町田を流れる小さな川(木倉川、金井川)を歩いた同じ日の前半は成瀬から玉川学園へ多摩丘陵の小径を歩いていました。
そちらを簡単にまとめてみたいと思います。
スタートはJR横浜線の成瀬駅
そこから北へ少し歩くと恩田川に出ます。
桜並木が続く恩田川沿いの遊歩道(町田市南成瀬3丁目)
対岸に渡って成瀬弁天橋公園から下には蛇行していた恩田川の旧流路。陸上競技トラックのように弧を描いてます。
ここには写ってませんがこの中に釣り糸を垂らしている人が何人もいました。
公園北側へぬけて都道の交差点を渡ります向こうに住宅を載せた丘陵高台がみえてきました。
あの上へあがります。
途中何だか妙に小さな「町田市立成瀬鞍掛曲がり角公園」この一帯の地名を「鞍掛(くらかけ)」と言います。
坂道を尾根まであがってふり返る(町田市西成瀬1丁目)南方向見てます。
意外にやせ尾根?でしてすぐに反対側にも開けた風景が
尾根づたいに歩いていくとこんなところに(町田市西成瀬3丁目)
階段下には「鎌倉古道」の文字。階段上に1本の松の木「鞍掛の松」とその由来が書かれた石碑があります。
碑文をまとめると「1333(元弘3)年鎌倉攻めに向かった新田義貞が分倍河原合戦直後にこの地で軍勢を一晩休ませた。その際義貞の馬の鞍を外して松の木に掛けたと伝えられたことから『鞍掛の松』といわれるようになった」
とのことです。そしてこれが「鞍掛」の地名のおこりと言われます。
鎌倉古道とされる道を先へ
次は前方送電線鉄塔のある森のほうへ行くと
「かしの木山自然公園」入口
中は
これは藤のつるらしい
公園内にも鎌倉古道についての解説がありました。
ここには府中から町田市内を通り、瀬谷を経て鎌倉へ通じる古道の1本が通っていたと記されています。
この付近を通る上道(かみつみち)と呼ばれた鎌倉街道になりますが、自分が鎌倉街道を歩いてみたとき参考とした資料では、上道のいわゆるメインストリートは、町田市内ではもう少し(数キロ)西側、現在の野津田、本町田地区から町田市街地付近などを通過して瀬谷方面へぬけていたと記されていました。
なのでその道とは一致しませんが、鎌倉時代当時の街道道すじは少なくとも江戸時代以降のようにはっきり決まって整備されていたわけではないので、そのへんの村、集落間の生活、連絡道路に入り込んで通過してしまうことも多々あったのじゃないかと思うのです。
伝説も残る古道(鎌倉街道)のひとつということで、ここも鎌倉街道の1本、よろしいんじゃないでしょうか。
かしの木山自然公園を北側へぬけてそれに続く住宅地へ
さらに北側に細い道が(町田市東玉川学園3丁目)この道、先へちゃんと通り抜けられるのか個人的に以前から気になってまして
それなら行けるかどうか調べてみようと訪れたのでした。
入っていくと予想通り車は通れない尾根筋の歩道
片側は宅地開発されて大きな建物、会社所有のグラウンドなどが続きます。
そんな中、歩道の先に現れたのは学校の校門でした向こうからこちらへ歩いてきたのですが門の前で道幅が広がって、左へ入ると昭和薬科大学、ここはその西門でした。
左側は緑濃いところが続いていたので出入口があるとは知らず..なんでこんなところに?
なんて思ってたらその先の歩道、向こうからこちらへ学生と思しき人が次々歩いてくるではありませんか。
ごく普通に通学路として利用されてるのですね。
でも、結構険しいところ
尾根道から下を覗いたらこんな景色も通学の学生とたくさんすれ違いつつしばらく歩きました。
住宅地となったところ、坂道をぐっと下っていくと正面を小田急線が通ってました。玉川学園前駅の近くです。
昭和薬大の学生、玉川学園前駅から毎日ハイキングのような通学だったとは(なんて言っては失礼ですね、玉川学園も校内坂だらけです【個人の感想です】)。
線路を渡って商店なども並ぶ通りへ(町田市玉川学園1丁目)
このあと自分はもうひと山越えて川2つを追いかけに行きました👇