた『川島領大囲堤』の一部にあたり、それをのちに改修拡張して現在の形となっています。
『大囲堤』は木曽三川下流の『輪中提』と同種のものです。

 

河川敷に出るとすぐ古い橋がありました

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市野川の橋かと思ったら別の水路でした。

 

その数十メートル先
こちらが市野川に架かる橋

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銘板がなくなってましたが大塚橋かと。2つとも冠水橋です。

 

橋上から市野川下流方向

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この先約700mで荒川と合流します。

調べてみると市野川は流路延長38.1㎞とあり、それなりの規模の河川です。

また逸れますが、『川島町』の範囲って、東の荒川、北の市野川、南の入間川、西の越辺川に囲まれた中にあります。川に囲まれた島という意味なんですね。そして周囲に大囲堤を築き。

 

渡って市野川と荒川の間の河川敷を歩きます。

こちらの畑は麦刈り中

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コンバインが結構なスピードでどんどん刈り取っていきます。収穫された麦は待機しているトラックにざばーっと落とされてどこかへ運ばれていきます。〈以上現場から大雑把な説明でした。〉

 

畑の少し先
河川敷に4基の石仏

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どの石仏にも細かい文字がたくさん刻まれていました。左から2番目は大きく「永代土橋供養塔」、天保二年(1831)三月とあります。塔の後方、数十メートルを流れる荒川に架かったものかと思いましたが付近に橋が存在した記録がなく、前方市野川の橋の供養塔と推測しました。

 

河川敷の道端にポピーの花一輪

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鴻巣市の荒川河川敷に大きなポピー畑がありますが、種が飛んできたか流れてきたのでしょうか。対岸を歩いたときも時々河川敷に咲いているのを見かけました。

 

こちらも刈取り後の麦畑

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地上20㎝くらいの高さで全部ぶった切っていくのですね。跡には麦わらだけが残り、麦穂はまったく残さないという機械(コンバイン)の技術に感心します。

 

市野川の橋を渡ってから河川敷農道を2㎞ほどさかのぼり、再び荒川堤防に上がりました。

堤防上から竹やぶの間、河川敷と荒井橋

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その付近堤防上から荒井橋(吉見町江和井)

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この橋は横堤のないところに架けられてます。それでも橋長が642mと比較的短いのは川幅が少し狭くなっているためです。

 

上流側から対岸を望む

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左方奥は対岸の『北本水辺プラザ公園』。
この付近で海から58.0㎞(標識が立ってます)。

 

500mくらいさかのぼって

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向こうの林の中で1本完全に頭を出している木があるあたりがこの日のゴール地点のはず。

 

堤防上、荒川右岸58.8km標識近く(吉見町久保田新田)

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右岸堤防から離脱した地点です。調子が良ければもっと先、御成橋を渡って鴻巣へ出る計画も立ててましたが疲れました。河川敷におりて荒川対岸に渡るための高尾橋を目指します。

 

途中で荒川旧流路を横切るのですが、そこに架かっていた橋がこれ
高尾新田橋

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旧流路といっても本流だったのでもっと川幅広いと思ってましたが、河川改修後に細い水路だけ残して埋めちゃったようです。

 

その100mほど先、左岸を歩いたときにも通った
高尾橋、荒川右岸側から(北本市高尾)

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ここ2回分の記録で初めての荒川です!〈お、橋の下に人がいた事に気づいてなかった〉

 

渡ってちょっと行き過ぎて振り返り

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今回はここまで、続きはまたこの橋まで来てから。

 

ラフな足あと地図をおいておきます。
この日の足あとは緑色のラインです。

前回分

荒川を歩く その9 〈右岸〉上江橋(川越)から太郎右衛門橋(川島町) - 散歩の途中

荒川左岸・並行するところの記録

荒川を歩く その8 〈左岸〉太郎右衛門橋(桶川)から御成橋(鴻巣) - 散歩の途中