散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

秋晴れの桜田門周辺

皇居外苑桜田門あたりを中心に、秋の休日朝の風景を少し。天気いいです。

最初は日比谷交差点付近から。
日比谷濠馬場先門方向

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祝田橋から桜田門方向。
凱旋濠

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明治以前は日比谷濠の一部でしたが、日露戦争戦勝時の凱旋道路と祝田橋開通により濠が分断され、こちらは凱旋濠と名前を変えました。

 

祝田橋をわたり、皇居外苑へ入りました。

橋を渡ってすぐのところに
江戸城跡の解説

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特別史跡 江戸城
江戸城は長禄元年(一四五七)に太田道灌によって創築されたが、天正十八年(一五九〇)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。
以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われ江戸城の総構が完成した。
明治維新江戸城は皇居となり、昭和二四年に西の丸下及び現在の皇居を取りまくお濠の地域が「国民公園皇居外苑」として一般に開放され、昭和四四年からは北の丸地域が加えられ広く国民に親しまれている。
この江戸城跡は、三百年近くにわたる将軍の居所として、また政治の中心としての史的価値が極めて大きく、その規模はわが国随一のものであることから、昭和三八年五月三十日に文化財保護法による「特別史跡」に指定された。
環境省皇居外苑管理事務所

 

向こうに外桜田門のひとつ、櫓門が見えます。

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休日の早朝、皇居ランナーがたくさんいました。

 

少し近づいて

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現在は祝田橋で濠をわたって直接ここへ来れますが、昔は橋がなく桜田門を通って城内に入らないとここに到達できませんでした。ここからの桜田門(櫓門)は江戸城内側から見ているということになります。

また桜田門は内桜田門、外桜田門があります。外桜田門が一般に「桜田門」と呼ばれており、内側の渡櫓門と外側の高麗門の2重の門からなっています。
一方、内桜田門は桔梗門と呼ばれ、桔梗濠から江戸城三の丸に入る門で、現在は皇宮警察本部があり、通常は開放されていません。

 

櫓門をくぐったところから振り返り

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この右背後に外側の高麗門があり、現在立っているところは枡形になっています。

 

高麗門の内側(枡形)から

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右手と門の外は工事中でした。

 

桜田門、外側から

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現在は門に駆け込んでいく人がたくさんです。

 

桜田門解説

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江戸城桜田門
現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられました。古くこの辺りを桜田郷(さくらだごう)と呼んでいたことに由来します。
外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)の二重構造からなり、外枡形という防御性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られました(三二〇坪)。建築されたのは寛永年間(一六二四~四四)とされ、現存する門は、寛文三年(一六六三)に再建された門がもとになっています。大正十二年(一九二三)の関東大震災で破損し、復元されました。
万延元年(一八六〇)三月三日、この門外で大老井伊直弼水戸藩藩士に暗殺されました(桜田門外の変)。

 

桜田門に沿う桜田

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桜田濠は右側石垣の切れ目で2つに分かれています。足元の桜田門橋背後へ凱旋濠、右に桜田濠がのびてその先は二重橋濠へ。

 

左向こうへ

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桜田濠はこの向こう半蔵門まで、その先は半蔵濠。

 

少し離れて振り返り

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正面に高麗門、入って枡形右に折れた位置に渡櫓門の櫓がみえます。

 

現在桜田門正面に至る道路は国道1号ですが、江戸城築城当初は北条氏拠点のあった小田原城とを結ぶ小田原街道起点で、ここは小田原口と呼ばれていました。

その国道1号に出ると隣は警視庁(通称桜田門)、その横から
道路反対側は法務省旧本館の赤レンガ棟

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その右隣りは東京高裁・地裁合同庁舎です。

 

今回はここまで。
写真は2019年10月のものです。
ここへきてまた持ちネタが底をつくとは予想してなかったのですが、最近私的なアレコレとおてんとさまのご機嫌がまったく噛み合わず、全然外を歩けていません。その穴埋め