散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

早渕川を歩く 鶴見川合流点から源流へさかのぼって

早渕川(はやぶちがわ)は鶴見川の支流のひとつ。横浜市青葉区美しが丘西に源があり、港北区綱島上町で鶴見川に合流する、延長13.7kmの自然河川です。

河川法では「早淵川」とされますが、川沿いを歩くと「早渕川」の表記が多いです。

今回は鶴見川合流点からさかのぼって歩きました。


早渕川流路地図はいちばん下へ移動しました。(一部のブラウザで地図の表示がタコになるケースがあるためあまり目立たないところへ)

 

横浜市港北区綱島西2丁目、鶴見川堤防から

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ここはまだ鶴見川東急東横線綱島駅近く。上流方向を見ています。
この先に早渕川の合流地点があります。

 

500mほど鶴見川をさかのぼり、
合流地点

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向こう側を右から左に流れる鶴見川に手前側の早渕川が合流。

鶴見川左岸の堤防はそのまま早渕川左岸へのび、その上の歩道も早渕川へ続きます。

 

合流地点近くの橋。
三歩野橋

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案外難しい橋名、”さんぶのばし”と読むのですが、検索すると複数の読み方が出てきます。
”さんぽの橋”ではないみたい。

昔付近の地名に”三歩野耕地”があり、”さんぶやこうち”と読ませたようです。それを踏襲すると”さんぶやばし”ですが、橋名は上のとおりなんだとか。

鶴見川合流点からしばらくはほぼ南北方向一直線に流れる早渕川です。
明治期の地図、迅速測図を見ても流路は直線です。江戸時代には改修が行われ、川幅拡張、直線化されたそうです。

大倉精神文化研究所 港北区の歴史と文化(わがまち港北)の中に記述がありました。

公益財団法人 大倉精神文化研究所 :: 第209回 早渕川の改修

三歩野耕地:さんぶやこうち、三歩野橋:さんぶのばし、に関してもここに記述がありました。

 

その次の橋、新川橋

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ひとつ飛ばして
峰大橋

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この場所には峰大橋の名前で明治以前から橋が架けられていました。

流れはこの付近で西の方へ大きくカーブし、左岸側が高田、右岸側が吉田という地名になります。昔は田んぼが広がっていたのでしょう。

 

暗渠の水路が合流(港北区高田東4丁目)

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右側、車止めが乱立しているところが水路(跡)。

明治期迅速測図には”柗橋川”〈読み不明〉と記載。少し上流の早渕川から分水した別水路で、この地点で再び早渕川と合流していました。

 

そちらへ寄り道

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途中までは真ん中に植え込みのある歩道、その先は一般道となって県道102号(横浜市営地下鉄高田駅付近)へと接続しています。歩道以外は水路の痕跡は残ってないようです。

 

早渕川へもどります。

御霊橋から上流方向

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向こうを横切るのは第三京浜の高架橋。この付近の流路も現在は改修済みですが、明治頃までは蛇行が激しかったようです。

 

第三京浜を越えると都筑区に入ります。

新北川橋付近(都筑区早渕3丁目)

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水門は暗渠支流の合流。

河川敷に人がいます。都筑区内では複数個所で河川敷、護岸に生えた樹木、溜まった土の除去作業が行われていました。
放置しておくと水の流れが悪くなり、水害の原因にもなるのですが、作業は大変そうです。

作業前の河原(都筑区大棚町)

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作業が大体済んだ場所(都筑区茅ヶ崎東4丁目)

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他の場所では鍬などを使って護岸斜面に張りついた土まで完全に除去していました。ここは木の株などが残っているのでまだ作業完了ではなさそうです。

こちら前方は都筑大橋。

 

都筑大橋の先では横浜市営地下鉄などが横切ります。

ブルーライングリーンライン2本の地下鉄高架橋、中央は歩道のセンター橋

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地下鉄前方がセンター北駅、背後がセンター南駅、ここはその中間、センターセンターポジション。

中央の歩道はセンター南北、2つの駅間をつないでいます。で、名称は”みなきたウォーク”、ちょっと安直?

 

その先は境田橋

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横切る道路は都筑区役所が付近にあるので区役所通り。
片側3車線の直線道路でこのへん地形が谷底、スピードが出やすく危険地帯。

 

その先は一転のどかな風景にもどります(都筑区荏田南町、対岸は中川4丁目)

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ここも護岸に木がはえちゃってますね。

 

布川合流(青葉区荏田町、対岸は都筑区中川3丁目)

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支流の布川(この真下)と早渕川です。
小さな支流はあちこちで見られますが、現在その多くは暗渠になってます。ここは珍しく開渠の川が直接合流しています。

 

宿裏橋上から上流側

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先で国道246号をくぐり、そこがトンネルになっています。国道の上は横浜市営地下鉄ブルーラインの橋梁です。

橋の位置は矢倉沢往還青山通り大山道、現国道246号旧道)の荏田宿外れにあたり、名称が宿裏橋です。(何も写ってないですが…、現在はごく普通の橋です。)

 

川トンネルの上流側、次は東名高速の下へ

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左高架が東名、手前で支流が合流してます。この支流も暗渠で、合流点ではじめて顔を出してます。

 

東名の先は東急田園都市線あざみ野駅近くに出ます。

その手前に古い家屋が複数(青葉区新石川1丁目)

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付近は昭和初期まで山内村、その集落があり、商店の建物のようです。その建物に面して古い道が通っています。

 

田園都市線を越えた先は、川が道路中央部を流れるようになります。

流れが中央分離帯に(青葉区美しが丘5丁目、あざみ野1丁目境界)

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1500mほどこの状態が続きます。

 

覚永寺下交差点付近で流れは県道の外側へ(青葉区元石川町)

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左端、「平川の大灯篭」といい、薩摩灯籠とも。

ネットで検索してみると一様に、「幕末に江戸の薩摩藩下屋敷(渋谷にあった)へ奉公していた女性が、明治維新後地元に戻る時にもらい受けたもの」との情報が。
もらったはいいけど物件ですよね。トラックもない時代によくここまで運んだものです。
現在もなんだか持て余し気味、誰か管理しているのでしょうか?

 

大灯篭付近の早渕川

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これより上流は、このあたりの河川にはお決まりのコース。
流れは崖の下に寄り添うようになり、さらに上流で暗渠になります。

大灯篭から500mほど上流、崖下暗渠に

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右の方は小分けされた家庭菜園、農園なところ。住宅にできない土地なのでしょうか。

 

もう少し行くと暗渠跡も消滅

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源流というには唐突な気がしました。
左側からは小さな水路が合流していましたが規模的に不自然、前方は土地がやや高くなっていたので、ここで流れを見失いました。

 

一旦休憩、作戦情報ひとり会議を実施。

その結果、前方に大きな遊水地の存在を確認。
保木公園の遊水地

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水が流れてくるからこんな設備が必要なので、ここにつながる水路があると推測、大方暗渠で正確な位置はわからないだろうとも。

 

なので土地の高低差をたどって、谷筋を歩いていきます。
周辺は住宅地化されるときに重機でだいぶいじくったようで、細かい高低差は不鮮明になっています。

とりあえずこの先は上りなのであちらへは行かない

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V字の谷地形発見

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谷底から左へ追う。

 

なんてうろうろして
坂道のてっぺんまで来ちゃいました。

道路の先が下り坂(青葉区美しが丘西2丁目)

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谷の深追い丘に上がる。

 

ところが近くの公園

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「早渕」台?

 

中にこんな案内が

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美しが丘西早渕台公園の名前について
美しが丘西早渕台公園のまわりは、横浜市の北部を流れる早渕川の源流域になっていました。
川は現在地面の下を流れていますが、ここに川があったことを記憶していくために、「早渕」という川の名前に丘をあらわす「台」の文字を組み合わせ、公園の名前にしました。

こんな案内がある川の源流ははじめてです。

 

”現場”から戻って古い地図で確認すると、先ほどの下り坂付近から水田が存在しており、その周辺が源流のひとつと推定できます。
早渕台公園付近は丘の上になり、公園の位置がそのまま源流ではなさそうですが、その先へまた土地が下り、別の河川の源流が存在します。

早渕川ここまで。

 

早渕川流路地図