元荒川をさかのぼって第6歩目、今回は起点まで歩きます。
前回吹上市街地の流れを追い、街の外れ近くまで。
その先で川はJR高崎線元荒川橋梁の下をくぐります。
上流側から
歩道部分、桁下1.5mないかも。
ところで流れは小川ですね。かつての荒川がここを流れていたとは信じられない。
反対方向を見ると
新宿(しんしゅく)橋
この2つの橋間、対岸は調節池と公園(?)建設工事中。
新宿橋の奥には榎戸堰
元荒川最上流の堰です。農業用水を取水しているのはほかと同じです。
左側、石がごろごろは榎戸堰公園。(堰建設記念広場的公園)
橋の道を左に進むとすぐ旧中山道に突き当たります。
そこを右に折れたところ、榎戸堰からの用水路が交差し、レンガ造りの樋管が残っています。
榎戸樋管
1901(明治34)年建設。2つの塔が付属し、中山道を渡る橋のようになっています。(横切る道路が旧中山道)
〈水に浸る部分はともかく〉レンガはきれいな色が残っています。品質の良いものが使用されたのでしょうか。
右塔の右側には〈こんなところに〉「準用河川元荒川起点」と刻まれた標石。現在の起点はもっと上流にありますが、大正から昭和初期に行われた河川改修時、ここに起点を定めたものです。
榎戸樋管、上流側はゲート、銘板つき
前方が元荒川。ゲートは、使われてませんね。
銘板右は「榎戸堰組合用水樋管」、左は「明治参拾四年二月竣工」の文字。
旧中山道を熊谷宿方向へ少し進むと荒川堤防に出合います。
正面の堤防は古くからあるもので「久下(くげ)の長土手」と呼ばれ、中山道も水害に対して安全な堤防上を通していました。
長土手に上がる道から元荒川の流れ
堤防天端から荒川流路側
現荒川河川敷側。広すぎて水の流れも対岸堤防も見えません。はるか昔の風景を眺めているような感触でした。
そしてなんと言っても見事な菜の花
まだ荒川堤防上にいますが、下は行田駅近くの住宅地。
間の並木手前に用水路のように元荒川
土手を下って元荒川へ戻り、橋上から上流方向
この付近は(写真右側へ)大きく蛇行していた流れを直線化した部分。カーブも人工的に見える?
住宅地から外れ、荒川堤防に寄り添い(熊谷市太井)
このあたり流れはゆるやかなのでしょうか
そこからまた住宅の間を流れてみたり(熊谷市久下)
あちらこちらで小さな堀や水路の合流はありますが
ここは重要?な合流
右へさかのぼると現在の元荒川起点標石があります。
圧倒的に水量多いのが左から流れ込んでくる方、さかのぼると埼玉県農林総合研究センター(ムサシトミヨ保護センター)。多くの水槽(池)で淡水魚の保存、飼育を行っており、現在施設内で汲み上げる地下水が元荒川源流となってこちらへ注がれています。
まず右から追いかけます。
合流点から100m弱先
正面の電柱付近に起点があります。
元荒川管理起点付近
立て札の下に花崗岩でできた標石があります(右電柱根元のものは不明)。「一級河川元荒川起点」と刻まれているのは確認しましたが、うまく記録できませんでした。
流れはもう少し上流へ続きます。
起点より上流側
この100mほど先にある大雷神社の湧水が源となっているようですが、近年は湧水量がかなり少ないそうです。
『右の流れ』はここまでです。
先ほどの合流地点、左から流れ込む水をたどって行きます。右からのと、流れる方向は大体同じです。
こちらは汲み上げた地下水なので清流です。
この付近には世界でここにしか生息していない『ムサシトミヨ』という魚の生息地で、保護区域になっています。川沿いに解説板も複数たてられていました
流れをたどれた最上流地点
正面黒フェンスの内側は埼玉県農林総合研究センター、施設の門には「熊谷市ムサシトミヨ保護センター」と書かれています。ただしこちらは裏側。
緑フェンスの下に堀がありますが、流れはなく澱んでいました。センター内からの水は別の場所から川へ放出されているようです。
後ろはすぐに荒川堤防、その途中から振り返ってみました
多くの水槽が見えます。周囲は住宅ですが、こんなところが源流です。
起点標石のあったもう一方の源流とも直線で100mくらいしか離れていません。
ところで、昔の荒川の流れを締め切ったのがこの付近ということになりますが、現在その痕跡を確認することはできません。
堤防上から俯瞰(熊谷市久下)
水槽を川に見立てて、昔は向こうへ流れが続いていたのかと想像します。実際の川幅はもっと広かったと思いますが。
元荒川、ここまでです。
この付近も荒川堤防土手は菜の花いっぱいでした。
熊谷荒川緑地付近
地図:今回分は《元荒川(6)》