神奈川・山北 駅前など古くからの町なかを歩く(1)

神奈川県のいちばん西に位置する山北町を訪ねました。
と言っても面積が広くそのほとんどが山地森林など、今回は町役場や駅などがある中心部をメインに古い建物など見ながら徘徊しました。

 

最初に置いた画は
山北駅前から正面の通りと建物

背後に山北駅舎があり、駅正面道路両側の建物があちこちで紹介されてます。〈そのへんは後ほど〉

 

まずは東のほうへ飛んで町の入口あたり
県道(76号)と古い街道の分岐点

左正面へ入っていくのがいちばん古い道、右はあとで増設された県道、バイパスですね。いずれの道もこの先山北の町へ入っていきます。

山北の町は山の間を東西に細長くのびる平坦な土地にあって、上の2つの道路以外にも国道246号、東名高速、JR御殿場線などが同じ向き、さほど間隔をあけず並行に通っています。

細長い平坦な地形はかつてここを流れていた川によってつくられたとされていて、今も町の西側を流れている皆瀬川の流路跡なのだということを聞いたことがあります。

 

いちばん古い道(👆の左正面)に入っていきます。
この付近、駅や町役場からはまだ少し距離がありますが以前から住宅などはあったようです。

歩道部分が幅広くとられてますが、下に水路があって蓋がけされているからです。

 

こちらの家屋は現在カフェになっています

ちょうど女性グループご来店の模様

ここに本格的に町が形成されていくのは明治に鉄道が開通してからです。なので古い建物といっても鉄道開通以降に建造されたものがほとんどだと思います。

少し先からは商店街の様相、通りの名前も「山北駅前大通り」に
戦後昭和風な店舗の先にさらに古そうな建物現る

蔵を備え、2階窓の意匠も目を引きました。何の商売をされていたのでしょう。

 

その数軒先道路反対側

手前の建物2階端に「和洋御料理 加登屋」、上塗りされちゃってますが看板(戸袋?)の文字がまだ読めます。

その隣り

足袋店、時計店、いずれも現役

さらに時計店の隣りには蔵のある呉服店川村屋

店舗反対側の石壁に「川村屋」の文字がありました。

山北町この一帯は平安時代末ごろ「河村郷」の地名で明治頃も「川村」という村でしたので川村(河村)姓は多いのかもしれません。
〈なんでも地元では全国の川村(河村)姓の発祥地であると言うそうで〉

呉服店の隣りも建物は新しくなってますが多分古くからの料理屋兼旅館?といった雰囲気が残る店があり

 

さらに数軒先は山北駅前となります。

大きな観光案内標、その左下に山北駅舎、『駅前大通り』右側は商店街続きです。

 

駅舎と観光案内所建物

左の煙突が2つ飛び出しているのが観光案内所「町立ふるさと交流センター」
建物は国鉄のSL機関庫をイメージしたものだそう

右が駅で駅舎や跨線橋などが見えてます。現在の駅舎は1924(大正13)年竣工の2代目

駅通路など

現在山北駅はJR御殿場線の小さな駅ですが開業は1889(明治22)年、当時は御殿場まわりだった東海道本線の開通と同時でした。
また山北から先の線路は山越えで勾配がきつく、ここで列車に補機の機関車を連結する必要がありました。
そのあたりWikipediaの一節を抜粋すると

山北駅では国府津方面から沼津方面へ向かう下り列車に補機を連結する作業が行われ、その補機の機関区が駅構内に設置された。鉄道が開通するまで何もなかった山間の集落は、「函嶺越え」の要衝の駅を擁する町となり、活況を呈するようになった。大正から昭和初期にかけての最盛期には、650人もの職員が駅や機関区などで働いていたと言われる。
山北駅は、補機連結のほか、蒸気機関車に石炭や水を供給する役割も担ったため、急行列車も必ず停車していた。停車列車が増加すると、鮎寿司の駅弁や山北産のみかんが販売されるようになった。機関区では多くの蒸気機関車が待機し、大量の煙を上げていたために、「山北の雀は色が黒い」という言葉があったほどである。

鉄道開通以後山北は鉄道の町として栄え、発展したのですね。

その後昭和にはいり、丹那トンネルが開通すると東海道本線は熱海を経由するようになり、こちらは御殿場線と改称されて列車本数も減り、駅の賑わいも消えていったということです。

 

鉄道の話題はまた後ほどとして、最初にも載せた駅前通りをはさんだ2つの建物を観察します

詳しくわかりませんが、建築されたのはいずれも昭和初期ころとか。山北の賑やかだった頃なのでしょう。
当時どのように使用されていたのかもわかりませんが、現在は左がバル、右は美容室です。〈左は以前訪れたとき薬局だった覚えはあり。美容室の右隣りも古い建物、酒屋でしたが現在は営業してません。〉

バルの建物は現在1棟単独ですが美容室建物は奥に壁がつなげてありました。たぶん3軒分
そのつながり方がとても面白いです

どうやってこんな格好になったのか、途中経過をものすごく知りたくなった次第です。

 

建物の間から駅方向


駅前からさらに西方向へ商店街の続きをたどります

横断歩道のあたりには少し前まで「山北駅前大通り」と掲げられた商店街のアーチが道をまたいでいました。

👆の道路左側はこれまた昭和な建物が並んでます

各店舗の間口は狭いのですが、奥に長くなっているようです。
現在営業されている店はわずかですが再生計画があるようで、今後どのように変わっていくのでしょうか。

 

今度は道路右側

手前、下見板張りの建物は電器店、そのとなりは八百屋だったのでしょう。
その向こうは現役の肉屋さん。惣菜類も豊富にありそうでした。

 

少し先へ

左は床屋さん、少し前までこちらもふる~い下見板張りが丸見えでしたがきれいになってます。右は本屋兼文房具店。

それより先はしだいに普通の住宅が増えていきますが
商店の名残りも


こちらも改修されてますが古い建物


右カーブを先へ行くと県道(76号、最初のところで右に分岐していた道)と交差
県道を渡った先も古くからの集落でした。

奥へ進むと頑丈そうな店構えの建物がありました

右に一部見える新しい建物とあわせ、一緒に写っているものなど扱う商店(会社)のようです。
建物正面に「店商郎次鉄関社会名合」

 

そこから右後ろへのびる道路には

大きな蔵、門は裏門でしょう。商店の裏手です

県道沿い表の門

「露木勝兵ヱ商店」は米屋さんのようです。表通り沿いこの左に店舗も並んでました。
表門の右側建物もたぶん米蔵

 

再び県道北側の集落にまぎれると
お寺らしき建物だけポつンと

建物脇の立て札には「萩原地蔵堂」、Googleマップのピンは「願王殿」
この奥、向こうの山との間は皆瀬川が流れています。
大昔は山北の町なかを流路としていたといわれる川です。

 

川のつくった谷間の上は現在
東名高速皆瀬川橋

3つの橋がかかっています。

川沿いに少しさかのぼると新東名の橋が現在架橋工事中。
橋のアーチが崖からせり出すダイナミックな光景が見られるようですが今回は足を伸ばしませんでした。

そしてこの橋あたりが山北中心部の町はずれ。
この後は町側へいったん引き返して歩きましたが、まだ長くなってしまいそうなのでいったん刻むことにします。

 

続きです

miwa3k.hatenablog.jp