散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

船橋市最北端から手賀を経て天王台へ歩いた記録

これは二重川を歩いた日の後半部になります。

現在位置は二重川と神崎川の合流地点、そこは船橋市の最北端に位置していました。
今回はそこからさらに北へ、白井市内を通って下手賀沼のほとりへ出ます。
次は手賀の丘へあがり、手賀沼へ下り、沼の北側にのびる手賀沼遊歩道を途中まで、そこから天王台へというコースで歩いた記録を残します。

前半部二重川は以下のリンク

二重川を歩く 千葉鎌ケ谷から船橋・白井境界を流れる川 - 散歩の途中

 

二重川・神崎川合流点

 

神崎川の二重川橋

〈欄干だけ〉

橋を渡ると船橋市から白井市内へ、川から離れて北総の丘へあがります。

これはまだ上がる手前の道路から(白井市神々廻(ししば))

 

上がると畑です

台地の下、川の近くは田んぼでしたが上は畑です。

このあたりの下総台地(または北総台地)、台地の上下で高低差は20mほどしかないのですが台地上は水を確保するのが難しく、昔は人の住めない土地が広がっていたようです。
現在は水道などのインフラが整って人が住むには問題ないですが耕作地としては畑とするのが精一杯、代わりに果樹の畑、特にこのあたり梨が多く栽培されているようです。

梨の畑、ですよね


この付近ではよく耳にする『木下(きおろし)街道』を渡りその北側へ。

そこにまっすぐな道がのびていました


ちょうど1㎞の直線を突き当たるとこれもこの付近でよく耳にする『鮮魚街道』(なまかいどうと読みます)に出ます。
江戸時代に銚子沖などで獲れた魚を江戸に運ぶのに利用された街道だそうです。
〈道路はいたって普通なので省略〉

鮮魚街道を横切ってその先へ(白井市十余一)

相変わらず平坦な台地上を歩いています。
この周辺の地名『十余一(とよいち)』は〈以下Wikipediaから抜粋ですいません〉

明治維新後、新政府は失業状態に陥った旧幕臣などの窮民の授産事業として、下総台地の小金牧と佐倉牧の開墾を計画した。開墾は開墾局と三井八郎右衛門高福を総頭取とした開墾会社(現在の三井物産)によって行われ、1869年(明治2年)10月に入植者を募集し同月中から入植を開始した。
開墾地は「東京新田」とも呼ばれ、入植順に、小金牧には、初富・二和・三咲・豊四季・五香・六実、佐倉牧には、七栄・八街・九美上・十倉までの新村名がつけられ、その後十余一・十余二・十余三が加えられた。

明治初期に13あった入植開墾地のひとつがこちら。現在見ると何の変哲もない土地ではありますが、開墾にあたって当時は水の確保が大変だったのではと思います。〈当然それ以外にも大変な苦労がありました〉

 

台地の北端まで来て(白井市平塚)

坂道の途中から。前方に広がるのは下手賀沼です。
かつては手賀沼といっしょ、平仮名の『つ』の形をした大きな沼でしたが、干拓事業によって北と南に分離された形になっています。『つ』の下部分が下手賀沼です。

いったん下って〈下りないと先へ進めません〉

べたっと平坦なところへ出ました。平らすぎて沼がみえませんね。

歩いている道路は通称『カンナ街道』

多少無理はありますが、まだ花がありました


田んぼのあぜ道を横切って下手賀沼のほとりへ

上流から川が流れ込むところ〈沼頭とかいうのかな?〉に近く、堆積した土でだいぶ埋まってます。

そもそも湖より水深の浅いものが沼と称されるので、より埋まりやすいとも言えそうですが。

流れ込んでくる下手賀川


橋を渡り下手賀沼の北側へ出ます。

今井三号橋(白井市今井)

昭和38年に架けられた古い橋でした。

 

また低地におりてきて、沼の北側だけではなく周囲はほぼすべて水田です


でもまた台地へ上がり、畑に変わります
ここはねぎ畑(柏市手賀)

柏市に入って『手賀』というところへ出ました。

こちらの台地は谷戸(谷津)も多くみられます

奥のほうから水が湧いて流れてくるのでしょう、周囲は水田ですね。


手賀の集落で
寂れた長屋門

奥に屋敷はすでになく、門だけが残されてました。

 

再び台地の端へ出て

先は手賀沼の干拓された平地(田んぼ)が広がってます。

 

下ってから来たほうをふり返り


先は手賀川

手賀沼から流れ出る川です。昔はこのあたりも手賀沼の一部でしたが干拓されて川が一本。

その堤防を少し歩き

前方に手賀新曙橋

橋の向こうから手賀沼、その沼尻です。

こちら今は歩道橋となった旧橋の手賀曙橋


橋の途中にある水門とか、いろいろ


手賀曙橋から見た手賀沼


手賀沼の北岸に出て手賀沼遊歩道を進みます。

よく整備された歩きやすい歩道でした。

小さな川が手賀沼に流れ込んでるところ


遊歩道から見えた風景


名残の湖面〈沼でしたね〉

 

滝下広場というところまで歩いて方向を変え、あとは帰り道。

常磐線の天王台駅まではもう少しあるきました。