散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

横須賀水道みちを歩く その1 愛川町半原水源地から海老名

2015(平成27)年に正式に廃止になっているが、およそ100年前に当時の帝国海軍によって建設され、横須賀市上水道の水を供給した横須賀水道半原系統という送水路があった。この水路は神奈川県愛川町半原の水源地からおよそ53kmの距離を経て横須賀市逸見(へみ)浄水場まで送水管が伸びていた。
その送水管を敷設した道路である「横須賀水道みち」は現在も多く残っていて、地形の起伏もお構いなく気持ちよくまっすぐに伸びている風景はなかなか印象的。全体を通して歩いてみようと以前から目をつけていた”物件”だった。

横須賀水道半原系統のもう少し詳しい歴史をみると

  • 日露戦争後、軍備拡張によって需要に追いつけなくなった艦船給水、工廠用水などに対応するため、帝国海軍横須賀鎮守府が軍港水道として建設を計画。
  • 1912(明治45)年に相模川支流の中津川に取水口を設け、原水を横須賀市逸見浄水場に導くための建設工事が海軍の手ではじまる。
  • 1918(大正7)年に軍港水道半原系統として一部の通水が開始され、1921(大正10)年に工事完了。
  • 戦後、施設は横須賀市に引き継がれ、市の水道施設となった。
  • 2001(平成13)年に取水口の上流に宮ケ瀬ダムが建設されたことで水質が悪化、半原系統の浄水処理方式に適さなくなったことが主な原因で休止、その後2015(平成27)年に廃止となった。

「横須賀水道みち」、水源地から横須賀市逸見の浄水場に向かって歩くことにした。
その1の行程

まず愛川町半原の水源地へ向かう。小田急本厚木駅から神奈中バス半原行きに乗り、ざっとこの辺りが間近かなという
馬場バス停からスタート

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この先に愛川大橋があり、そのたもとから下へおりると水源地の裏側へ出られる。

愛川大橋

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最初に取水口のあった場所へ行ってみた。水源地のより上流側に取水施設がある。
取水口入口

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設備は廃止されているが、依然立入禁止。

門の前からのぞきこんでみる。

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奥にトンネル(門が閉まっているところ)があって、その先に中津川に面して取水口があるようだ。手前の鍋がのっているようにみえるものは水量調整用バルブ?

水源地へ向かう途中。
中津川、上流に向かって

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先で川が少し右に蛇行して、ちょうど見えなくなっているあたりに取水口がある。

愛川大橋の下をくぐり、少し行くと水源地の裏側へ出る。
裏側から見た半原水源地

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大きなプールが4つ、これらは沈砂池、右端にちょっとだけ見えているのも砂などを排除するための水路。とりあえずここで大きなゴミや砂、泥などを沈殿させてから送水管へ水を送っていた。すでに使用されていないので当然水はなし。これらの設備も壊されてしまうのか?、工事の人が何人も入っていた。

正面へまわり、正門前

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陰になって見にくいが、門には「横須賀市水道局半原水源地」の文字。前の建物はベンチュリーメーター室(水の流量を測定する部屋)。
門が開いているので入れるのかと思ったが、工事関係者のみだった。

水道用の水もこの門の下を通って、前の道路へ出ていた。ここから53km、水のみちのはじまり。

正門を振り返って

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驚くのは、ここ半原から流れ出す水は、横須賀逸見浄水場まで自然落下、途中でポンプなどを使用せず高低差だけで送られていたということ。半原から逸見までの高低差はおよそ70mだが、途中に現れる地形の起伏を見てしまうと、圧力をかけることなく上り坂を本当に上がっていたのか不思議になる。

半原近くの住宅地域で

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道路の下を送水管が通っていた。

この付近はまだ平地が少なく、送水管を通したトンネルが2つ残っている。
水源地に近いトンネル

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現在はどのトンネルも閉鎖されているが、最近まで人は通れたらしい。内部もすべて煉瓦造り、漏水がひどく濡れているが長靴をはけば通れそう。

そのトンネルの反対側入口

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2番目のトンネル

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最初のトンネルより短い。中の様子はだいたいおなじ。

県道54号と愛川橋

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2番目のトンネルから出てきた送水管はこの県道(54号)に合流する。

しばらく行くと県道の愛川トンネルを通る。
愛川トンネル

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ここには最初、送水管用の「3番目」のトンネルがあり、県道は川沿いに迂回していた。車も通れるトンネルが造られたときに(たぶん)煉瓦のトンネルはなくなった。

トンネルをぬけると送水管は中津川を馬渡橋で渡っていた。
現在の馬渡橋付近

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数年前まで脇に送水管を抱えたトラス橋がここに架かっていたが、新しい橋に架け替え中。車が通っているのは仮設橋。

橋を渡ると愛川町田代という集落、住宅地を通り、中津川左岸の県道を進む。送水管も県道下をずっと通っているのだが、あるところで突然道路から直角に曲がって山側に迂回する場所がある。

道路から折れたところにトンネル入口発見

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手前の警告札に横須賀市水道局の名前があるので、送水管の通っていたトンネルであることは間違いない。
なぜここで迂回しているのかは謎(地盤の影響かなと勝手に推測)、300mほど先で再び県道下に合流している。

山側に上がってみても手がかりなし

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先ほどのトンネル出口も確認できず。

県道54号に戻ってさらに下流方向へ行くと、県道が左にカーブし、その手前で真っ直ぐ先へ進む道路が現れる。これが「水道みち」の標識を最初に見たところ。

水道みちここから

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左側から来て右向こう側へカーブしているのが県道54号、曲がらずにまっすぐくると手前水道みちに入る。

同じ場所から横須賀方向

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下り坂で中津川の氾濫原へ。ここからは直線道路が続いていく。

緩やかにまがった一直線の道、向こうには中津川が削った崖線が続く(言い方おかしいとか突っ込まないこと)

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崖線を上がる

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坂の途中で来た方を振り返って。この坂をポンプなしで水が上がってきたということが、この場所だけ見ていると信じられない。

坂の頂上で下を振り返る

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道路の端に石標「水道坂」。(オレンジの物体の後ろ)

この坂を上がってしまうと中津台地上の平坦面に出るので真っ平に見える。また、台地の下は田んぼや畑だったが、上は住宅地で少し畑が残るというかんじ。

台地へ上がって先を望む

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道路がまっすぐなのはこの先しばらく変わらない。

なので時々交差する道路とはかなり鋭角にまじわることがある。
中津交差点で県道と

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実質6差路になっている交差点だが、センターラインのあるのが県道63号、その向こうから水道みち。道路合流ならあり得る角度だけど、ちゃんと交差している。

この先で中津工業団地の脇を通ると愛川町から厚木市へ入っていく。

厚木市下川入付近から愛川町方向

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地図でみるとこの付近からごく緩やかにカーブして南方向へ向いていくのだが、目視では道路はまっすぐにしか見えない。

同じく横須賀方向

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中依知というところで国道129号とまた鋭角に交差するのだが、その付近まで水道みちはこんな感じで続く。

国道129号の東側に出ると、次に国道246号と交差(ここはほぼ直角)して南へ進む。

厚木市金田付近、愛川町方向

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この付近までくると相模川を越えるために水道みちの方向が少し東へ曲がり始める。

相模川堤防直前

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道路はここで堤防に突き当たって途切れる。送水管は前にみえる橋で川を渡る。

上郷水管橋、相模川右岸側から

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赤く見えるのが送水管。1918(大正7)年竣工、以後ずっとここにあるのだけれど現在は使われていない。

人や車はこの橋を渡れないので、迂回して反対側へ回る。
これが結構距離があった。中津川、小鮎川の橋を渡ってから相模川を渡るため大回り。

中津川・第一鮎津橋から相模川合流点を望む

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右向こうは厚木市街地、その左側にこれから渡るあゆみ橋。

あゆみ橋

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この橋を渡って前方の圏央道の高架下を左へたどると上郷水管橋の左岸側東詰へ出る。

上郷水管橋、相模川左岸側から

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橋長は約500mとのこと、トラスは全部で10連あった。

海老名市側橋のたもとから

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フェンスにかけられていた「河川占用許可標識」には、目的:用途廃止水道施設(横須賀市水道半原)の存置、許可期限:平成37年3月31日などとあった。

橋の反対側を向くとまた一直線の道路がはじまっていた。
水管橋の先、横須賀方向

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相模川を渡ると海老名市にはいる。田んぼ、畑の間の道にはたくさんの石標が残っていた。
横須賀市水道部

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海軍

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ほかに「横須賀市水道局」と書かれたものもある。水道部、水道局の石標はどこでもよく見かけたが海軍のものは相模川を渡ってからたくさん見る印象。

海老名市河原口付近の送水管道路

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ここは歩行者専用道だが、海老名市にはいって相模川から小田急線の線路付近までの送水管道路はあまり整備されていないところも。ところどころ途切れて、放置車両が置かれていたり。

そんなところを丁寧にトレースして歩くのだけど、ちょうど海老名駅の近くまで来たのでこの日はここまで。