ふじ大山道(富士街道)を少し前に歩きました。
その時のコースは、起点を中山道板橋志村とし、川越街道下練馬、石神井などを経由し、柳沢(現西東京市)から深大寺道とも呼ばれる街道へ入って深大寺から調布、長沼(現稲城市)、図師(町田市)などを通りました。
Wikipediaのふじ大山道には注釈つきながらほぼ上記のルートが示されていますが、同じ項目の数行上に、下練馬村の道標(1753(宝暦3)年建立)に「ふじ大山道 田なしへ 三里 府中江 五里」とあり、府中を経由する道も存在したとされています。
今回はふじ大山道の途中から、前回歩かなかった府中までの道を歩くこととし、街道の分岐点へ向かいました。
分岐地点は深大寺道への道が分かれる、柳沢(やぎさわ)(西東京市)になります。
ふじ大山道(3)・足あと 柳沢~府中
街道分岐点のある柳沢には、近くに西武新宿線西武柳沢駅があります。
(1台きりの放置自転車、妙にめだってますがそれは気にしないことにして)
北口を出てすぐの商店街通りが富士街道、ふじ大山道です。
そこを西方向へ200mちょっとで、深大寺道との分岐点に出ます。
深大寺道分岐
正面奥へ踏切を渡る細い道が深大寺道、前回はそちらへ歩きました。
祠の中は前回も紹介しましたが”六角地蔵石幢(ろっかくじぞうせきどう)”、六角形の石柱の各面に地蔵菩薩が浮彫りになってその下に銘文を施しています。
ふじ大山道を歩く その1 中山道・志村から甲州街道・調布まで - 散歩の途中
今回はその前を右へ進みます。
再び200m少し行くと青梅街道と合流します。
その角に「弘法大師」と刻まれた石塔
この石塔は道標でもあり、台石には練馬三里、府中二里半、所沢三里、青梅七里などとあります。
青梅街道の反対側にも1723(享保8)年造の大きな柳沢庚申塔があります。300年近く経つことになりますがあまり風化してなくきれいな姿が残っていました。
柳沢庚申塔
次の田無町1丁目交差点を直進すると所沢街道、左折するのが青梅街道でそちらへ進みます。
ここで道幅はだいぶせまくなり、かつての田無宿へと入ります。すぐに田無神社、総持寺と続きます。
総持寺門前、青梅街道から
しばらく青梅街道沿いに進み、田無町5丁目交差点まで来ます。
田無町5丁目交差点
左右に交差するのは”府中道”、ここを左折します。
この辻にも小堂があり、風化して何だかわからなくなってしまった石塔が2つ置かれてました。
府中道をしばらく進みます。
シチズン時計本社付近府中道
道路と会社敷地の間にも南芝久保庚申塔が、屋根、解説板つきで祀られていました。
南芝久保庚申塔
西東京市は古くからの文化財を手厚く保護、保存しているようです。
こちらの庚申塔の先で西武新宿線踏切を渡り、次に石神井川を渡ります。
石神井川と向台運動場
運動場は遊水地になっているようです。川の護岸、越流提になっています。
渡っている橋の名前が「庚申橋」でした。このあたりにもまた別の庚申塔があるのかと探してみると、
少し戻ったところにありました
左側の建物は銭湯、これも名前は「庚申湯」でした。
また先へ進むと、田無高校の横を通って、府中道は向台町6丁目T字路で鈴木街道に突き当たります。
その向こうは小金井公園が広がっていますが、古い道は小金井公園をはさんで途切れます。
住宅の間の細道から。
小金井公園に入りました
突然ですが、小金井公園の東端の方って武蔵野市に属している事に気づきました。
武蔵野市内の小金井公園を通って五日市街道、玉川上水沿いに出ます。
五日市街道を少しだけ西へ、関野橋交差点で左折して東大通りへ入ります。
関野橋交差点付近(小金井市関野町1丁目)
手前が五日市街道、その向こうを玉川上水が流れ関野橋がかかります。周辺は小金井桜で有名な桜並木が続いています。
古い関野橋欄干、下は草ぼうぼうの玉川上水
道は再び南下。法政大学小金井キャンパス前などを通過し、JR中央線東小金井駅近くの緑町1丁目交差点を右折します。
右折して入った通りは”地蔵通り”、ちゃんとお地蔵さまがおりました。
寛政六年地蔵
左側が1794(寛政6)年の古い地蔵尊で、台座に「右 ふちう 大山みち」と道標も刻まれています。
たしかにこちら、府中へぬける道も大山道として認識されていたようです。よかった
その100mほど先を左折して地蔵通りから分かれ、中央線高架をくぐって東京農工大学キャンパスの裏(?)を南下します。
国分寺崖線間際まできて道はいったん西向きになり、崖の坂を下りていきます。
左の坂道を下る
坂の途中、左側は”はけの森美術館”の裏側です。
「はけ」は多摩地域などで使われる言葉で、崖のことです。はけの森美術館前の崖下の道も「はけの道」と名前がつけられています。
坂を下り切り、小金井神社前を通過します。
野川を大城堀橋で渡ります。
ここを流れる野川は昭和になって流路直線化工事が行われた場所、少し先に旧野川が残っていてそちらにも橋がかかっています。
旧野川流路にかかる橋
昔の街道にあったのはこっちの橋だけですね。
先の交差点で小金井街道、今回歩く方向なら府中に向かう道ですが、に入ります。
府中市内に入って、
左側は米軍府中基地跡です
米軍府中基地跡は返還後、南側は府中の森公園と自衛隊府中基地になりましたが、北側はいまだ放置されたままなのでしょうか。
府中の森公園入口付近
府中市美術館近くの入口です。
小金井街道沿いで石塔、石仏の類は見かけませんでした。
理由はわかりません。昔は入会地などで、何もなかったのではとは勝手な想像ですが。
もうしばらく南下すると、北南建前(きたなんけんまえ>何を意味しているんだろう?*1)交差点でいちょう通りと合流し、その先甲州街道(国道20号)までの区間は旧道が消滅しています。
小金井街道・いちょう通り合流
国道20号から南側、京王線府中駅手前にかけてまた旧道の名残りがあります。
国道20号府中警察署東交差点から
正面の通りに入り、駅入口近くまでくると
左側に新宿庚申塔
新宿(しんしゅく)庚申塔は1852(嘉永5)年建立、新宿は府中宿の町名から来ています。
通りは商店街になって、府中駅東口商店会庚申様のまち、となっていました。
駅直下をぬけると大國魂神社参道でもあるけやき並木通りに出ます。
府中のけやき並木
旧甲州街道との交差点までくると
右折して旧甲州街道に入り200mほど行くと府中市役所前交差点です。
府中通り大山道でもあった街道との合流点に到着
手前から右向こうへのびるのが甲州街道、交差しているのが府中通り大山道にあたる道路です。
柳沢から府中に出てきた大山詣での人はここで左折して府中通り大山道へ入りました。
またこのあたりは甲州街道府中宿の中心でもあります。
交差点向こうにあるのは府中宿の高札場、府中通り大山道を歩いたときに取り上げています。
府中通り大山道を歩く その1 新座・野火止から府中 - 散歩の途中
もはやこの付近では「ふじ大山道」の名称が使われていたか判然としませんが、とりあえず、下練馬宿の道標に刻まれていた、”ふじ大山道府中に五里”を歩いてきました。
この先は府中通り大山道としてすでに歩いているので、ここで完了とします。
府中通り大山道を歩く その2 府中から相模原麻溝台 - 散歩の途中
府中通り大山道を歩く その3 相模原・麻溝台から厚木・荻野新宿 - 散歩の途中
*1:北多摩南部建設事務所の略。わざわざ調べちゃったよ