杉並区北部の上井草、下井草あたりを流れていて、いまはすべて暗渠になっている井草川。本流に流れ込む小さな支流まで、流れの痕跡があちこちに残っており、それらをたどる暗渠の迷路歩きをしてきました。
(歩いたのは2018年10月ですが、まとめるまで時間がかかりました。)
井草川と主な支流など流路地図
井草川は妙正寺川の最上流部、妙正寺池から流れ出してすぐの部分で合流し、そこからは妙正寺川として下ります。その妙正寺川は神田川に合流し、神田川は隅田川に合流して最後は東京湾へと注ぎます。
最初は妙正寺池からです
妙正寺川の源流となる池、周囲は妙正寺公園になっていますが、井草川はこの公園内で池から流れ出す水と合流しています。合流部も暗渠になっているので確認はできませんが。
妙正寺公園北側出入口
井草川は北側から流れてきて、この付近で公園内に入っています。公園内に井草川のはっきりした痕跡は見つかりません。
そこから振り向くと歩道がつながってます
井草川本流上はしばらく歩道、緑道(井草川遊歩道)になっています。この道を向こう、上流方向へと歩きます。
妙正寺川と井草川沿いの緑道は”科学と自然の散歩みち”と名付けられています。ノーベル物理学賞を受賞し、杉並区名誉市民にもなった小柴昌俊氏を記念する事業ということです。
北へ100mほど行ったところで一般道と交差します。川と道路の交差なので橋がありました。
歩道入口に「中瀬橋」銘板が残されています
その先、遊歩道沿いの中瀬児童公園内にいろいろなものが展示されてました。科学と自然の散歩みちだからですね。個人的に興味があったのが岩石ということで
8種類の岩石
向こう側から花崗岩、安山岩、礫岩、玄武岩、砂岩、蛇紋岩、緑泥片岩、片麻岩です。もっと近づいて見ないと違いはわかりませんね。
井草川の流れはこのへんで東側に少しふくらむ格好になります。その部分のまた外側から流れ込む支流の痕跡がありました。<上の流路図[支流1]、黄色ラインで示した部分>
支流が流れ込んでいた跡
下がいわゆる蓋暗渠になっているように見えます。
東側の道路へ追いかけてみると、続きがありました
本流へ戻って、そこから上流へ50mほど行くと流れが西に方向をかえていきますが、その途中でまたあやしい路地を発見します。そこを今度は北方向へ追いかけて行くと
道路を渡ってその先水路敷が続いてます
<上の流路図[支流2]>この道は北側へ、西武新宿線線路までは続いていることが確認できました。
本流へ戻り、100mほどさかのぼると支流との合流点に差し掛かります。
井草川支流と本流の合流地点
スペースがせまく様子がいまいちわかりませんが、立ち位置背後から左向こうへ本流、そこへ右から支流が合流しています。遊歩道もここで2つに分岐しています。
正面にあるのは遊歩道の案内図です。
井草川暗渠を巡ったブログなどを拝見すると、この支流は”今川支流”と書かれているものが多いようなので、この名称を使用させてもらいます。
今川支流は後でまわり、先に本流を行きます。
西へしばらく進むと西武新宿線井荻駅南口付近に出てきます。
井荻駅南口付近の遊歩道
前方には環八の陸橋がわずかに見えています。
環八陸橋を越えたところに、なぜこんなところに車止めがあるのか不明な場所なのですが、その界隈で有名な杉並区の
金太郎の車止めがありました
金太郎の顔部分が剥がれてますが、状態は比較的良好です。
この先で流れは北の方へふくらみ、西武新宿線の線路を越えます。
近くの踏切から見ると、線路が橋梁になっていました。
第5妙正寺川橋梁
線路脇に立てられている橋の名標は、井草川ではなく妙正寺川を使ってました。
線路北側へ出た川はこの先でもう一度線路を渡って南側へ戻るのですが、北側の短い区間にも遊歩道は整備されていました。
線路北側の遊歩道
さらに、合流してくる支流跡らしき道も
<上の流路図[支流4]、黒色ライン>
<独り言>この方向、この300mくらい先に千川用水あり、追いかけてみればよかった。分水があった証拠になったかもしれない。
再び西武線線路をくぐります
何となく川跡の雰囲気があり、線路はここも橋梁になってます。(第6妙正寺川橋梁なのかは未確認)
その後ろを向いたら、庚申塔の下の部分によく見かけるものがありました
冗談です。失礼しました。
ここも道路に橋があったのでしょう。歩道の出入口に橋の銘板が取り付けられていました。
再び線路南側へ戻った川を西から南西の方向へ蛇行しながらさかのぼります。この先もしばらく遊歩道が続きます。
四宮森公園に井草川の解説板がありました
ながいなと思いつつ
井草川
足元の遊歩道は、昔は井草川と呼ばれる川の流路となっていました。井草川は、上井草四丁目付近を谷頭とし、流路の北限となる井草四丁目の矢頭公園付近まで北東へ向かい、そこから東南へと流れを変え、清水三丁目で妙正寺川に注いでいました。水源から妙正寺川との合流地点まで、約三・五kmの小河川でしたが、地域の生活を支える河川でもありました。
宝永四年(一七〇七)、下井草村名主半兵衛らの尽力により、千川上水(用水)を分水して青梅街道沿いに用水が開削されました(星野家文書、区指定文化財)。その水を谷頭口から取り入れた井草川は田方用水として積極的に利用され、明治期まで両岸には水田が広がっていました。
上の写真は昭和三十年代の様子です。井草川は現代に至るまで、魚を捕るなど子どもたちの恰好の遊び場ともなっていました。このような井草川ですが、周辺の宅地化に伴い、暗渠化が進み、昭和五十六年(一九八一)にはすべての流路が暗渠となりました。
井草川には更に古い歴史もあります。井草川流域には旧石器時代や縄文時代など、二十六か所もの遺跡があり、往時から人びとに利用されていたことがわかっています。このなかで、井草川上流から中流部にかけては、これまでに七遺跡で発掘調査が実施されています。調査では、旧石器時代(一五〇〇〇年前頃~三二〇〇〇年前頃)から縄文時代草創期・早期(八〇〇〇年前頃~一五〇〇〇年前頃)の資料が多く発見され、特に古い時代の遺跡が集中していることは、この地域の特色といえます。
このように井草川は先史時代から現代に至るまで、生活の舞台となっており、地域に恵みをもたらす川として多くの人びとに受け継がれてきました。台地に刻まれた井草川の流れは、地域に刻んだ歴史とともに、現代は公園や遊歩道として親しまれています。
平成二十五年三月 杉並区教育委員会
ここから先はそれほど変化なく、遊歩道が続いています。
四の宮中橋跡付近の遊歩道
銘板には「昭和三十六年十一月」とあるようです。
三谷公園で北側から合流する支流跡
正式名ではないですが”原窪支流”と呼ばれている流れです。<流路図[支流6]、オレンジ色ライン>
この支流は痕跡がはっきり残っており、先を追いかけてみました。
[左上]歩道は左に折れて先で一般道を交差、先に金太郎の車止めがあります。
[右上]住宅地の一般道に出ますが、道路左半分が流れの跡、先の金太郎車止めで細い路地に入ります。
[左下]蓋暗渠の路地を先へ進みます。
[右下]車止めのここまで流路痕跡が確認できました。手前道路が杉並区、練馬区の境界です。
地形図や古い地図を見ると練馬区側へ入ってもう少し先(現在の上石神井南町)までかつては流れがあったようです。
本流に戻ります。
井草川遊歩道は三谷公園で終わります。
三谷公園を通過した流れはそのまま杉並工業高校の中へ入っていきます。(引き続き暗渠ですが)
推定流路の延長上、西側に細い道が現れますのでそこへ入ります。
杉並工業高校西側から
正面立ち木の向こうが高校です。
背後へ進むと”切通し公園”、井草川の源流と言われる場所です。
公園は地形的に谷戸の一番奥まったところ、崖斜面にあります。谷頭の崖下からの湧水が井草川の源流となっていたことが分かります。残念ながら現在湧水などは確認できません。
通りかかった時、人が集まって公園清掃中でしたので写真撮影を遠慮しました。
公園内にて、井草川源流域であることが記されています
斜面上側の入口から
前方へ斜面が下っています。
その背後は青梅街道、井草八幡前交差点です。
井草八幡宮の奥へすすむと善福寺池と善福寺川、ちょうど(手前を横切っている)青梅街道が分水嶺で、そこにかつては千川上水・六ヶ村分水の水路が通っていました。
井草川源流まで到達しました。
ところで、本流の源流部分、切通し公園斜面下の出入口付近でこの川は流れが2本に分かれていました。先で再び合流するのですが、分流のほうも追いかけました。
流れが分かれる地点
歩道左へ進むと先ほど通ってきた本流の流路ですが、右正面がもう1本の流路です。右へ流れを下る方向へ進みました。
(最初の流路図で分流は<本流源流部の分流路>で示した紺色のラインです。)
この流路は杉並工業高校の南側縁に沿っています
[上]左が高校との境界です。この先は細かく複雑に折れ曲がり
[中]こちらもフェンスの左が高校です。しばらく行くと校内に入ってしまい、行き止まりとなります。
高校敷地から出てくると三谷公園南側へ。
[下]合流点。公園の先で手前本流と再合流しています。
次に”今川支流”へ回ります。
こちらは上流側から下流へとたどります。
(流路図<今川支流>の青色ラインです。)
突然歩道が現れます(杉並区今川3-9付近)
この支流はどこが源流だったかはっきり確認できません。
下流へ歩き出してまもなく別の水路跡が現れました
今川支流と直角方向になる水路敷、向こうには杉並区の金太郎車止めがあります。
これは追いかけて行くと青梅街道まで続いていました。どうやらそこを通っていた用水路、六ヶ村分水の水をさらに分けた流れと推測されます。今川支流へ補水していたようです。
(流路図<六ヶ村分水からの分水路>薄緑色のラインです。)
この先、観泉寺の前を通ります。
寺院前の石仏群と
実際の流路はこの左にありますが、駐車中の車のため切れてます。
観泉寺本堂
戦国時代の今川直房(父は今川義元)が当寺を今川家の菩提寺とし、こちらには今川家累代の墓があります。周囲の地名も”今川”です。
観泉寺の先で
今川支流はこの先中央大杉並高校のグラウンド下へ入るため、この先、道は行き止まりです。ここは誰も通らないので落ち葉だらけで荒れてます。
高校から出てきた支流跡は一般道となり、あちこち折れ曲がりながら先へ行きます。途中で別の支流と合流しますが、合流点にはっきりした痕跡はありません。
環八通りと早稲田通りの清水3丁目交差点に出てきます
環八の東側へ出て、水路跡は本流合流点に近づくと遊歩道になります。
下井草5丁目付近
一瞬、緑豊かなところを通過
ここからあと300mほどで本流との合流地点となります。
合流地点は先に本流側に掲載しましたので省略します。
井草川、ここまでとします。
妙正寺池南側にもあれこれ水路跡がたくさん確認できるのですが、そちらの流れは井草川ではなく、妙正寺川に直接流れ込んでいるので今回は見送ることにしました。
妙正寺川については