横浜水道みちを歩く その3 南町田から野毛山配水池まで

横浜水道みちと言ってまだ横浜市内を歩いていなかったが、ようやく横浜市にはいるその3である。一気にゴールの野毛山まで歩いてしまった。

その1、その2はこちらからも。
その1

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その2

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「トロッコ」の歴史看板は26あるうちの(12)まで見ている。のこりは14あるが、ここまで探し出すのはたいして難しくなかったのでなんとかなりそうだと楽観してスタート地点へ向かう。
スタートは東急田園都市線南町田駅

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ここから鶴間公園へはあるいて5分ほど。公園内の坂を下りると前回その2の離脱地点に到着。
境川にかかる水管橋は今日もそこにあった。(当たり前)

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本日はこの反対方向へすすむ。とても暑い日だったので木陰はありがたい。公園内ですぐにこの日最初の看板を発見。

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「トロッコ」の歴史看板(13) 鶴間(1)

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三井用水取入所からここまで25.5km、現在地:鶴間公園。
鶴間公園を出るとまた水道みち上が歩道になっている。そこを進むとすぐに国道246号線と交差する、そのすぐ手前に次の看板があった。
「トロッコ」の歴史看板(14) 鶴間(2)

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三井用水取入所からここまで26km、現在地:鶴間。(13)の看板からわずかに0.5km。ここ看板の近くに創設当時に埋設された送水管が置かれていた。

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イギリスで製造された鋳鉄製の水道管、これをトロッコにのせて運んでいたということ。
これは国道246号にかかる歩道橋。

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信号もないのでしかたなくこれを渡る。渡るとまたすぐに住宅地の真ん中に次の看板が現れた。

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「トロッコ」の歴史看板(15) 瀬谷

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三井用水取入所からここまで27km、現在地:鶴間。水道局の案内では地名が「瀬谷」になっているが、住所はここも町田市鶴間、看板にも鶴間と書かれている。そういえば鶴間っていう場所は結構広い。東林間駅近くにあった看板は上鶴間でそちらは相模原市大和市にあった看板は下鶴間、そして町田市の3枚の看板も住所はいずれも鶴間である。昔の武蔵の国と相模の国の両方にまたがって鶴間という地名が存在しているということは国ができる前からこの地名があったのだろうか?そのうち調べてみよう。
看板(15)を過ぎると東名高速の高架にぶつかる。この下をくぐるとすぐに東京都町田市と神奈川県横浜市瀬谷区の都県境になる。町田市内までは歩道が整備されていたが、横浜市に入ったこのあたりは人の歩く道がなくなる。横浜水道みちなのに。実は踏み分け道のような人の歩いたあとは途中まであったのだけれど、だんだん草深くなり、しまいに完全に道が消えるので注意。それでも背丈以上の草むらを強引にかき分けていたらかつて道路の資材置き場だった?ところの工事用フェンスに突き当たった。これ以上すすむのは無理かと思ったがわずかな隙間がみえたので無理やり突破して向こう側の県道に出ることができた。なぜこのわずかな区間だけ歩道もなにもないのだろう?
それでもこの県道(県道18号、環状4号)に出られればあとは道路の心配はない。そしてこのへんから横浜市旭区になり、すぐその先は川井浄水場である。
県道18号側から川井浄水場のフェンス

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フェンスに沿って内部の様子を見ていたら、いろいろなものが置かれていた。
これは2メートル以上ある送水管(たぶん)。

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説明板などは中に入るとみることができるのだと思う。申し込みをすると見学ができるようなのだが、この日は中には入れなかった。
浄水場正門前

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川井浄水場は明治30年(1897)から整備された浄水場で、現在は道志川系統(ここまで歩いてきた水道みちの下を送水されてきた、道志川から取水された水)を浄水し、横浜市西部に水道水として給水している。そのほかに相模湖系統の2本の原水(相模湖相模ダム、沼本ダムで取水された水)を合流させ西谷浄水場へと送水している。
来たほうと反対側へまわってみると水道管の交換工事の最中だった。

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川井浄水場からは現在大きく2つの導水路が伸びている。ひとつはかつての水道みちにそって、もうひとつは丘の尾根筋を通っている。この日は「トロッコ」の歴史看板を見つける目的があるので水道みちに沿って歩いているが、別途丘の尾根筋の導水路に沿っても歩いた。そちらは「その4」で紹介する。
川井浄水場を背に「水道みち」となる道路

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まずこれをすすみ、国道16号保土ヶ谷バイパスの上川井ICに出る。そこから国道16号(八王子街道、バイパスでないほう)を横浜中心部方向に向かうが、水道みちはさらにその旧道がそれに相当するのでそちらを歩く。その旧道が八王子街道とぶつかる福泉寺前交差点の脇に次の「トロッコ」の歴史看板があった。
「トロッコ」の歴史看板(16) 川井

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三井用水取入所からここまで31km、現在地:川井本町。周囲の草木に埋もれてあやうく通り過ぎてしまうところだった。
ちょっと離れてみるとこんな感じ。どこに看板があるかわかりにくい。

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旭区内はところどころ水道みちが遊歩道になっている。看板(16)から遊歩道を歩いていくとほどなく(17)が、こんどは整えられた植え込みのなかにあった。

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「トロッコ」の歴史看板(17) 下川井

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三井用水取入所からここまで32km、現在地:都岡町。
ここからさらに進み、八王子街道筑池交差点を反対側にわたってまもなく次の看板が現れる。
「トロッコ」の歴史看板(18) 今宿

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三井用水取入所からここまで33km、現在地:今宿南町
看板(18)の先、今宿新橋から帷子(かたびら)川下流側

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川井浄水場を出て上川井の近くから水道みちは帷子川に沿っている。この先もずっとこの川は水道みちの近くを流れていく。
水道みちをさらに進むと、県道40号(厚木街道)鶴ヶ峰入口交差点にぶつかる。ここに吾妻鏡畠山重忠公終焉の地の文字が。

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この鶴ヶ峰付近は鎌倉時代の古戦場だったところ、とのこと。現在は周辺に旭区役所もあり、住宅密集地である。ここで交差点を渡ると車の交通量が多い商店街に入っていく。途中鎧橋という帷子川にかかる橋のあったところ(現在は河川改修工事で流れが変わり、橋もなくなって橋の跡だけが残る)に次の看板があった。

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「トロッコ」の歴史看板(19) 川島

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三井用水取入所からここまで35km、現在地:鶴ヶ峰2丁目。川井浄水場からこの鎧橋の地点までの地形は基本ずっとゆるい下りだったが、ここから上り下りがしばらくの間繰り返される、起伏が目立つところを通る。横浜水道の送水管もこのあたりの起伏の多い地形をどのように通すかで大変苦労があったとの話が残っているようだ。そして創設当時の導水路と、その後西谷浄水場が造られてからの導水路の分岐場所がこの近くにある。
水道みちの分岐地点

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分かりにくい写真になってしまったが、右側奥への道路と左側に入っていく道路にここで分岐している。左側が創設当時の水道みち、右奥へずっと進むと西谷浄水場へ至る、いわば新しい水道みちである。現在の導水路は新しい水道みちで西谷浄水場へ水が送られている。創設当時の水道みちはこの先、送水管はなく、道路だけが残っている。あと「トロッコ」の歴史看板が。
創設当時の水道みちの方へ進むとすぐに相鉄線鶴ヶ峰駅に出る。

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当時の送水管は駅のホームの下あたりを通って、反対側へぬけていたと思われる。
踏切を渡って線路の反対側へ出て、駅を過ぎたあたりで振り返ったところ

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ここからは現代の自動車が走る道路としてはやけに細い道がしばらく続く(しかもこの幅で一方通行でないところもある)。この先はずっと一般道を歩くことになる。

坂を上り下りした先に次の看板があった。

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「トロッコ」の歴史看板(20) 三反田

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三井用水取入所からここまで36km、現在地:西川島町。この先でまた坂を下る。この坂で水道みちは一気に低い場所へ出てくる。横浜市保土ヶ谷区西谷町の名前が示すように北側、南側を丘陵に挟まれた谷のような地形になっている、その底を帷子川や水道みちが通っている。現在の水道みちはここで帷子川を一回だけ渡る。昔は川の蛇行が多かったため橋も複数架けられていた。
道幅のせまい水道みちを行き来する車に神経質になりながら進むと環状2号線の高架をくぐる手前でやっと拡張された広い通りになり、車道と歩道の区分があるところをすすめるようになる。環状2号の高架下に次の看板があった。
「トロッコ」の歴史看板(21) 上星川

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三井用水取入所からここまで38km、現在地:東川島町。
この先相鉄線上星川駅近くで帷子川を渡り、しばらく行くと名称表示のない交差点で道路が合流するが、ここで合流してくる道は西谷浄水場から一直線に下ってくる。おそらく昔の送水管が通っていた跡ではないかと思われる。その道路と合流してすぐの場所に水道局の施設があり、そのフェンス沿いに次の看板があった。

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「トロッコ」の歴史看板(22) 坂本

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三井用水取入所からここまで39km、現在地:仏向町。
ここからさらに帷子川、相鉄線国道16号(八王子街道)と並行してすすむ。途中横浜新道の高架をくぐる。

水道みちと横浜新道の高架

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相鉄線と帷子川を渡ると星川で、保土ヶ谷区役所の前を通るとほどなく次の看板がある。
「トロッコ」の歴史看板(23) 下星川

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三井用水取入所からここまで41km、現在地:川辺町。このあたりまでくると高い建物も目立ち始めるが、水道みちはほぼ一直線にすすんでいく。
途中、旧東海道と交差する。

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写真奥側が日本橋、手前から写真後ろ側へ向かってすぐ江戸時代の程ヶ谷宿である。水道みちは旧東海道を過ぎるとすぐに公園内に次の看板が現れる。
公園のなかから

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「トロッコ」の歴史看板(24) 帷子

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三井用水取入所からここまで42km、現在地:南浅間町。このあたりから横浜市西区にはいってくる。
もう一度帷子川を渡る。水道みちの帷子川に架かるこれが最後の橋、水道橋。
送水管もここで顔を出している。

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ところでこの送水管は何の管だろう?
水道橋の上から西横浜駅方面

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この先階段が見えている左側で道路が突き当たる。相鉄線東海道線横須賀線の線路を横切るため道が消える。一旦階段をのぼって線路を渡り、反対側へ下りると国道1号線西横浜駅前交差点に出て、その先にまた直線の道路が続いている。

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交差点を渡って先へすすむと藤棚町の交差点に出るが、その手前の歩道に次の看板があった。交番の前になる。

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「トロッコ」の歴史看板(25) 芝生

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三井用水取入所からここまで43km、現在地:藤棚町1丁目。藤棚町の交差点は6差路になっているので少々複雑だ。で、水道みちの進むべき方向をみると、急坂になっている。明治時代につくられた導水路は標高の高いところから低いところへ自然落下で流れるように設計されているので水道の通る道にはあまり坂がないはずなのだが、と不思議に思いつつ坂を上ったのだが、坂はこれひとつではなかった。
一つ目の坂を上ったあたりから振り返って

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登り終わったと思うとすぐに急坂でくだり、すぐまた急坂で上り返す。
次ののぼりは傾斜20%の表示があった。

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一般道路で20%までいく傾斜はあまりお目にかかったことがないとかいうことにはお構いなく、またもや登り切ったと思ったら今度は16%の下り坂が待っていた。まったく遠慮のない道路である。
こちらは脇に階段もつけられていた。

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下りきったらまた上り坂があり、そして上り階段。

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階段を上がると野毛山公園だった。野毛山配水池の錆びた門

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創設当時の野毛山浄水場である。
さすがに息が上がった。この門の近くに最後の看板があった。
「トロッコ」の歴史看板(26) 戸部

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三井用水取入所からここまで44km、現在地:老松町。最後の連続急坂がこたえたが無事に到着。「トロッコ」の歴史看板26枚もすべて見つかった。
横浜水道を完成させた創設時の英国人顧問、Henry Spencer Palmer氏の銅像があった。

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とりあえずこのときは野毛山浄水場手前の連続の坂をどのように導水管をひいたのか、最後の野毛山浄水場にどうやって水を上げたのか、質問してみたかった。
公園は丘の上にあるので眺めがよい。
野毛山公園からみなとみらい方向

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公園内の記念碑と配水池内の建物

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記念碑は1964年東京オリンピックのものだった。ちなみに写っているのは裏側。
しばらく公園で休憩し、日ノ出町方面の急な下り坂をおりて京急線日ノ出町駅へ出た。
19.0km歩いた。