2025年フランス旅行の続き《その8》です。
ブルゴーニュのボーヌからパリに移動しました。
パリ・リヨン駅に着いたのは夜
改札口のあたり
同じく駅構内、階段を上がった2階はレストラン"Le Train Bleu"(ル・トラン・ブルー)老舗&豪華&名物レストラン
窓ごしに豪華な内装が垣間見えます。
夜の食事はまだですが、とりあえず荷物を置きたいのでホテルへ向かいます。
明けて翌日
メトロに乗ってCité(シテ)へやってきました。ここはセーヌ川中州にあるシテ島、パリ発祥の地といわれるところ
メトロ出入口近くから正面にサント・シャペルの尖塔などが見えます。
その横に見えるはずの最高裁判所建物のファサードは手前の木に隠れてしまいました。
手前、後ろの方向へ少し歩くとすぐ
ノートルダム大聖堂賑わってます
2019年4月の火災で大聖堂の屋根と尖塔などが焼失してしまいましたが、2024年12月に修復が終わって内部への入場が再開されました。
もちろん内部も見てくるつもりでいました。
内部見学の予約は公式Webサイトからできるのですが、予約可能になるのは訪問日2日前の午前0時(フランス時間)からなのです。
時々アクセスして様子をみてましたが、いつもあっという間に埋まってすぐに"SOLD OUT"となってしまいます。(大聖堂内への入場は無料)
それでも満員だったはずの当日分(時間は限られますが)の予約が可能になっていることがたまにあるので、旅行中もこまめにチェックしていました。なのにある時突然セキュリティ違反とか表示が出てブロックされアクセスできなくなってしまいました。〈お手上げ〉
予約なしでも行列に並べば入場はできるのですが現地で見たところ時間がかかりそう
ということで今回も(前回訪れたときは大聖堂内でイベントがあって)中へは入れませんでした。
少し聖堂に近づいて
中へ入らなかったので大聖堂外側からうしろの方にまわってみることにしました。
ファサードの南側から手前のほう屋根などの足場はなくなりましたがまだクレーンなど重機が中に入ってます。
川の対岸から見ると尖塔より後部はまだまだ修復中前方の鐘楼なども工事の足場が部分的に残っているのがわかりました。
後部はまだ『鋭意復旧真最中』でした
現在の大聖堂の様子はなんとなくわかったので、少しセーヌ川やそこにかかる橋など見ながら歩いて行くことにします。〈橋好きなもんで〉
シテ島の先端あたりからセーヌ上流方向右側はセーヌ左岸、左側はサン・ルイ島、先に見えるのはトゥルネル橋
シテ島からサン・ルイ島へわたるサン・ルイ橋の上からセーヌ下流方向右正面はパリ市庁舎、左のほう遠くにサン・ジャックの塔が見えてます。
シテ島ふり返って今回は大聖堂これが見納め
サン・ルイ島から対岸にセーヌ左岸を見ながら上流方向へ水の上はセーヌ川クルーズの船〈空席多い〉
先に見えるのはシュリー橋(Pont de Sully)
近くから全体は3連のアーチ橋
この橋は渡りませんが、もうひとつのシュリー橋を渡ります。
シュリー橋はセーヌ左岸からサン・ルイ島、サン・ルイ島からセーヌ右岸と2つの橋から成ってます。
セーヌ右岸へ渡るほうのシュリー橋から
👆の先に見える橋はマリー橋(Pont Marie)
セーヌから離れます。
アンリⅣ(アンリ4世)通り
先へ歩いて行くとバスティーユ広場に出ます。
あれ、道路渡れない?
無事塔の前へ出ましたこの塔は7月の円柱(Colonne de Juillet)といい、1830年の7月革命で犠牲になった市民を追悼するものです。
フランス革命の発端となった「バスティーユ襲撃事件」の舞台、バスティーユ監獄はこの場所にありました。
〈あれ?現在はサンマルタン運河の暗渠がこの下を通過しているのだけど当時は? あとで調べておきます〉
広場の隣りには「オペラ・バスティーユ」新オペラ座です。ちと手抜きで建物の特徴が分かりづらい..
フランス革命200周年記念となる1989年7月に誕生したオペラ・バスティーユ。先に建設されたオペラ座(パレ・ガルニエ)とは対照的なモダンなデザインの建物になりました。
塔とオペラ座がいっしょに写ってるのが1枚だけありました
次に向かったのはヴォージュ広場(Place des Vosges)
バスティーユ広場からはさほど離れてません。
この建物の下をぬけたところに広場があります
広場に入ったところでふり返って
別の方向も広場のまわりはこのように赤レンガ造りの(36の)統一された建物に囲まれています。
ブルボン王朝創始者のアンリ4世の命により造られ1612年に完成しましたが、王は広場の完成をみることはありませんでした。
なので広場のなかには第2代国王のルイ13世騎馬像があります
広場からもう1枚
歩きまわったりあれこれしているうちに夕方になりました。
夕陽がまぶしい
ここまで