散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

仙川支流祖師谷つりがね池からの暗渠をたどる(東京世田谷)

今回は仙川(せんかわ)支流、世田谷祖師谷の『つりがね池』を源とする小さな流れをたどります。
きちんと調べたわけではないですが名称は〈たぶん〉無く、最初の池を除いて仙川に合流するまでほぼ暗渠、その延長は5~600mしかありません。

 

今回は下流側、仙川との合流地点からスタートします。

その場所は世田谷区成城7丁目と祖師谷4丁目の境界、大石(だいし)橋付近になります。
仙川大石橋 西詰から


渡って東詰から

右側にすぐ行き詰まってしまう道がありますが、つりがね池からの暗渠が下を通ってます。

左の仙川については、東京都小金井市貫井北町に上流端があって武蔵野市、三鷹市、調布市を経由して世田谷区に入り、世田谷区鎌田で野川に合流する多摩川水系の川で延長は20.9㎞です。

ちょうど足元付近、対岸から覗いてみると

大石橋上からも

意外に大きな穴があいていて出てくる水もあります。

 

大石橋を渡る道に出て暗渠の先を望む

先ほどのすぐ行き詰まった道の先になります。車などの重量物が入らないよう仕切られてますが、手前の一角だけで先は普通の道路です。

 

普通の道路を150mほど先へ

下に暗渠があることもわかりません。

 

前方に50mほど行くと右に陰になったフェンスがあります


近づいてフェンスのすき間から覗き込むと〈他人から見たら相当怪しい人ですね..〉

立入れませんがここは暗渠となった水路でしょう。ここで道路に出てきます。(ここを[祖師谷5-17]地点とします)

これを辿ればつりがね池へ行くかというと話はそう単純ではなく、道路をもうちょっと先へ行くともう一本別の水路が現れます。

 

こっちは暗渠になってません

細々とした水の流れが見えますね。そして奥のフェンスからは暗渠のようです。

とりあえずこの流れを先へ追うと

まわり込んで流れの上流側から下流方向を望む


もう少し後ろに引き


そこで方向を変えると

つりがね池公園に出ました。中央に弁天さまの赤い祠があります。

 

小さな公園からいくつか

池にかかる橋から流れの出口方向

 

中央から奥


公園内につりがね池の由来などが書かれた看板があったので文字起こしします。〈落書きが酷かったので写真なしで〉

釣鐘池(つりがねいけ)
釣鐘池は、標高凡そ四十五メートルの武蔵野台地に囲まれ、昔は深い自然林に覆われていて、野川の一支流である西方の仙川に注ぐ豊富湧水池であった。台地上には、この水を求めたであろう古代の人たちの遺跡である縄文時代中期の住居跡が、昭和五十二年(一九七七年)の区教育委員会の発掘調査によって確認されている。かって、この池でこどもたちは小魚をとり、水遊びを楽しみ、人々は生活の水を求め、野菜などを洗い、洗い場組合をつくって水を大切にし、神様をお祀りしてきた。
毎年四月七日には、今も弁天祭が行われており、また、日照りの時には、雨乞いの行事も以前あった。
伝説によると、近くにお寺があり、他教との争いのあげく僧が寺の鐘を被ってこの池に身を投げたか、あるいは、日照りで農民が困ったとき、これを救おうと僧が釣鐘を抱いて池に身を沈めたところ、たちまち大雨が降った、などといいつたえ、それ以来「釣鐘池」と呼ばれるようになったという。
昭和五十七年三月  世田谷区教育委員会

池の水は現在も湧水のみのようです。

 

池のいちばん奥側からそのまた奥

斜面に竹やぶ、その先は小さいですが雑木林です。周囲の地形は窪地、ちょっとした谷戸の奥なんですね。

 

竹やぶを背に池の方向

 

さてここで池に到達する前、フェンスから暗渠の上を覗き込んだ[祖師谷5-17]地点へもどりその先を追いかけてみます。

住宅密集地で覗き込めるすき間が全然なくて手こずりましたが
崖ぎわのこんなところへ続いているようです

距離的には[祖師谷5-17]地点から200m弱のところ。
前方白い車のあたり、下に流路があるはずです。段差の壁際にこちらが上流方向、道路手前に来て左奥へ入っていくようです。(左奥に段差の壁が続いている)

またすき間なく並ぶ住宅の背後、段差との間に沿って

こんなところに痕跡が現れます(祖師谷5-36)

段差の下すぐのフェンスの中が流路だったようです。そしてこれより手前側は痕跡がなくなります。(現在ここから水が流れているのかは不明)

ここはつりがね池から南に100mほど離れた場所、こちらの流れは池につながっていないので別の水源ということになります。
よく見ると左のコンクリート壁に放水口のパイプが大量にあります。おそらく水みちがあってこの崖(壁)からは水が湧いている(いた)のではないでしょうか。浸みだした水がここから向こうへ流れをつくったと推測することができそうです。

《追記》一方でここは元々流路だったのかの疑問が自分のなかでわいてきています。今詳細は記しませんが...もう一度確認してみたいと思います。

 

ちょうどその左、壁(崖)上が小公園になっているので様子を見にいきました

湧水を連想させるものはなかったのですが、向こう側が窪地になっていることがよくわかりました。(手前と向こうの屋根の高さ、さらに先に見える風景など)

 

最後につりがね池奥側の入口から

 

池のほとりにもどって


ここまで。

 

《余録》
付近の空中写真をみるとつりがね池からの水路は途中で2つに分かれ、ひとつは祖師谷5-17へ出てくる流路と合流しているようです。すき間なく並ぶ住宅の裏にあって水路分岐の手がかりはまったく見つけることができませんでした。