綾瀬川遡上の記録、その3は草加松原のやや上流側、草加・越谷の境界付近からスタートです。
前回再掲・河原の桜並木(草加市金明町)
前回最後に撮った1枚。桜並木がはじまってすぐの場所で引き返してしまいました。
次に訪れたこの日、やはり花はほぼ終わってました。
この桜並木、案外長く続いていて桜の本数も多く、前回もう少し先まで歩いておけばよかったと少し後悔。
ふり返って
一之橋付近から。
綾瀬川に左から一の橋放水路が合流(草加市新栄4丁目)
伝右川から分岐している一の橋放水路。
こちらは奥へ、綾瀬川のほうを歩いていきます。
越谷市新川町付近・上流方向
桜に代って菜の花が見ごろを迎えています。この先河原と土手には菜の花が続きます。
JR武蔵野線電車通過中
名残りの桜と(川口市東川口)
佐藤橋の付近
末田落合流。
こちらはまた別の水門、その隣には桜
国道463号畷(なわて)橋を渡って左岸側へ。
対岸は大きな調整池(さいたま市緑区大門)
コンクリートの堤防部分は中央が少し低くなって越流提、増水時に調整池へ水が流れ込みます。
周辺にはこのような調整池がいくつも造られてました。
同じく上流方向
浦和美園のあたり。
周辺にはまだ空地もあって高層の建物が必須というわけではありませんが、巨大な住宅棟はランドマーク的に建設されたのでしょう。
川はその大きな建物の間をぬけて流れます。
その上流側へ出ると
左の広大な空き地には大学病院建設予定地の看板が立ち、空き地の向こうには埼玉スタジアム2002が見えてきました。
川はスタジアム方向へ
このあたりも左側は巨大な調整池のようです。右に建設工事中なのも調整池ぽい。
スタジアム近くから
角度かわって見栄えがよろしい。
一方、綾瀬川のほうはこのへん整備がはじまったばかり
まだ昔の川の蛇行なんかが残ってます。
こちら側はさいたま市緑区美園、対岸は岩槻区笹久保新田というあたり。
この上流で東北自動車道の下をくぐります。
東北道より先は広い農地が広がっています。
その少し手前で桜を撮ったつもりの1枚(さいたま市緑区上野田)
下は綾瀬川の傍らをずっと流れる弟分、伝右川の最上流部でした。この先の水田などの落水(排水)を集めて川がはじまっているようです。
広い農地の中を流れる綾瀬川
下沼橋という小さな橋の上から。
川の土手は歩けそうにも見えるのですが意外に草深く踏み跡も残っていないので諦め、田んぼの農道をたどります。
この周辺の農地は江戸時代、綾瀬川の河川改修に伴ってひらかれた新田になります。それ以前には膝子沼という沼と湿地帯が広がっていたそうです。
菜の花で黄色く色づいているところが川の土手
約800m先、次の沼橋から下流側
沼橋、下沼橋の「沼」はかつて広がっていた膝子沼が由来のようです。
さらに700mさかのぼって横根上橋から(さいたま市岩槻区横根)
右の方まだ埼玉スタジアムが見えてます。
このあたりは住宅地になってますが、また農地に入ります。
そして俄かに騒々しいところへ出て行きます。
国道16号新簀子橋(しんすのこばし)上から綾瀬川下流方向
ここに写っている範囲だけならのどかな景色ですが、岩槻市街地も近づき建物や人の密度もあがってくるあたり。背後は国道16号、東北道岩槻ICの間近でもあります。
綾瀬川は少し下流で深作川を合流、そちらの川には簀子橋、古簀子橋が架かっています。簀子ってこのへんの地名なんでしょうか?
国道16号を横断し、少し先で県道に合流する道路を進みますが、その道は『日光御成道』にあたります。
交差点名も大橋。
大橋すぐ上流側には堰があり水門が見えてます。大橋井堰(おおはしいぜき)といい、農業用水の取水を行っている古くからある堰とのことです。
また大橋付近には古く『加倉河岸』が存在したそうで江戸方面からここまでも舟で上がってくることができたのですね。
その3は岩槻市街地に近づいたここ大橋までとします。
流路地図 その3はオレンジのライン部分
その1,2