府中用水その4は下の川、新田川を分岐した下流側の本流(市川)とその先府中本町からの旧妙観堀を取り上げました。
今回も地図には写真を撮った位置をマークしています。マップ中のマークアイコンをクリックすると出てくる番号がノート内の写真番号になります。
府中用水その4
まず下の川からです。「しものかわ」と読みます。その2で城山公園を通る流れ、”下の川城山支流”について書きましたが、こちらに置いたほうが収まりがよさげなので、その部分をまるっと引っ越しさせ、加筆しました。
◆下の川(しものかわ)
小さな川ですが、自然河川です。流れはいくつかあり、谷保天満宮やその付近からの湧水を源とする流れ、くにたち郷土文化館や南養寺付近の崖下湧水を源とする流れなどが合わさり、国立市と府中市の境界付近で府中用水谷保分水と合流、さらに府中市日新町西府緑地付近で府中用水本流と合流します。
最初はくにたち郷土文化館付近から流れ出し、城山公園(じょうやまこうえん)を通過する支流、正式な名前がないようですので勝手命名した「城山支流」をたどります。
源流は郷土文化館と南養寺付近の崖下、森の中にありますが、近づく方法がわかりません。
数十メートル先で住宅地に出てきます。
> 083
奥の電柱の向こう側から道路下をくぐってこちらへ流れ出してきます。水量はわずかです。
ヤクルト中央研究所の北側に出てきます。
> 084
研究所の南側は谷保分水が流れていますが、このあたりでは合流しません。
青柳崖線のがけ下を流れ、城山(じょうやま)公園に入ります。
城山公園に入った流れ
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公園内には人工だと思いますが池もあります
> 086
城山公園は青柳崖線の段差、地形を利用した中世豪族の城館跡で、一帯は現在雑木林となっています。公園の真ん中、館の跡とされる場所が現在私有地になっており、そこに民家が一軒建っているのがユニークというか、不思議な感じです。
城山公園をぬけた流れです。
> 087
ここの畑の右側は谷保分水・田中堀の水が流れています。農繁期にそちらから助水するための堀(側溝)があった場所です。
下流側へ回ってみたところ、水がなくなっていました。
> 088
1つ前の写真では少ないながら水が写っていたのに、どこかで消えてしまいました。この理由はわかりません。
そして100mほど下って天神橋まで来ます。
> 089
ここは城山支流の流れに谷保天満宮周辺の湧水からの流れが合流する場所です。下の堀に水があるのは、天満宮周辺からの流れの水がたまっていると見るのがよさそうです。
そちらの流れの観察に行きます。
ここにはいずれも湧水由来の2本の流れが注いでいます。ひとつは谷保天満宮境内の”常盤の清水”を源とするもの、もうひとつは甲州街道を挟んだ反対側、清水の茶屋跡付近の湧水を源とするものです。
谷保天満宮、この鳥居は甲州街道に面して立っていますが、ここは立川崖線の上、段丘上になります。鳥居をくぐると石段を下りて、崖の下に拝殿、本殿などがあるという、めずらしい造りなのではないでしょうか。
本殿の裏手へまわると厳島神社のある弁天池、その後ろ、ちょうど崖の際に湧く常盤の清水があります。ナナメってますが
常盤の清水
> 091
厳島神社と弁天池
> 092
この風景は国分寺の”真姿の池”にもよく似ています。あちらも国分寺崖線の崖下の湧水でした。
ここから天満宮沿いの側溝に水が流れ出します。
谷保天満宮の塀に沿う流れ
> 093
塀の向こうがちょうど社務所と拝殿といったあたりです。それらの向こう側にも別の湧水からの細い流れができていて、下の川に合流します。
そして塀の反対側、写真ですと左側2,30mほどのところにもう一本、清水の茶屋跡周辺の湧水からできる流れが通っています。そちらへ移動します。
清水の茶屋とは谷保天満宮のすぐ北側、甲州街道沿いにあったかつての立場茶屋を指します。
豊富な湧水で夏場にはそばやそうめんを清水にさらして、甲州街道を旅する人々をもてなした、と茶屋跡の解説にありました。
現在の茶屋跡は天満宮から甲州街道をはさんだ反対側、小さな窪地のように見え、民家が数軒建っています。
その中に小さな水の流れがありました。
> 094
奥の白い家の後ろが崖(立川崖線)なので、そのあたりから滲み出している水と思われます。ここでの水量はわずかですが、甲州街道の反対側、谷保天満宮側へ戻ってくると増えています。
清水の茶屋跡付近からの流れ
> 095
あちこちに湧水があって流れにのってくるのだと思います。
そしてこの背後でさらに谷保天満宮の常盤の清水からの流れと合流し、No.089の写真に写っている水門を通って下の川城山支流と合流します。
合流したあとの下の川
> 096
No.096を撮影した場所を段丘上から見る
> 097
ちょうど人がひとり立っていますが、あの位置から右方向を撮ったのが先ほどNo.096の写真です。
流れは右から流れてきて中央で手前に折れ、さらにこの下で左に折れていますが、そこへ谷保天満宮からのもう1本の流れが合流しています。
そちらは境内を流れてくるこの小さな流れです。
> 098
No.097へ戻ると、人のいる向こう、左側へも堀が続いています。
そちらは農閑期に水は流れていません。
> 099
手前は空堀。向こう下の川は右折。先ほどおじさんがいたのは木の棒が立つあたりの護岸の上。(同じ趣味の方かな、それとも鳥撮かななんてちょっと思いました。)
その空堀を追いかけてみましたが、
特に水が湧くとかはありません
> 100
まあ、この先別の堀からの排水が合流して水があったりしたんですが、込み入り過ぎるので省略します。
下の川のほうへ戻ります。
谷保天満宮あたりから離れると、あとは立川崖線(府中崖線ともいう)の下を淡々と流れて行きます。
> 101
崖線の木々と歩道の間に流れがあります。歩道が少し高くなっているところは(たぶん)水道管が川を直交していました。
谷保分水の末端と合流する付近
> 102
流れは下の川です。
その先に「東京の名湧水57選」のひとつ、西府町湧水がありました。
西府町湧水
> 103
少し場所を変えて
> 104
もう少し下ると府中用水本流との合流地点に来ます。
本流との合流
> 105
道路を挟んで左から府中用水本流(冬季は空堀)、右端向こうの暗いところから下の川がここへ来ています。この後ろは「府中用水その3」に記した市川緑道となり、本流は暗渠、下の川の水の一部が緑道上に流されます。
◆府中用水本流(市川)から旧妙観堀
府中市内に入って下の川と合流した府中用水本流は、名称も市川と変わります。地元行政的には第二都市下水路とも呼ぶようですが、この名はあえて使いたくないです。
その3でも記した西府駅下にある堰(現在は暗渠のため見えない)で新田川を分けます。農閑期の市川の水はそこですべて新田川へと流れて行くようです。新田川をたどるのはこの後その5になりそうです。
本流である市川はこの先ほぼ暗渠、上部はずっと歩道となって先へ進みます。
市川、新田川分岐点
> 106
正面向こうへ市川、手前「用水」と書かれたマンホール蓋が並ぶ方向へ新田川です。
市川緑道本宿緑地、少しだけ姿を現す市川の堀
> 107
新田川を分けてすぐ、新府中街道(都道18号)と交差する手前になります。たしかに水は流れていません。
2本の流れが通る格好になってます。この先で支流を分けているのでそのせいでしょうか。府中市内に入っても府中用水の流れは支流(支堀)を網の目のように分けて流れていたようですが、現在は大部分が住宅地に変わり、小さな堀などは痕跡も残っていないものが多いようです。
新府中街道の先、第二都市緑道
> 108
緑道の名称も下水路にちなんだものに変わり、先へ進みます。このあたりは特に歩道の幅が広いです。
分梅駐在所交差点で鎌倉街道上の道古道と交差し、すぐ先で雑田堀(ぞうだぼり)を分けます。
雑田堀分岐点・分量橋跡(府中市分梅町2丁目)
> 109
ここで市川(府中用水本流)から直角に雑田堀が分かれていました。そちらも緑道になっており、後ほど取り上げます。
緑道は分倍河原駅南側を通過します。
> 110
正面高架は京王線、歩道には用水の流れを表現した水色の装飾がずっと続いています。
府中第三小学校の前を通り過ぎるところで、並行して来た道路から分かれます。
三小前交差点で右へ入ります
> 111
すぐに下河原緑道と交差
> 112
正面へ続くのが府中用水水路、横切っている下河原緑道は元国鉄下河原線の線路跡です。多摩川の砂利を運搬するため国分寺駅から分岐した線路が通っており、東京競馬場への旅客輸送も行っていました。
この先緑道は正面のマンションの建物をまわり込むように通り、JR府中本町駅の西側へ出て行きます。
府中本町駅西口付近
> 113
正面が駅ホームです。ここで市川(府中用水本流)は、線路に沿って南へ向きを変え旧妙観堀(矢崎都市下水路)となる流れと、駅の下を横切って東の東京競馬場方向への妙光院下水系の流れに分かれます。
昔は競馬場方向への妙光院下水系の流れが府中用水の本流でしたが、現在はそちらへ水は供給されることはなく、一部開渠で残る堀は常に空堀です。
現在は旧妙観堀(矢崎都市下水路)に市川(本流)からの水がすべて落とされていますが、農閑期は市川に水がないのでこちらも空のはずです。
なお、明治期迅速測図を見ると妙観堀は描かれておらず、元々はごく小さな堀だったのかもしれません。この堀は近年になって改修され、矢崎都市下水路と呼ばれるようです。
旧妙観堀上の歩道
> 114
この堀も府中本町駅付近は暗渠になっていますが、南側で中央道をくぐった先から開渠になります。
府中市是政3丁目付近の旧妙観堀(矢崎都市下水路)
> 115
側面底面がコンクリートのこの流れは堀というより、都市下水路というのがふさわしそうです。
先に、市川は農閑期に水は流れていないので旧妙観堀も空のはず、と書きましたが、この流れはサントリー武蔵野ブルワリービール工場からの工場排水(もちろん処理済み)になります。
水路はこの先開渠のまま流れ、途中で雑田堀を合流(現在は穴だけあって水は流れてこないらしい)して矢崎都市下水路スクリーン施設という場所へ達します。
矢崎都市下水路スクリーン施設から
> 116
ここで再び流れは暗渠となり、この横を流れる別の用水路暗渠などを交差して矢崎排水樋管に至り、そこの水門から多摩川へ流れ込みます。
矢崎排水樋管の完成は1964(昭和39)年ということです。矢崎都市下水路を通して府中用水の水がここで多摩川に返されるようになったのはそれほど古いことではないようです。
一応、府中用水の水の末端のひとつに到達しました。
その4はここまでです。
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