散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

勝田台から千葉ニュータウンを縦断して新木へ歩いた記録

千葉下総の台地を徘徊した記録をまたひとつ。多分に自分用備忘録ではあります。

下総徘徊、前回はこちら

松戸から我孫子へ歩く - 散歩の途中

今回はもう少し東側を歩きました。
まず八千代市勝田台を起点にほぼ北へ進みます。千葉ニュータウンを南から北へ縦断し、下手賀沼を少し見て手賀川を渡り、我孫子市東側に位置する新木(あらき)というところまでです。

スタートは京成と東葉高速が交わる勝田台駅から。
"Keisei"のロゴが目立つ駅前

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駅前を成田街道(国道296号)が通り、それを横切って北へ。とりあえずこの日は北へ北へと進みます。

駅前からの通りをしばらく行くと横に入る道沿いに西欧風の建物が数軒並んでます。レストランやカフェなどのお店。
その中の2つ

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絵的にちょっと狭苦しくなりました。

 

そのすぐ先には
黒沢池

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東葉高速線線路がさほど大きくない池の真上を通過。〈もう少しなんとかならなかったものでしょうか〉

 

遊歩道を通って村上団地から村上緑地公園へ歩きます。
咲いていた梅

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こちらは杉ですね

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わりと大きな公園、端までくるとそのうち周囲の住宅もまばらとなり、のどかな風景が続きます。

台地の上で畑が多いです

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こちらは古い建物が残る集落、通る道路も古くからあるのでしょう(八千代市米本)

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米本団地内を通過中

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こちらの団地も半世紀近い歴史があるようです。

 

団地の北側から低地に下ります。周囲は畑でなく田んぼになります。

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西印旛沼とつながる印旛放水路(新川)に出ます。

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ここは昨年(2021年)初夏に歩きました。季節は異なりますが川沿いに集う人々の様子はまったく変わりません。

 

印旛放水路・平戸橋の上から

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上流の方で川が合流しています。

橋を渡って左側へ出ます。
合流点近くから

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左側、神崎川に見える橋をまた渡ります。

右の流れに沿って行くと西印旛沼です。印旛沼干拓されて面積が小さくなりましたが、その前は沼の尻尾がちょうどこの付近まで広がっていたようです。

 

印旛沼干拓によってできた新田(八千代市堀の内)

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千葉県道61号(船橋印西線)にぶつかって印西市に入り、県道からまた細道を行きます。

北総花の丘公園手前の谷戸

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田んぼの細道を向こうの丘陵に上がると千葉ニュータウンの圏内、上には公園が広がってます。こちら側からアプローチする人はほとんどいないでしょうね。

 

北総花の丘公園バーベキュー場に出ました

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ここからは畑や水田の風景と異なり、宅地市街地整備された区域です。

 

芝生と木々の向こうには東京基督教大学チャペルの鐘楼

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公園南端から遊歩道を1500mほど歩き、ここはニュータウン大橋の上

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歩いてきた方をふり返ってます。橋の下は大きな池、たぶんニュータウン造成時につくられた人工池で、北総花の丘公園の一部です。

 

橋を渡って駅近くへ出ます。

千葉ニュータウン中央駅付近の歩道から

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駅入口とモザイク模様敷石

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北側へ出て

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このあたり車道も歩道も道幅が広い、充分以上の余裕をもって設計されてます。〈そのわりに人も車もそれほど多くないけど〉

 

イオンのでっかいショッピングモールの脇から住宅地を歩いていくと池のある公園の横に出ました。

浦幡新田公園の池(印西市木刈)

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未開地のようにも見えますが、このあたり周辺は戸建ての住宅が建ち並んでいます。
この公園周辺はニュータウン開発初期に造成されたようで昭和50年代には宅地造成がはじまっています。(ニュータウン開発事業の開始は1966(昭和41)年)

 

そのすぐ北側はニュータウン地域から外れるのか、今もって手がつけられていない風景に戻ります。そのギャップが大きいです。

木刈地区の住宅地域から坂を下ってふり返る

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まだニュータウン中央地域のビル、周辺の住宅が間近ですが風景は一変。

反対(北)方向

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ニュータウン地域に入る前の風景に戻りました。開発が無かったらずっとこんな風景が続く地帯だったのでしょうね。
左を流れている小さな川があります。浦幡新田公園の池を源にしている浦部川です。

 

流れを2㎞弱下って松山下運動公園付近から振り返り

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公園出入口前を木下(きおろし)街道が通過

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〈地名に‼〉発作

『ほっさく』と読むようです。

 

周辺はいたって長閑な田園地帯です。

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足元の道を先へ、水辺に出ます。

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この周辺は昭和初期頃まで干拓される前の手賀沼の一部でした。現在は干拓事業も完了して、前を流れるのは手賀沼から分断された下手賀沼から流れる下手賀川。

この川に沿って少し歩きましたが、白鳥の姿をよく見かけました。間近には寄ってこないので姿をおさめるのは無理でした。

 

こちらは下手賀沼

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干拓される前はひらがなの『つ』の形をしていましたが、右半分がなくなって2つに分かれ、残った下側が下手賀沼です。

そのほとりにちょっと立ち寄って再び先へ。

このあたりは干拓された手賀沼、いまは一面水田地帯

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手賀川に出ます

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現在も手賀沼として残った部分の水を流すための水路になってます。下手賀沼千葉ニュータウン付近から流れてくる小河川の水も集めて利根川へと流れます。

 

手賀川を浅間橋で渡ります。

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意外に川幅が広い(浅間橋上から)

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渡って北側へ出るとそこもまた干拓された手賀沼の広大な水田地帯

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水田のまん中を広い道が一本

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浅間橋を渡っている道路です。
正面の台地、住宅地になっています。あちらは下総台地の北の端にあたる部分、我孫子の市街地のほうから東へ細長く伸びる台地です。いちおう『我孫子台』としておきます。我孫子台の北側はまた低地になって利根川が流れています。

 

台地の際まできて振り返り

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底の平坦な部分はかつての手賀沼、水のあったところ。向こうに若干高く見えるのは下総台地の続きです。

 

こちら我孫子台に上がります

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台地上をJR成田線が通り、新木駅があります。この日はそこまでとしました。

駅ホーム間近の空き地に蕗の薹がたくさん芽を出していました。