高野台から六国見山にのぼり今泉へ歩く/鎌倉・大船高野切通しの続く先

北鎌倉・円覚寺の奥山、その山号「瑞鹿山(ずいろくさん)」とも呼ばれる、海抜147mの小さな山が六国見山(ろっこくけんざん)。
鎌倉七口に数えられていない大船、高野の切通しを歩いたあと、高野台から山道にはいって六国見山へのぼってきました。ということで前回のつづきです。

大船の切通しを大船高校裏手に出たあと、高野台住宅地どん詰まりのロータリーへ
〈前回再掲〉

メインののぼり口ではないと思いますが、ロータリーこの左側、住宅と雑木林の境に目立たない細い通路があります。〈目の前に出るまで道があることがわからなかった〉

 

すぐに上りで少しのぼったところ

最初の画に写っていた家の屋根とだいたい同じ高さ

 

道はさっきまで歩いていた大船の切通し上のほうと似たかんじ

両側の笹薮が密。このへん左右の風景はまったくうかがえませんが、近くに学校があるようで子供の声がたくさん聞こえてきました。

 

少し先で同じく高野台住宅地内からのぼってくる階段と合流

大船の切通しから大船高校を横切って通っていた古い道のつづきがこちらでしょうか。

 

そこからは道幅も広くなって


広葉樹の雑木林に杉の木立ちも見えてきて、視界も少し広がりぎみ

👆は西方向、近くは大船あたりかと

 

展望台の近くまで来て

正面まるい塚のようなところが展望台、右に階段もあります。

大船高校裏手の道標に六国見山まで600mとあってたしかにそれくらいの距離だとおもいます。かかった時間はだいたい10分でした。

 

展望台、塚の上に大きな石碑

〈表面カビで読み取りにくいですが〉「浅間大神」の文字
浅間大神(富士信仰)碑は1895(明治28)年の建立、文字は円覚寺の洪嶽宗演(釈宗演)とのこと。

さて、住宅地をぬけてからここまで誰ひとり見かけることもなかったのですが、ここにきて2組の中年グループが展望台上で密集して〈ちょっと大げさ〉
ここは天園ハイキングコースや明月院のある明月谷などからも通じているところ、少なくともここからは観光地でしょうか?

 

展望台というからにはよい眺め
南の方向

鎌倉市街〈見えてない〉から相模湾の方向、伊豆大島や伊豆半島も写ってます〈けど光の具合が良くない〉。

西か北西方向

神奈川県中央部の平地から箱根丹沢などだと思います。雲がなければ富士山も良く見えるはず

北方向

木々の間に横浜市街

こんな案内が置かれてます

六国見山森林公園
六国見山はかつて山頂から六つの国、相模・武蔵・伊豆・上総・下総・安房が望め、
西には富士山、北には筑波山が眺望できたと伝えられるところです。

房総半島にある上総、下総、安房が東方向にあるはずですが、木々がたかく密集していて眺望がありません。

 

アウェイ状態の展望台を退去、その先明月谷、今泉方面へのみちへ
すぐ先にあるのは
「稚児の墓」

西暦700年代前半の《由比の長者》染屋時忠の子の墓ということになっています。(由比は鎌倉由比ガ浜のこと)
墓の形は宝篋印塔の途中が欠けたものだそうですが、西暦7~800年頃に宝篋印塔は存在しないためいつ頃つくられたものかは不明です。

ちなみに染屋(太郎太夫)時忠は藤原鎌足の4代目子孫にあたり、父親は奈良東大寺僧の良弁。文武天皇の時代から聖武天皇の時代まで鎌倉に住んでいたといわれる伝説的な人物です。

 

みちの途中、北側眺望

横浜市方面です。

 

もうちょっと行くと道のまんなかに
三角点

〈四角いけどね〉
六国見山山頂となる(三等)三角点、標高は147.3mです。

展望台のある場所は実は山頂ではなく(標高143.8m)、まわり何もみえないここが山頂なのです。

道の脇には

なぜか麻雀牌で標高「147米」、うしろの木札「六国見山山頂147.3m 市第2の山」

 

この先で高野の切通しを通り、六国見山中腹を巻いてきた古い道とも合流。

昔の鎌倉への出入りはどこも簡単ではなかった。七口ではないこちらでも同じことを感じました。

 

さらに今泉台近くまできて


ここから今泉台住宅地へ下ります。

一般道に出て、天園ハイキングコースや明月谷に下るコースとは別方向へ歩きました。〈つまり鎌倉市中には下らず〉

今回訪ねた切通しから六国見山付近を通った古い道は建長寺後方の勝上巚(しょうじょうけん)などを経由して鎌倉市中へ下っていたよう。往来はさぞかし大変だったことでしょう。

 

今泉台住宅地を歩いていくと古い商店街(北鎌倉台商店街)に出ました。

残念ながらすでに使命を終えた、と言ってしまいますが、そんな場所でした。

それでも建物を改修したり、新たな形で店舗をつないでいるところもあって


商店街通り抜けて出てきたバス通り


今泉台1丁目から今泉2丁目の住宅地を望む

間をつなぐ階段から。先の地名には「台」がつかないということを今知る..

 

このあと大船方面へ戻りました。

 

前、2回

miwa3k.hatenablog.jp

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