ひと月ほど前に相模川左岸用水というのをたどって歩いた。
今度は右側、相模川右岸用水を歩く。正式名は「相模川右岸幹線用水」といい、現役の農業用水路。名前が長いので以下、”右岸用水”と略す。
右岸用水は相模原市南区にある、相模川磯部頭首工で取水した水を相模川右岸一帯の田畑に供給し、末端は平塚市まで、約20キロの距離におよぶ長い疏水。1949(昭和24)年着工、1958(昭和33)年完成で、左岸用水に遅れること約17年、戦後になってできた新しい農業用水路だ。
左岸用水のときと同じことを書くけれど、華はないし、何とか映えする絵も特にないと思う。でも、近年になって造られたこともあって水路途中には、水路橋、伏越(サイフォン)、隧道(トンネル)などが随所にあり、歩いていてそれらを見つけるのは妙に楽しかった。子供の頃、乗り物で移動中に外の風景がダイナミックに変化するとわくわくした、あの感覚に似てるかも。
ただ、ここを歩き始めるまでには少し時間がかかった。用水流路の確定に手間取ったのだ。特に、途中にある長いトンネルがどこにつながっているのか、通常の地図ではまったくわからず、詳しい流路図(専門的には路線図というらしい)は見つからなかった。
結局、簡単な流路図と、文字で起こされた情報をあわせて、用水路の辿り方を確定できたが、詳しい流路図がないなら作ってしまえということで、今回、Googleマップに”調査探索結果”を落としてみた。右岸用水の開渠部、暗渠トンネル部を色分けして。
相模川右岸幹線用水流路図(路線図)
暗渠・隧道部は流路が確定できない区間があり、その間は単純に直線で結んである。
別レイヤーに今回歩いた足あとも(デフォで見えない状態になっているが)描いている。<引用は想定していないし、制限もしないけど、もしも何かに使用時はそのへん処理を適切に行ってね。>
それではスタート。
右岸用水も左岸用水と同じ相模原市南区磯部にある、磯部頭首工で取水を行っているのでそちらの様子から。最初の2枚は左岸用水をたどったときの使いまわしで2018年5月撮影。
磯部頭首工取水口
左岸用水も右岸用水も同じ場所で取水している。
右岸用水伏越の呑口
相模川左岸側で取水したものを右岸側へ伏越(サイフォン)で送っている。その水をここで地下へ落とし込んでいる。伏越にしないで右岸にも取水口を設ければいいのに、とも思うがこのようになっている理由は不明。
ここから右岸用水側へ。
相模川右岸、伏越の吐口へ最初に向かったが、磯部頭首工近くに人が渡れる橋がない。アプローチは左岸用水訪問時と同じJR相模線下溝駅としたが、駅前からそのときと反対方向へ向かい、頭首工には寄らず、昭和橋で相模川を渡った。
昭和橋歩道橋から相模川
正面、対岸は厚木市。
橋を渡ったら左の下流側へ進み、厚木市猿ヶ島というところへ行く。忘れてしまったのだが、磯部頭首工の対岸から相模川の様子も記録しておけばよかった。
猿ヶ島スポーツセンターの西側に右岸用水の伏越吐口がある。
相模川伏越吐口(水の出口)
対岸から川の下を渡ってきた水が湧きあがっているように見える。水は右側水門から流れて行く。
水門と開渠の水路
この区間、用水路はほぼ一直線
暗渠ではないので水量たっぷりの流れがどこでも見える。
右側田んぼの向こう、崖の際を通っているのは圏央道(首都圏中央連絡自動車道)。
圏央道厚木PA付近で右岸用水は山際川の下を伏越で渡る。
右岸用水の流れと除塵機
川の地下に通した導水管に用水を落とすため、手前にゴミを取り除く鉄柵や除塵機(オレンジ色塗装部分)がある。地下の導水管がゴミ詰まりすると厄介なので、伏越の手前には除塵機が設置されていることがある。
山際川対岸に伏越の水が噴きあがってくるところがあるはずだが、位置は確認できなかった。高速道のパーキングエリア下などに埋め込まれてしまったか?
厚木PAの先に回ると、また開渠の流れが見えたがしばらく深い藪の中を通過。
藪から出てきた右岸用水(厚木市関口、県道42号交差部から)
フェンスの向こうには流れが見える。
県道を渡ると一段高いところを流れ、依知(えち)隧道へ入る。
依知隧道入口手前
トンネルの名標が水路横っ面に張りつけられていた。
入口をのぞき込む
右岸用水路は段丘をいくつか越えるが、水を高い場所に上げられないので、段丘区間にはトンネルが設けられている。依知隧道が最初のトンネル。掘削技術が進歩した昭和の用水路、である。
斜面を上がって水路を見下ろす
手前のフェンス内が水路。向こうは圏央道や県道42号座架依橋(ざかえばし)など。
依知隧道上にかぶさるのは中津原台地と呼ばれ、ここはその先端に近い部分。
暗渠と違い、トンネル部分は地上に痕跡もないので、その出口まで一般道を歩く。台地の幅はそれほど広くなく、出口側の低地には中津川が流れている。
隧道出口兼中津川サイフォン呑口桝設備
台地反対側の崖下にひっそりと出口があったが流れは見えない。水はそのまま伏越(サイフォン)で地下へ落とされ、中津川の下を通って対岸へ渡る。
呑口桝手前には小さな沢と右岸用水とは別の用水路。
中津川を越えるため橋へ迂回。
中津川大橋周辺の様子
右側が中津原台地、左側に中津川が流れ、高架の県道が通っているのが中津川大橋、その他周囲はほぼ水田。
中津川大橋から中津川下流側
右岸側へ出ると川の堤防近くに、
中津川サイフォンの吐口設備
ここで上向きに水が噴きあがり、左側のフェンス向こうで水面が再び顔を出している。
顔を出した用水
右側の土手は中津川堤防。
少し先で流れの方向を90度変え、細かく開渠と暗渠を繰り返すこのあたり。
この先道路下暗渠となる手前
用水に流し込まれる水があった。農業排水なら排水路へ流すはずだが…
暗渠となった歩道の上
この付近はたぶん最近暗渠化されたと思うが、ここからしばらく水路の流れを見ることができない。
が、近くに別の水路や小河川が密集している場所があった。
水路や小川が合流している地点(厚木市三田)
ここに右岸用水は絡んでないと思われるが、全部で4つの流れが一挙に合流しているので記録。ここのメインストリームは、やや左の出口から出てくる自然河川”蟹渕川”、この下流は暗渠で上部は”三田せせらぎの小道”の遊歩道が設けられているようだ。その他の流れは周辺の用水路、排水路か。
右岸用水の暗渠は左上道路ガードレールと並行に通っているはずだが、具体的にどこを通っているのかわからない。
右岸用水上の暗渠道を先へ、屋際交差点付近で流れの痕跡が西からやや南へ方向を変えている。交差点先は再び丘陵になるのでトンネルがあるはず、
その手前に何かの設備があった
フェンスの中に何かあるが、私有地の中にあって近づけず。フェンス手前は再びトンネルになっているようだが、ここはトンネル名称含めていろいろ確認できていない。
出口を目指して、三田南、及川といった地区、荻野台地先端部を歩いて行く。
途中、及川団地に差し掛かった時、団地に取り込まれるような形で、保存されている山ノ上1号墳、山ノ上2号墳の2つの古墳に出会った。各墳丘付近には写真入りの詳しい解説板もあった。*1
この古墳すぐ南側を荻野川が流れ、それに沿って下りて行くと右岸用水のトンネル出口がある。
荻野川と及川団地
右岸用水トンネル出口付近(荻野川左岸側・厚木市妻田西3丁目)
ここから主に開渠区間が続く。
荻野川堤防脇を流れる右岸用水
荻野川は少し先で小鮎川に合流、その合流点近くに右岸用水の伏越、小鮎川サイフォンがある。
小鮎川サイフォン呑口付近
この手前に水門があり、大きなごみ除けの鉄柵向こうで水が勢いよく下へ落ちて行く音がしていた。ここに除塵機はなかった。
近くの林妻橋上から小鮎川上流方向
正面すぐ先の地下を用水が横切っているはず。
対岸の吐口付近
左手前フェンスの中で水が噴きあがり(様子は見えないが)、水門向こうへ流れて行く。
吐口の少し先で
このあたりでも水量はまだ結構ある。ここまでまだあまり分水されていないからだろう。
さらにしばらく行くと水路橋(掛樋)がある。
川をまたぐ右岸用水の橋
ここは右側に水門(右の水色塗装の設備、大口分水工)があり、右岸用水の水を分けている。
大口分水工付近
川の右側、正面向こうへ別水路で右岸用水から分けられた水が流れて行く。この先に昭和用水という用水路があり、ここで右岸用水の水を分けて補っている。そのゲートが右側水色機器の下側にある。
右岸用水本流はこの後すぐに国道412号下をくぐり、またトンネルに入っていく。
戸室隧道入口付近(厚木市戸室4丁目)
すぐ手前で分水されたので、水量が減ったかといえばそれほどでもなく。淡々とトンネルへ吸い込まれていく。トンネルの向こうはすぐに崖。
水路にトンネルがあるということはまた丘陵があるということ。トンネル内の経路はわからないので、出口目指して坂を上がり、また下りる。
戸室隧道出口付近(厚木市恩名4丁目)
こちらも向こうはすぐに崖だ。
反対側へ振り返ると、道路下を横切った用水の一部が周辺の田畑に分水されていた。
分水口付近
上部向こうへ流れる右岸用水本流、下で白く泡立っているのが分水。ここから別水路経由で周辺の田畑へ配水されている。
その先で本流は恩曽川(おんそがわ)を渡る。
恩曽川を水路橋(掛樋)で渡る右岸用水
上が右岸用水、下を横切る恩曽川。
川と掛樋
長くなったので、すごく途中だけれど一旦休憩とします。
参考までに、相模川左岸用水のノート
*1:及川団地付近以外も右岸用水のトンネルは舌状台地先端付近を通っているケースが多く、古墳、遺跡もあちこちある模様。