散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

坂道探訪 目白崖線・落合崖線の坂道(1)

間が空きました。7月は雨続きにあれやこれやで気が萎えました…。
出かけてないので新たに書けることもなく、1回だけ過去分のストックで穴埋めをします。

今回は東京街中の坂道探訪ですが、仕込み途中でCOVID-19騒ぎが発生し、人混みとなりやすい都心などを歩き回らないようにしたので、中途半端な状態で保留になっていたものです。騒ぎが落ち着いたら抜けてるところを再度訪問してまとめるつもりでしたが、いつになるか想像がつきませんので取り敢えず出しちゃいます。

訪ねたのは豊島区、文京区あたり。目白台の台地から神田川妙正寺川が削った谷に落ち込む目白崖線、落合崖線といわれる崖にある坂道です。富士見坂、豊坂の2坂と『予告編』的にいくつか…

 

◆富士見坂〈ふじみざか〉と日無坂〈ひなしざか〉

目白通り不忍通りが交差する目白台二丁目交差点から南側に入る細い道の先に2つの坂道があります。

目白台二丁目交差点から

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手前の道路は目白通り、ちょうど豊島区と文京区の境界がここです。
古い建物の酒屋と写真館、その間へ入っていく道があります。

 

入るとすぐに急な下り坂が現れます。
富士見坂の坂上付近

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坂上付近で道が2つに分かれています。

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右が富士見坂、左が日無坂です。

 

日無坂を上から

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勾配がきつく坂の途中は階段です。
道沿いに豊島区と文京区の境界が通ってます。(中央の手すりが境界線かな)

坂名は文京区によれば「ごく狭い坂で両側の樹木の枝葉で日も差さなかったので日無坂という」とあります。

 

富士見坂へ戻り

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こちらの坂名は富士山が見えたからとされていますが、方角的に正面ではなく、下るときの右横方向になります。現在は建物などでまったく見えないそうです。
代わりに坂の正面には新宿あたりの高層ビルが良くみえます。

 

中ほどから上を

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勾配はかなり急で、標識があれば20%程度の値が記されていたでしょう。

 

坂下付近から上方向

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坂下付近で勾配は緩やかになってゆき、のち平らになります。スキーのジャンプ台の傾斜と似ているような気がしました。

富士見坂の東に日無坂、さらに小布施坂、豊坂と名前のついた坂道が連続しています。

 

◆豊坂〈とよさか、別名:ゆたかざか〉

文京区目白台1丁目の坂道。富士見坂から東へ200mほどの距離、目白通り日本女子大前交差点を南側へ折れるとすぐに豊坂にかかります。

日本女子大前交差点付近の豊坂坂上より

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道は坂途中でクランク状にカーブしています。

傾斜は中ほどから坂上にかけて少し急になりますが、坂下側はゆるやかです。長さは200mほど。

 

屈曲するあたりから坂上交差点方向

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同じく下方向

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その先を曲がったところから坂上方向を振り返り

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その付近から坂下

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背後に文京区による説明板があります。

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豊坂〈とよさか〉
目白台一丁目7と9の間
 坂の名は、坂下に豊川稲荷社があるところから名づけられた。江戸期この一帯は、大岡主膳正の下屋敷で、明治になって開発された坂である。坂を下ると神田川にかかる豊橋があり、坂を上がると日本女子大前に出る。
目白台に住んだ大町桂月(おおまちけいげつ)は『東京遊行記』に明治末期このあたりの路上風景を、次のように述べている。
目白台に上れば、女子大学校程近し。さきに早稲田大学の辺りを通りける時、路上の行人はほとんど皆男の学生なりしが、ここでは海老茶袴(えびちゃばかま)をつけたる女学生ぞろぞろ来るをみるにつけ、云々」
坂下の神田川は井之頭(いのかしら)池に源を発し、途中、善福寺(ぜんぷくじ)川、妙正寺(みょうしょうじ)川を合わせて、流量を増し、区の南辺を経て、隅田川に注いでいる。江戸時代、今の大滝橋のあたりに大洗堰(おおあらいぜき)を築いて分水し、小日向台地の下を素掘りで通し、江戸市民の飲料水とした。これが神田上水である。
文京区教育委員会  平成12年3月

ついでに旧町名案内も。(文京区にはあちこちに旧町名案内板があります。)

旧高田豊川町(たかだとよかわちょう) (昭和41年までの町名)
もと、小石川村の内である。延享(えんきょう)年間(1744~48)以前に町屋を開き、小石川四ッ家町(伝通院領)といった。
明治2年、町内の豊川稲荷神社の豊川と、付近一帯を下高田と呼んでいたので、町名を高田豊川町とした。
同5年、旧大岡主膳正(しゅぜんのしょう)、稲垣摂津守(せっつのかみ)、小笠原信濃守(しなののかみ)などの大名屋敷地及び武家地を併せた。
同34年、元小石川村飛地字豊川、高田村字神明下を合わせた。
明治34年日本女子大学校(日本女子大学)が目白台2丁目に、成瀬仁蔵によって創立された。成瀬記念講堂は、コンドルの孫弟子田辺淳吉の設計により建てられた。
文京区

 

 

これより後はまとまっていない、通りすがりのスナップです。改めて訪問して整えるつもりです。

富士見坂の西側には稲荷坂、続いて宿坂、のぞき坂があり、その西に都電荒川線明治通り学習院大学へと続きます。その中で記録のあるものを。

 

◆宿坂〈しゅくざか〉

豊島区高田1、2丁目の境界にある、旧鎌倉街道といわれる道にある坂です。
長さ200mほどの勾配変化のない急坂です。

坂途中から上方向

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坂道沿い(坂下)に目白不動金乗院)があります。

 

宿坂道(しゅくさかみち)と呼ばれた時期もあったようで解説板がありました。

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文字起こしはのちほどきちんと訪ねたときにやりたいと思います…

 

坂上目白通りとその先鬼子母神表参道入口

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坂の先を見ています。

 

◆のぞき坂〈のぞきざか〉

23区でいちばんの急坂なんていう噂もある坂です。(”車も通れる”という条件つきで)
宿坂の西隣り、豊島区高田2丁目の坂道。
坂下はゆるやか、途中で一気に急坂となってそのまま坂上に至ります

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坂上から下が見通せず、上からのぞき込むのでのぞき坂となったと伝えられています。

ここは今のところ通りがかりに下から遠目に見ているだけ、坂上からの記録はありません。

 

都電荒川線踏切から学習院下停留所

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向こうは崖上方向です。

左は明治通り。こちらはのぞき坂のすぐ西側ですが、崖上に向かってはさほど勾配がきつくないです。ちょうど崖の切れ間、谷になっているところを狙って道路と軌道を通しているためです。
明治通りの左は学習院大学ですが、そこに崖線が通過していて、キャンパス内南北で大きな段差があります。

ここまでで一旦休憩、続きがいつになるのかは未定…

 

富士見坂、豊坂位置地図