中津川、続きです。愛川町半原からさらに上流へ向かって歩きます。
半原の河原
向こうが下流方向、見えるのが日向橋(ひなたばし)。
上流側には愛川大橋があり、その先は川の両側一気に山が迫ってきます。
愛川大橋
愛川大橋から5~600mほどさかのぼると
石小屋ダムが見えてきます
このあたりの地名、石小屋(いしごや)にちなんでつけられた名称ですが、正式名称は『宮ヶ瀬副ダム』といいます。この奥にある巨大な宮ヶ瀬ダムからの放流水による、川下流の急激な水位変化を調整する目的で設けられたダムです。
堤体横上から
水の流れを堰き止めるダム本体を堤体といいますが、ここの堤体は石を積んだような模様がつけられています。両サイドの岩山も自然のものではないですが、凝ってます。
ダム湖の水を勢いよく放流しています。小規模ですが水力発電所(愛川第2発電所)があります。
また、当然ですが中津川の河川水量維持のため常時一定量の水を放出しています。
上流側からみたダム堤体
手前がダム湖(石小屋湖)ですが、水量が著しく少なくなっています。通常は(越流提)堤体天端近くまで水があり、宮ヶ瀬ダムで観光放水を行うとこちらは越流提を越えて水が流れます。
湖といってもかつての川を堰き止めたものですから、川筋の細長い形をしています。
水位が下がって左側は地肌が露出してます。右側は津久井湖城山ダムへ水を送るための呑口ですが、その高さまでも水が届いていないような。
水位が下げられている理由ですが、2019年10月の台風によりダム湖横の山で土石流が発生、大量の土砂が石小屋湖へ流入して現在も続く除去作業のためです。
こちらがその現場
後ろが宮ヶ瀬ダム、手前に架かる新石小屋橋の下です。
新石小屋橋の上から
見えているのは『大沢の滝』、この沢が土石流になったのかと思います。
重機とダンプでひっきりなしに土砂を運んでいましたが、1年以上たってまだ作業めどがつかないようです。
宮ヶ瀬ダムへ仕切り直し
「付近の地名の由来となった石小屋を再現」とかあったような気がしますが失念、詳細は覚えてません。〈検索しても見つからず、何か出たら追記します〉
新石小屋橋
作業のダンプカーのため、歩行者通路幅が制限されてます。ダンプも橋の先で方向転換できず、片道はバックで橋を渡るとか大変。
橋の上から
橋の下は除去作業中の土砂。勢いよく噴き出す水は愛川第1発電所、宮ヶ瀬ダムの水も一部水力発電に使用されてます。
宮ヶ瀬ダム堤体からも観光用に放水されますが、手前石小屋湖の作業や新型コロナ禍の影響で休止中のようです。(そもそも冬場は休止でありました。)
新石小屋橋の名称ですが、宮ヶ瀬ダムのできる前この周辺は中津渓谷という観光名所でした。そこに石小屋橋があったのですが、ダム建設により取り壊されて現在の橋に名前が継がれたということです。
ダム堤高156m。
中央部分を顔に見立てると、2つの鼻穴から観光放水が行われます。上部の3つ目は非常用吐口。
その橋を渡りきりびしょ濡れのしょうもない絵がこちら
〈ご笑納くださいませ〉
インクライン、エレベータ乗り場付近
堤体の上部、天端へはこちらから2つの方法で行き来することができます。ただしエレベーターはコロナ禍の中、運休中でした。
そして3つ目の方法、歩いて上がる…、右端に写っているのも階段ですが作業用、あいかわ公園の通路を上がっていきます。
もう一度新石小屋橋を渡って戻り、あいかわ公園に入ります。
公園内のクリスマスツリー
ダム下の谷間は冬場、日が射し込みませんが、上は良い天気
ダム向こう側の景色も見通せる位置まできました
サンタクロースをさがせ16番はこちら。〈見つけるためにここまで徒歩であがってくるのは結構大変ですよ〉
〈光浴びすぎです〉
向こう側にインクライン(ケーブルカーの一種)の軌道が全部見えます。
天端から見下ろして
発電所からの放水、新石小屋橋、石小屋湖など一望。現在の河谷の上にあるテラス面は大昔の流れの氾濫原跡かな?というのは妄想です。
この日は遠くに横浜の高層ビルまで見えました。
あまり変わらないですがこれは前月、下見に来た時
天端の通路
大きなダムだけあって、幅広く(厚く)つくってあります。
堤体南側から
後ろ側
宮ヶ瀬ダムの竣工は2000年です。ダム建設の前は現在の宮ヶ瀬湖の底を中津川(とその支流)が流れていました。
現在は湖に沿ってとなりますが、もう少し上流まで歩きます。そちらは次回。
中津川地図
中津川その1
その3