2025年フランス旅行の続き《その9》になります。
普段の散歩でもよくやる水辺の散歩をパリでもやってみました。
今回はサン・マルタン運河を歩きます。
サン・マルタン運河(Canal Saint-Martin)はパリ市北東から東部を流れ、市内のセーヌ川とウルク運河、サン・ドニ運河をつなぐ総延長4.5kmの運河で1825年に完成しました。
ウルク運河から続くラ・ヴィレット貯水池からパリ市内へ飲料水を引き込む目的で当初建設されたため、舟運用(としても使用されていましたが)の運河よりも幅がせまく、水路の約4割が地下に埋設されているという特徴があります。
下流側からさかのぼる形で歩きます。
サン・マルタン運河がセーヌ川に注ぐ合流地点付近からバスティーユ広場までの約600mはアルスナル港となっています。
バスティーユ広場を訪れた時にスナップを1枚撮っていたのでこれを最初の1枚にします
たくさんの船舶が停泊しているのが見えます。
左端、船を吊り上げるクレーンに"Port de Paris Arsenal"とあります。
向こう前方向にセーヌ川があり、この足元からは暗渠というか地下水路が2㎞弱続いています。
この地下水路区間も現在サン・マルタン運河クルーズの観光船が通過します。
目の前にある屋根はメトロ1号線のバスティーユ駅ホームのもので、屋根の間にメトロ車両の屋根も見えてますが分かりづらいかも
トンネルの中を船で進むという不思議な体験ができるのですが、クルーズ船には乗らなかったので地下区間の詳細は省略
改めてメトロのレピュブリック(République)駅から
バスティーユ駅からは5号線か8号線で4駅目がレピュブリック駅
駅出口はレピュブリック広場(シャトー・ドー広場、共和国広場とも)のなかです。
後ろに立つのはフランス共和国、自由と革命を象徴するマリアンヌの像〈落書き多いですけど〉
広場から歩いて5分ほどでサン・マルタン運河の地下水路(暗渠)のはじまる場所に出ます。
ここはまだ地下水路区間の地上部
運河の地下水路区間、地上は2つの道路に挟まれた細長い緑道、公園になっています。
この直下が地下水路、トンネルの入口
像はサン・マルタン運河建設にかかわった人と思い込んでましたが、台座の文字を見たら『フレデリック・ルメートル コメディアン』とありました。
少し先からふり返るとトンネルの入口が見えます
トンネルの上はルメートルさんがむこうを向いてます。
トンネル入口手前にあるのは水位を調整するための閘門(こうもん)です。
サン・マルタン運河には約25mの高低差があるため途中には9ヶ所の閘門があるそうです。船が差し掛かると水位を昇降調整し、船を通します。
サン・マルタン運河の閘門部分の幅は8mしかないそうで、それより幅の広い船は通れません。またトンネル天井の高さ制限もありますね。
同じ閘門、上流側の門
この時は低い(下流)側の水位になっています。
ちなみにここに写っている閘門は映画『アメリ』で主人公アメリが石を投げて水切りをしていたシーンのロケが行われた場所です。シーンでは背後にある閘門は開かれてトンネル入口が写っています。
その上流側にもうひとつ閘門あり
前にある橋のうえから見るとトンネル入口手前には3つの閘門があるのがわかります
トンネル前(のプール)は正面(のプール)の水位まで上げることができない(溢れる)のでその手前にもうひとつ閘門を用意し、船が入ってきたら両端の閘門を閉じてから2つのプールの水位を同じにして中央の閘門を開き船を移動、次に中央の閘門を再度閉じて外側の水位に合わせた後、外側閘門を開いて船を送り出すという
水位調整を2段階で行う仕組みになっているのですね。
水路左側にあるのは閘門管理用の建物だと思います。いわゆる『門番』が詰めていたのでしょうか。〈現在は機械室?〉
運河を歩いた時には残念ながら船は通らず、閘門の開閉なども見ることはできませんでした。
そしてこの運河で特徴的なのがこの鉄製アーチ型の橋(太鼓橋)
これは人のみが渡れるタイプ(人道橋、パセレル)、船の通過を考慮してこんな形になってます。
運河完成時からこの太鼓橋がかかっていたそうです。ステップは現在も木製で趣あります。
この橋の名前は"Passerelle des Douanes"(パセレル・デ・ドゥアーヌ)
なお車なども通る一般の道路橋は船の通過時に橋の向きを変える可動式橋梁となっています。次に出てきます。
次の橋
手前緑の太鼓橋、その下に水路を塞ぐように道路橋があります。
先から見ると
船が近づくと橋台が90度回転して右側ベッド状の床の上へ移動し、水路がひらきます。
回転する橋台両端には赤白の遮断機がついてます。〈今は開いています〉
その次のパセレルはちょっと面白味がなかったので対岸の建物を中心に
左端に半分くらい見えてますが、日本の歩道橋みたいでした。運河の幅が広い場所に渡した橋、後から増設されたのかも
そのまた次は道路橋と2つ並んだ橋でしたが
道路橋は渡れない状態になってました
手前左右に(90度回転した)道路橋、左向こうの通り手前で遮断機が下りて道路と橋はつながってません。
右の太鼓橋、名前は"Passerelle Arletty"(パセレル・アルレッティ)
その太鼓橋を対岸に渡る途中から
ここにもひと組の閘門がありました
こちらは道路橋が閉じた状態の下流方向、船が通る気配はなかったのですが
〈左2本の木の間から遮断機、橋台の一部〉
渡った右岸側の通りから
通りに面した店舗のペイントがカラフルで遠くからもよく目立ってました。
その上流側
橋名は"Passerelle Michèle Morgan"(パセレル・ミシェル・モルガン)
その上流方向はひらけています
水路は少しカーブ、川幅もこのへんから広がってます。
正面に見える緑の芝生はヴィルマン庭園
橋を渡ってふり返り

この付近に"Hotel du Nord"(北ホテル)という題名の映画の舞台となったホテルが今も残っています。〈1938年作と古く見たことがないこともあり〉建物は見逃しました。
並木の密度が低くなって視界がひらけます
歩道と運河の間には高さ20㎝程度の仕切りしかないので水中落下注意。〈ちょうど躓く高さです〉
その先"Pont Maria Casarès"(マリア・カサレス橋)から下流方向をふり返り
このすぐ上流側にも閘門があってその部分だけ水路は狭くなります。
向こう上流側の門は上端まで水位があって上から水が溢れてました。その向こうにも閘門があってここも3つの閘門で水位調整を行う方式になっています。
そこを過ぎると運河の幅はまた広がって
👆ルイ・ブラン通りの大きな高い橋の上から
この橋は下を船が通るときも回転しません。
その先運河沿いに大きな消防署
河川敷(運河敷?)こちら側は全面立入禁止になってました。何か大規模に工事中の模様
そしてまた運河は地下に入ってしまうように見えますが
ここは地上を広い通りが横切り、メトロの駅もその上高架にあって
それらと交差して先へ進むとこんな建物があります
これはロトンド・ド・ラ・ヴィレット(ヴィレットの円形建物)と呼ばれるもので、フランス革命直前に建てられた入市税の税関所でした。当時ここには城壁があり、パリと郊外の境界となっていました。
(下側、池の対岸赤いところはレストランのテラス席です)
そこからふり返ると
"Bassin de la Villette"(ラ・ヴィレット貯水池)
この貯水池がサン・マルタン運河としての終点(セーヌ川、アルスナル港側から見たときの)になります。貯水池両岸水辺には運河クルーズ船の乗降場をはじめ映画館やレストラン、カフェなどいろいろな施設があるようです。
貯水池の上流側にはウルク運河が接続されていてそちらへ遡っていくとサン・ドニ運河、広大なラ・ヴィレット公園などがありますが、ここから見る貯水池だけでも延々と続くように思えたので先を辿るのは諦めました。
最後にこの貯水池からサン・マルタン運河へ水が入っていくところを見てきました。
実は👆のすぐ横です
貯水池から手前に運河がはじまってます。
今いるのが👇の橋のうえ
この下流側すぐにサン・マルタン運河最初(最後?)の閘門があります。
同じ橋から
閘門の下流側少し行くと先ほどの広い通りの下をトンネルでぬけて消防署のあった幅広の水路部分へ出ていきます。
トンネル部分の地上部から
地下が運河のトンネル、地上は広い道路の交差点、高架部分がメトロの線路となってます。
サン・マルタン運河とりあえずここまでとします。