水郷田名を訪れたときの記録断片

水郷田名(すいごうたな)は相模原市中央区の西部に位置し、相模川左岸に接しています。
「水郷田名」という地名になったのは西暦2000年を過ぎてからで、古くは田名村久所(ぐぞ)、相模原町(市)に合併されてからも長らく久所(地区)と呼ばれていたようです。
江戸時代には八王子方面から大山に向かう街道(八王子通り大山道)が通り、相模川の渡舟「久所の渡し」があって街道の小さな宿場となっていました。
また、昭和初期頃には観光地として鵜飼いの鮎漁、あるいは花街などもあって栄えたといわれています。

個人的に以前、大山街道相模川を歩いたときにも通りすがった場所、2020年3月に改めて訪問してきました。

 

■坂道

水郷田名地区は相模川が台地を削った低い場所に位置しており、川をさかのぼる以外、どこから行っても坂を下ります。

東側、陽原(みなばら)の段丘から”ひの坂”でアプローチ。
ひの坂、坂上

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途中のカーブ

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崖を2か所のヘアピンカーブで下っていきます。結構な急坂。

 

よく見えないけど下が水郷田名(ひの坂途中から)

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坂下でバスなども通るメインストリートの県道に交差。県道は交通量が多い。

 

住宅団地の公園(水郷田名東公園)から下ってきた段丘崖を見上げて

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崖の中ほどを県道が横切ってます。

 

県道から少し離れた場所を大山街道の古い道も下ってきます。
「旧大山街道」碑のある坂道

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こちらの坂は「しろ坂」と呼ばれていたようです。こちらも急坂。

以前、大山道を歩いたときはここを下ってきました。

八王子通り大山道を歩く その2 八王子から愛川・中津 - 散歩の途中

 

また、水郷田名の北側、滝地区には段丘上と行き来する「滝坂」があります。

滝坂途中のカーブ

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坂の下には段丘崖に沿って宗祐寺

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■烏山用水

崖の下を江戸時代後期に拓かれた用水路、烏山(からすやま)用水が通ります。
この一帯はかつて下野国烏山藩の領地であり、その領主大久保氏により計画、建設されたことからこの名がついたそうです。

住宅団地内の用水路(烏山用水・大堀:現在は相模原幹線用水路と名前が変わっているらしい)

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この用水によって周辺に田畑が開墾されましたが、1980年代に宅地化されています。

 

少しさかのぼった場所にある用水路(大堀)のトンネル出口

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少し北側の相模川で取水した水をトンネルで導いています。

 

烏山用水の水路はもう1本、”新堀”があり、がけ下を通る大堀の水路と相模川本流の間を流れています。
こちらは烏山用水・新堀のトンネル出口

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冬場だからか、水は流れてません。

護岸の「石積みは川床から約2mの高さがあり、隧道出口付近の原形を残すものとして伝えられています。」との解説がありました。

 

空堀をたどります。
建物の手前、左へ分水路があります

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分水路の水門は木製でした

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道路沿いに分岐した水路がのびています。

 

烏山用水の碑と木道の遊歩道

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その足元は古い橋

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住宅間の生け垣

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こちら”新堀”は昔からの住宅地内を通っています。

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スペースに余裕がないので水路上に木道をのせたのでしょう。生活用の通路というより観光用遊歩道ではあります。

 

相模川にかかる高田橋付近まできて

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このへんまでくると木道の遊歩道は途切れますが、水路はさらに続いています。

 

相模川

烏山用水新堀の西側に相模川の本流があります。

対岸、葉山島下河原を望む

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こちらと対岸の間にはかつて「滝の渡し」という渡し舟がありました。石碑がたっています。
(”滝”はこの区域の地名。)

久所の渡し場とは数百メートルしか離れてないのですが、この付近で川を渡る人が多かったということでしょうか。《資料にあたってみると、田名村の入会地が対岸にあり、作業のため住民が川を往復する機会が多かったよう。こちらは地元の住民が主に利用した渡舟でしょうか。》

 

下流に少し歩いて振り返り

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広い河川敷ごしに高田橋の下流側から

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高田橋付近が久所の渡し場です。橋のたもとには「久所の渡し」碑がたってます。《こちらは街道筋にある渡しで様々な人が利用していた。》

広い河川敷は車も入ることができ、鮎釣り場やBBQスポットとしてもにぎわいます。

 

さらに下流側から

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この背後、河原から一段高くなった場所は望地弁天キャンプ場、その先は広い水田がありますが水郷田名地区からは外れていきます。

 

町の方へ戻りつつ
最初に坂を下りてきた陽原(みなばら)段丘崖、下から

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■町の中央部

昭和の中頃までは賑わいもあって華やかだったというかつての久所の中央部、昔の街道沿いを少し徘徊しました。古いもの、華やかだった頃の名残りなど、あまり見つけられませんでしたが。

古い民家(元商店?)

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割烹旅館旭屋

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元・花街に唯一残る旅館、創業200年以上、はじめは街道の旅籠だったそうです。

 

最後は
相模川ふれあい科学館 アクアリウムさがみはら

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相模川の生き物や環境をテーマとした科学博物館。川魚の餌付け体験の他、ワークショップやトークイベントを開催している。 Googleマップから

裏手の公園

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こちらは新型ウイルスの影響で休業中でした。