狩川をさかのぼって歩いた記録、続きです。前回は地名では南足柄市中沼、富士フイルム工場北側の川べりにある桜並木の遊歩道『春木径』に来たところまでまとめました。
春木径から見渡す対岸、彼岸花の土手と支流貝沢川の合流
河川敷は草だらけ。
ここから400mくらいさかのぼると大泉河原橋、その橋は大雄山線富士フイルム前駅と富士フイルム工場北門を結ぶ道路が通ります。
その大泉河原橋を越えた先、上流方向
富士山が矢倉岳の後ろへ隠れそうです。
対岸、少し高い建物がいくつか見えてますが、南足柄市中心部、市役所もある関本という地区が近づいてきました。
関本バスターミナル、大雄山駅前などを通って大雄山最乗寺(道了尊)へ向かう県道にかかる『大雄橋』が見えてきます。
大雄橋、遠目に
橋の欄干に万葉集の歌がひとつ刻まれていました。
安之我良乃 夜敞也麻故要弖 伊麻之奈波 多礼乎可伎美等 旅都ゝ志努波牟
(万葉集二〇巻四四四〇)
あしがらの やへやまこえて いましなば たれをかきみと みつつしのはむ大意 足柄の幾重にも重なった山を越えて行かれたならば、誰をあなたと見てお慕いいたしましょう。
大雄橋の架かる足柄の地に因んだ万葉集の歌を刻み地域の歴史と文化を伝えるものです。
旅立つ人への思いやりと、山並み重なる足柄の風土とが心に伝わってきます。
橋が出会いと旅立ちの場として、地域の人々にいつまでも愛されることを祈り、この銘板を設置します。
平成六年三月
万葉集のうたを刻んだ石碑もこの付近川沿いにいくつか見ることができます。〈くずし字なもんでよく読めないのでした〉
大雄橋の上から上流側を見て
左から支流上総川が合流、その上にも橋が架かってます。上総川は最乗寺付近に源があります。
このあたりはちょうど狩川の流れが平野に出てくるところ、扇状地の端(扇端)にあたります。
この先は山がちな地域に入って川の勾配もだんだん大きくなります。河原に転がる石の大きさも大きくなりました。
ただ、大雄橋から上流側は人工的に固められた河川敷になってました
このあたりの彼岸花は白が多くてまだ花が咲く前
上山下橋から上流方向
大雄橋からちょうど1㎞さかのぼったところ。
傾斜が目立つようになって川にあちこち短い間隔で段差(堰)を設けています。(水の勢いを弱め、下流での急激な増水を防ぐため設けられたもの)
さらに500mくらい
住宅地もこのあたりで途切れて町はずれ。奥には古い橋(上河原橋)が見えます。
上河原橋の先からふり返る
さらにさかのぼって約500m、次の古い橋は小川口橋
小川口橋の上から上流側を見るとここでも小さな流れが合流していました。
正面左側から沢の合流
そちらの流れは『唐沢』。
ここまで来てついに川沿いを歩くことができなくなりました。
現在の足柄道、県道に出て少し先へ歩きます。
小川口橋の周辺をふり返り
県道沿いで
足柄神社の鳥居
神社社殿は階段の上、足柄古道(旧道)に面して建っています。そちらは数年前古道を通ったときに訪ねました。
この背後には現足柄道から分岐する細道があり、そこへ入ると湧水があります。
『厳島弁天池』湧水
周囲は井戸のような形に固められてますがポンプなどはなく、説明書きにも自噴の湧水とあります。
秋にしては気温の高い日で水に触れたときにとても冷たく感じました。〈頭からかぶりたかった〉
湧水は先に小さな流れをつくってどこかへ流れていました
ポリバケツで受けているのはまた別の湧水だと思います。〈残りのパイプは家庭排水?〉
厳島弁天池の湧水前からまた川沿いに歩くと
渡場橋
橋上から上流側
渡った先から
今度は川をはさんで県道と反対側の細道をのぼります。このへんまでくると平らな道がほとんどなくなります。
次の日影橋を遠目に
日影橋も古い橋です。
橋上から上流方向
光の方向が変化したので下流方向も
次にかかる一色橋は広域農道建設で架けられた橋、それほど古くありません。
広い立派な農道はなぜか現在車両通行できません。県道との交差点前後に通行止看板が置かれてます。
一色橋のすぐ上流側には前田橋が架かります
一色橋があるのでほぼ役目を終えたと言えそうな前田橋です。
矢倉沢関所跡近くの次の橋へ向かう途中
狩川源流近くにそびえる金時山が雲の下に頭を見せています。右は矢倉岳、近くまで来ました。
手前、矢倉沢の集落、緑暗い谷間には狩川の流れがあり、中央は稲刈直前の田んぼや茶畑です。
再び川沿いの谷間へ下りて
次の関下橋から下流方向
こちらは上流方向
ここがこの日見た狩川の最上流になりました。架かる関下橋は文字通り『矢倉沢関の下にある橋』。
坂を上がって矢倉沢関所跡まではさほど距離ありません。
途中、川を見下ろしたり
この付近が関所跡
解説板など
矢倉沢関所跡(末光家)
江戸時代に入り、東海道の最重要である箱根関所が整備されましたが、それに伴い、矢倉沢にも箱根の脇関所として矢倉沢関所が設置されました。ここは定番人屋敷、蔵、番所である矢倉沢裏関所で構成され、通行人の取り締まりを行いました。周りは七十間(約126m)を超える柵や竹垣、生垣、茨垣といった防御施設も備え、その後施設の拡張も行われていました。
関所は小田原藩によって管理され、時期によって変化があるものの、番士二名、定番士三名(うち一名は裏関所番)、足軽、中問等若干名が配置されました。矢倉沢関所は明治になって廃止されましたが、末光家には、門柱の礎石、数枚の通行手形などが所蔵されています。
平成二十一年三月 南足柄市教育委員会
左の住居入口わきにも「市指定文化財 矢倉沢関所跡」と書かれた柱が立ってます。
関所跡前の古足柄道
ここから関本まで引き返しました。
関下橋に向かう、先ほど歩いた道などを下に見て
これは市街地近くまで引き返してから
水量豊富な水路と前方に関本周辺市街地
帰りは狩川沿いでない道を歩きました。
大雄山駅まで戻りました(南足柄市関本)
金太郎像の背景が昭和レトロ。
今のところさらに上流を歩く具体的な計画をたてていないので、とりあえず狩川ここまでとします。
狩川その1