散歩の途中

iPhoneもって散歩しながらあれこれ観察したノート

隅田川を歩く その2 霊岸島から

冬のしわすの隅田川、中央大橋を渡って右岸の霊岸島(中央区新川)までやってきた。引き続き、さかのぼって歩く。

その1・河口から

中央大橋から上流に向かって少し歩くと隅田川の分流が見える。
下流方向を向いて、正面奥に川が分かれていく

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最初の写真がもろに逆光で何ですが…。右側タワーマンションのさらに右へ流れていくのが隅田川本流、正面奥へ分かれて隅田川派川(はせん)、その先は晴海運河豊洲運河などにまた分岐している。
派川の奥にかすかに相生橋(あいおいばし)が見える。

相生橋も隅田川の橋のひとつに数えられている。今回はそちらへは足を伸ばしていないが、せっかくなので過去分在庫処分。
相生橋南詰から

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歩道と欄干

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あまり良い在庫がなかった。

 

永代橋(えいたいばし)は中央大橋からも近い。

隅田川派川を見たあたりからの永代橋

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近づいて2枚

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初代永代橋は1698(元禄11)年架橋、1897(明治30)年には日本初の鉄橋が架けられたが関東大震災で被災した。
震災復興で再架橋された現在の永代橋は、1926(大正15)年竣工、橋長185.2m、構造は3径間バランスド・タイドアーチ橋。ドイツのライン川に架かるレマゲンのルデンドルフ橋をモデルとしている。現在は勝鬨橋清洲橋とともに国の重要文化財に指定されている。

この橋を含め、震災復興で隅田川に再架橋された橋(相生橋永代橋、清州橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋)は、いずれも異なった、当時としては斬新なデザインになっている。そしてデザインだけではなく、使用された材料、建設方法などにも最先端の技術が積極的に取り入れられたそうだ。

今回、永代橋は渡らなかった。橋のすぐ上流側で隅田川右岸に日本橋川が合流するが、そこに架かる豊海橋(とよみばし)へ寄りたかった。
豊海橋、南詰から

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北詰から

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側面

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先代の豊海橋は関東大震災で落橋、この橋は1927(昭和2)年竣工したもので、復興事業の一環で隅田川に架橋された6つの橋と同様デザインを考慮して、ベルギーの建築家フィーレンデールが考案した形式の橋(フィーレンデール橋)が造られた。
この形式の橋は、梯子を横倒しにしたような外観と言われるが、豊海橋の上部はアーチのようになっている。すぐ近くの永代橋とのバランスを考慮したためとのこと。
ちなみに橋の長さは46m。私事だがこの橋を毎日渡っていたことがあった。

 

豊海橋を北側へ渡ると隅田川右岸側は箱崎。川の両岸ともにテラスが伸びている。

永代橋の上流側にはさほどの距離を置かず、隅田川大橋(すみだがわおおはし)が架かっている。
隅田川大橋

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上下2層の橋で、上は首都高速9号深川線、下は都道が通る。橋の完成は1979(昭和54)年、首都高速の延長に伴ってつくられた。
ほかの橋に比べると機能一辺倒というか、あまり楽しくない。

隅田川大橋、右岸のテラスから

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その向こう側へ出ると清洲橋(きよすばし)がはっきり見える。

清洲橋、少し離れて

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少し近づいて

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清洲橋の名前は、東側の清澄と西側の中洲から1文字ずつとったもの。

中洲から清澄側へ渡る。
渡りはじめ

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橋を通っている道路の名前も清洲橋通り

この清洲橋関東大震災の復興事業として再架橋された。橋長は186.2m、構造は3径間自碇式補剛吊橋、竣工は1928(昭和3)年である。下流永代橋と対をなす形で造られ、こちらは優しいイメージのデザイン、当時ドイツ・ケルン市のライン川に架かっていた吊橋(Deutzer Hängebrücke)をモデルにしていることはあちこちに記されている。現在は清洲橋永代橋勝鬨橋は国の重要文化財に指定されている。(さっきも書いた)

近くで見ると結構重厚だ

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現代の吊り橋や斜張橋のようにワイヤーを束ねてささえているのではないからだろう。

吊り橋のアーチにあわせて曲線を多用している装飾は優雅だ

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歩道のタイルもシンプルだが上品

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清洲橋を渡って隅田川左岸へ移ると江東区清澄。すぐ上流側で小名木川(おなぎがわ)が合流して、合流点の近くに萬年橋(まんねんばし)が架かる。
小名木川に架かる萬年橋

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この橋の形もなかなか特徴的である。
ややサイドから

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小名木川は江戸時代に開削された人工運河で、萬年橋は運河ができた当時からここにあったらしい。

現在の橋の形式はウィキペを見ると、1径間下路ブレースドリブタイドアーチ橋と記されている。アーチを二重に補強してつないでいるので”ブレースド・リブ・タイド”か。

小名木川河口から見た清洲橋

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この近くに案内板があって、この角度から見る清洲橋がいちばん美しく見えるのだそうだ。モデルになったドイツ・ケルン市の吊り橋を彷彿させることから「ケルンの眺め」と呼ばれているそう。
現在は後ろのビルが屏風のようですね代表してまん中の読売新聞さん。

そして、ここは昔松尾芭蕉が居を構えたところで、住居跡が小さな庭園になっている。

上には芭蕉銅像があって、こんな方向を見ている

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この人、なんと夕方になると方向を変えて
こっちの方向を向くそうな

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タイマーが仕掛けてあって、決まった時刻に台座が回転するとのこと。さて、芭蕉清洲橋とビル群を見てどんな句を詠んだのでしょうか。(ヒント:ケルンの眺め)

芭蕉庵史跡庭園から隅田川上流側

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前に出ると稲荷神社が2つ。

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こちら側は正木稲荷、向こう側の赤いのぼり旗は芭蕉稲荷。

 

また隅田川の川べり、今度は左岸側をあるく。
きれいに整備された遊歩道が続く

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正面にはすでに新大橋(しんおおはし)が見える。

新大橋に近づいて

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現在の新大橋は1977(昭和52)年竣工、橋長は170.0m、形式は2径間連続斜張橋
とてもシンプルにみえる橋である。
最初の架橋は1694(元禄6)年、大橋と呼ばれた現在の両国橋に続く橋として、新大橋の名がついたという。1912(明治45)年にピントラス式のモダンな鉄橋に架け替えられ、現在の橋に架け替えられるにあたって、その旧橋は愛知県の明治村に一部が移築保存されている。

新大橋、さらに近づいて

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新大橋を通り過ぎ、
対岸首都高の向こう側は浜町公園。左側の大きな建物は明治座

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足元の地名は江東区新大橋1丁目。

その2はとりあえずここまで。